たった一度の夏が終わる

ナナシリア

たった一度の夏が終わる

 あの夏は、俺にとって最後の夏だった――




「私、もうじき死ぬんだって」


 彼女の言葉を聞いて、俺は脳みそを直接殴られたかのような衝撃を受けた。


「え? 死ぬ、って……」

「私の人生はこの夏で終わり。この夏が、最期の夏」


 八月一日。夏の始まりに、彼女は自身の終わりを告げた。


「君が告白してくれたあの日には、もうわかってたことだよ」

「え、え、え」


 俺は事情を飲み込むことが出来なかった。


 受け入れられなかった。


 受け入れたくなかった。


「ずっと言えなくて、ごめんね」


 誰が責めるか。


 口に出したかったが、体のどこも動かせなかった。


「あと、一カ月あるから――君が私を幸せに死なせてよね」


 あまりにも重すぎる荷物。


 でも断ることは絶対にしたくなかった。


「……」

「……」


 静寂。どんな言葉も、無駄なように思えた。


「……」

「……」


 重く辛く切ない沈黙が続く。


「わかった。俺が精一杯、君を幸せにする」


 ようやく口に出せた言葉は、いわば俺の最後の使命といえた。


 嵐の前の静けさというか。静けさの前の嵐のような。


 これほど重大な使命は人生で二度と訪れないと思わせるような。


「よろしく!」


 もう少しで死ぬ君は、まるで気にも留めていないように笑った。


 それからいくら日々を過ごしても、君が死ぬとは信じられなかった。


 最後の夏も、君は笑顔だったし、俺も笑顔になれた。


 君と出会う前の冬のような季節よりも、君と別れた後の冬のような季節よりも、温かく、熱く、火傷してしまいそうな日々だった。


 ――俺にとって、たった一度の夏だった。


 俺が君と出会って、一度だけの夏。俺が俺と出会って、一度だけの夏。




 星空を眺めた。


 大空に広がる満天の星空が、俺と君を包み込むようだった。君の命が強く輝いているように感じられた。


「ねえ、君」

「なに?」

「綺麗だね」

「ああ、すごく綺麗だ」


 海に行った。


 大きな波が、俺の方を向いた君の背に映えていた。君の命が波立つようだった。


「海になんて、もう二度といけないかも」

「帰り際になんて爆弾を落とすんだ、君は」

「帰り際だからだよ」

「帰ってから気まずくなるじゃないか」


 遊園地に行った。


 ジェットコースターの上で浴びた風が、俺と君を揺らした。


「風が気持ちよかったね」

「俺はジェットコースター苦手だよ」

「私の遺志を継いで、好きになってね」

「まだ死んでないだろ」


 ひまわりの花を見に行った。


 明るく眩い生命が君の命を示しているかのようだった。まだ、君の死は遠くにあると思えた。


「綺麗な黄色だね」

「率直な感想だね」

「私にはない命が眩しいよ」

「だからまだ生きてるだろ」


 水族館に行った。


 生物の確かな命と、君の不確かな命が対比されているように思えて、わけもない苛立ちを感じた。君の死は、すぐ近くに迫ってきていた。


「皆、一生懸命生きてる」

「君も、だろ」

「でもあの子たちはまだしばらくは死なないでしょ」

「……」


 君もまだ死なないだろ、などと薄っぺらな言葉を並べ立てることはできなかった。




 夏の終わり、君が死ぬ直前に夏祭りに行き、花火を見た。


 夜の空一面を花火が覆った。


 上空で爆ぜた花火の余韻が夜の空に散って、まるで流星が空を覆い隠しているようだった。


 不可解な涙が溢れだした。


 感動、悲しみ、喜び。そのどれとも違う複雑な感情が心中を渦巻いて五感に訴えかけてきた。


「空、綺麗だね」

「花火を見に来て空を眺めるなんて、変わってるね」

「私は数奇な運命の下に死ぬさだめだからね」

「笑いごとにならないから――やめてくれよ……」


 俺は、夏の終わりになってなお、君の死を受け入れることが出来なかった。


 そして、夏の終わり――八月三十一日に、俺と君は病院にいた。まだ君の死を受け入れたくなかったけど、もう時間はなかった。


 既に日は暮れた。


 君の命はいつ暮れてもおかしくなかった。


「私、本当は死にたくない」


 消え入りそうな声だった。


 確かな声だった。


「もっと君と生きたい」

「俺も、君と生きたい」


 俺たちの叫び声が病室内に木霊した。




 目が覚めると、目の前に君はいなかった。


 俺は泣き疲れて眠ってしまったようだった。


 その場に君がいなかったから悪い想像を膨らませてしまう。


 君は、もしかしたらもう――


 机の上に紙が置いてあった。


 多分看護師さんかだれか、医療従事者の字なのだろう。


 彼女は、亡くなった。


 ——君の最期は、思い出したくもなかった。そんなあの日で俺のたった一度の夏は終わりを告げた。

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たった一度の夏が終わる ナナシリア @nanasi20090127

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