死神の騎士と呼ばれた傭兵の物語――アトゥーム・サーガ――

ダイ大佐

死神と赤子

 吹雪の夜だった。


 村の外れにあるあばら家の中で、女が呻いていた。


 火がたかれているが、隙間風の入る家は寒々しい。


 膨らんだ腹を見れば、一目で妊婦だと分かる。


 女の瞳には陣痛以外の熱が浮かんでいた。


「しっかり! 貴女が頑張らないと子供は助からないのよ!」産婆が、と言っても妊婦と大差ない、二十歳を少し超えた程度の女だ――が必死に励ます。


 ほんの二、三日前に流行り病にかかった妊婦は無事出産できるか危ぶまれていた。


 妊婦には意識は殆ど無かった。


 しかしその身に備わった本能が子孫を残そうと必死に赤子を外に出そうとする。


 意識が朦朧とした妊婦は苦悶の声を上げる。


 夫は隣の部屋に居た。


 彼には妻が命懸けで出産する様子を見守る度胸は無かった。


 妻の死に立ち会う事になるのが恐ろしかった。


 赤子の頭が産道から覗く。


 産婆は妊婦は助からないかもしれないと思っていた。


 病で奪われた体力を出産は容赦なく奪い取るだろう。


 せめて子供は無事に取り上げる。


 だが、産まれたとしてどうだろう――周りから母殺しと冷たい目を向けられて育つことになろう。


 それでも、生きる方が死ぬよりはましだ、産婆は自分にそう言い聞かせて妊婦を励ます。


 一際大きな声を出して妊婦は石の様に沈黙した――妊婦の息は途切れた。


 赤子の身体は殆ど母親の中だった。


 産婆は妊婦の女性の部分に両手を突っ込むと赤子を力一杯引っ張った。


 胎内に引き戻すかの様な力に逆らいつつ、少しずつ子供を取り出す。


 吹き込む小さな風が炎を煽った。


 四半刻程の格闘の後、産婆は勝利した――血に塗れた赤子――男の子だ、は彼女の腕の中に納まった。


 しかし、産婆は気付く――赤子も息をしていない。


 死産ですって?


 少しの逡巡の後、産婆はへその緒を切った赤子を産着にくるむと地面に叩き付けた。


 赤子が息を吹き返す――しかし、泣かない。


 師匠に付いて今まで、産声を上げない赤子なんて初めてだった。


 話にも聞いた事は無い。


 だが、赤子は大丈夫だ。


 母親を見る――目は閉じられ、聖母の様だ。


 母親は死んでいた――あれだけ最期に大きな声を上げたというのに、天使の様な微笑みを浮かべている。


 土間の囲炉裏の炎――唯一の明かりが一際暗い影を作り出した。


 産婆はその影が人の形を取るのを見た。


 黒い肌、雪白の衣、同じく雪白の長い髪――産婆はその姿に恐怖を覚えた。


 真っ黒な身体を白い衣に包んだ長身の途轍もなく美しい男だ、赤子の父親ではない。


「貴方は誰――?」その美しさに圧倒されていた産婆はようやく言葉を絞り出した。


「我が名は、<死>。お前達人間にはウールムと呼ばれている」


「死神が何の用なの?」答えは分かっていた。


 母親と子供を連れに来たのだ。


「お前の考えている事は分かる――だが、赤子はともかく、母親は我が元に来なければならぬ」


 ウールムは母親を抱きかかえると、産婆に背を向けた。


「その子はアトゥームと名づけるがいい。南の国の創世神からの名だ。父親は名前をつけないだろう」


 産婆は母親の身体が寝床に横たわったものと、ウールムが抱えているものの二つある事に驚いた。


 <死>に抱かれているのは母親の魂だ。


「アトゥームは限りない栄誉と苦しみを同時に味わうだろう。耐え得る者は少なく、その責を負う者はもっと少ない。全ては彼を祝福しよう。〝死神の騎士〟が再臨するのだ」


 産婆は呆気に取られていた。


 伝説に名高い〝死神の騎士〟――お伽噺の悪役だ。


 死神に忠誠を誓った漆黒の武具に身を包んだ黒髪の騎士。


 大人の身長よりも長い両手剣、デスブリンガーを振るって立ちはだかる者全てを死の国に送る最強の戦士。


「さらばだ」ウールムは歩き出す。


 一陣の風が吹き、ウールムは、掻き消えた。


 部屋にかかっていた圧が消える――アトゥームは始めてこれ以上ない位の声で泣き出した。


 死の王の恐怖から逃れたからか、母親が死んだ事を悟ったのか、それとも父親が居なくなったと思ったのか。


〝死神の騎士〟の誕生は、騎士が母親を殺す事で成し遂げられた――数奇な運命を背負った戦士の誕生だった。

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