第6話 エピローグ

 エピローグ


 あれから、黒い世界の夢は見なくなった。それにより表層世界の異変もなくなり元に戻ってくれた。いいことである。毎朝無力感に起こされることはなくなったのだから。まったく、なにが悲しくて何度も良心叩かれて起きなくちゃならないのよ。

 そんな、寝る度におなじ夢を見るという習慣を失った私は数日後、市バスに乗りながら見知らない街並みを窓から眺めている。日曜日の昼過ぎ、快晴の空は眩く新鮮な光景をさらに輝かしいものにしてくれる。

 けれど。私の胸には重石があった。ほんと、鉛でも飲み込んだんじゃないだろうかというくらい、胸が重い。そんな緊張を紛らわすように、私は窓から外の景色を見続ける。窓に反射した私の顔は、少しだけ固くなっていた。

 ええい、なによこれくらい! ホワイトと一緒にタクシー乗った時の方がよっぽど緊張したわよ。だから大丈夫、緊張しないでアリス。

 目的地に到着し、私はバス停へと降りた。私の県から一つ離れた場所で、ここには来たことがない。歩道に立ち、とりあえず右に左に視線を動かした後、スカートのポケットから地図を取り出してみた。

「えーと、ここが沢尻運動場前だから、こっち? いや、……あっち?」

 うーん、難しいわ。地図とにらめっこしながら眉間に皺が寄る。とはいえこちとら黒い世界で何年も人を探してきた身。こんなことで挫ける私じゃないわよ。簡単簡単、イージーモードよこんなもの、黒い世界で鍛えられた私の本気、見せてやる!

 一時間後。

「どこよここ……」

 迷った。

 が。

「はあ……はあ……、ようやくかあ~!」

 疲れた、本当に疲れた。息がしんどい。

「てかすぐ近くじゃん!」

 あれから地図を頼りに目的地を探して回ったわけだがいっこうに見つからず、私は完全迷子だった。最後なんて辿り着くどころか帰れるのかも不安になってきた頃、タクシーを見つけた私はこの際だからと運転手に道を聞いてみたのだ。そしたらびっくり、まったくの反対方向。最短なら十分もしない場所にあった。私の一時間は徒労というわけですか。そうですか。

「まあ、苦労はしたけど」

 私は息を整えて、一軒のお家の前に立った。ここに来るのは初めてだけど、胸が引き締まる。目が、一つのものに止まる。

 岡島の表札。小学生の頃、転校してしまった私の友人。その家だ。

 私はゆっくり息を吐いて、表情を引き締めた。そして門に備えられているインターホンを押す。

「はーい」

 返事はすぐにやってきた。インターホン越しにではなく、扉が開く。そこから私と同い年くらいの女の子が現れた。

「あ」

 声が漏れてしまう。その子の容姿が、あまりにも似ていたものだから。

 活発そうな黒い髪のショートカット。目は丸くて体はスッとしてる。Tシャツにホットパンツという普段着で、見るからに元気そうな女の子。扉から顔を出した彼女は私を見て顔を少しだけ傾げる。見知らない、同年代の子に戸惑っている感じだ。そんな彼女へ、私は門の外から、勇気を出して声をかけてみた。

「あの、岡島祈さんですか?」

「えっと、そうですけど」

 やはり本人だ。変わってない、見た目は全然。私はちょっとした感動を胸に、けれどため込んだ緊張を、本人へと突き出した。

「私は、黒木アリスっていいます。覚えてますか、小学校の三年の時、同じクラスで」

「ええー!」

 すると岡島さんは大声を上げ扉から駆け寄ってきた。表情を驚きと共に輝かせて。すぐに門の扉を開けて私の前に立った。

「覚えてる! 覚えてる! アリスちゃんでしょ? 久しぶり~」

 うわ、めっちゃ歓迎されてる。両手まで握ってきた。

「私のことよく分かったね」

「だって、全然変わってないもの。髪型とか雰囲気とか」

「そうかなぁ?」

「そうだよ」

 ちょっととぼけたような仕草。けど、すぐに岡島さんは顔を明るくして私を見てくる。 

「まあ私はそうかもしれないけど、でもアリスちゃんは変わったよね。前とは違って驚いたよ」

「え、そ、そっかなあ~?」

「そうだよ!」

 楽しそうに笑ってる。なんだか恥ずかしい。照れ隠しに、離してもらった両手で頭を掻いたり手を横に振る。

「前よりも大人っぽくなったし」

「そんなことないよ~」

「それに明るくなった」

「そんなことないって~!」

「可愛くなった!」

「いや、それは前からかな」

「あ、そ、そっか」

 六年ぶりの再会に舞い上がってしまう。けれど。私は楽しい雰囲気を固くさせ、表情も引き締めて、目の前にいる岡島さんを真っ直ぐと見つめた。

「あのね、岡島さん。実は、今日ここに来たのには理由があって」

 私の改まった言い方に岡島さんが目をキョトンとさせる。そんな彼女へ、私は言う。

「三年生のころ、岡島さんの靴が隠されたことあったよね。あれ、実は私だったの」

「え? そうなの?」

「……うん」

「へえ~」

「ごめんなさい!」

「え!?」

 私は思いっきり頭を下げた。腰を九十度曲げて。これで許してもらえるなんて思えないけど、でも、出来るだけ誠意を示す。申し訳ない思いを全面に出して、私は頭を下げた。

「いや、え~と」

 なんだけど、叱咤の言葉はすぐには来なかった。というより、おどおどしているような。恐る恐る顔を上げると、案の定岡島さんは戸惑っていた。

「そうだったんだ……。でもあれでしょ? あいつらに脅されたとかでしょ?」

「うん、でも私はあなたにひどいことをしたから」

「まあ、それは~……」

「だからお願いがあるんです!」

「だからお願い? ん、どういうこと?」

「私を殴ってください!」

「ファ!?」

 私は体を起こし、真正面からお願いした。

「ちょっ、何言ってるの? 出来ないよそんなの」

「どうしても?」

「ムリムリ」

「分かりました」

 けれど岡島さんは顔を振って頑なに拒んでいた。しかしこうなるだろうと思っていた私は、最後の手段に打って出る。

「自分で殴ります」

「ええー!」

 右手を持ち上げる。そしてん~と気合を入れて、私が作ったこの握りこぶし、それを私の顔面に!

「待って待って! なんでそうなるの? 止めてよ、なんか怖いよ!」

「でも」

「アリスちゃん」

 私は自分の手で罰を与えようとするのだが、けれど右手は岡島さんに止められてしまった。

「反省したい気持ちはすごく分かった。そのためにここまで来たことも。アリスちゃんはどうしても、自分が許せないんだね」

 両手に包まれた右手が、ゆっくりと下ろされる。岡島さんは神妙な顔つきで、私をじっと見つめる。

「でもね、私は気にしてないよ。転校したのだってお父さんの転勤のせいだし。私は怒ってないし恨んでもない」

 そういう彼女は落ち着いていて、けれど真剣で。私の罪科を罰しようなんて気は少しも感じない。おまけに。

「友達、でしょ?」

 最後には、笑顔でそう言ってくれたのだ。それが嬉しくて、だけど申し訳なくて。私は素直に受け取ることが出来ない。

「で、でも……」

「それよりも私が許せないのは、私の大切な友達を殴ろうとするその悪い手よ」

「え?」

 え、なに? どういうこと? 訳が分からず戸惑っていると、岡島さんは私の右手を持ち、いきなりつねってきたのだ。

「こら、アリスちゃんをいじめるな!」

「イタタタタ! 痛い! 痛い!」

「反省する!?」

「します、します! しますから!」

「よーし」

 けっこう本気だった。左手で擦るが手の甲がじんじんする。いたい。まだいたい。

「だめだよ、女の子が顔を殴るなんてさ。せっかく可愛い顔してるのに」

 岡島さんの声に振り向く。そこには元気で明るい、屈託のない笑顔が待っていた。

「これで、仲直りだね」

 そして、私に手を差し出してきた。私は少しだけ逡巡するが、彼女の笑顔に導かれて、

「うん」

 その手を、しっかりと握ったのだ。

『良かったですわね、アリスさん』

「え?」

 私は振り返る。今、たしかに彼女の声が聞こえたような……。

「ん? どうしたの?」

「あ、ううん、なんでもない」

 けれどそこには誰もいなかった。聞き間違い、かな?

「ねえ、まだ時間あるんでしょう? 部屋入りなよ、話したいこといっぱいあるしさ」

「え、いいの?」

「当然じゃない。それに、私のことは祈でいいから。さんなんて堅苦しいしさ」

「うん。よろしくね、祈」

 そして私は祈の部屋にお呼ばれして入ることにした。門を通って玄関へと、祈と一緒に向かっていく。

「そういえばアリスちゃんは今どこの学校通ってるの?」

「え、純徳学園だけど?」

「うそぉ!? 私もそこよ!」

「え!? だってクラスは?」

「四組」

「あ、棟別じゃん!」

「うわ~、奇跡だよ」

 私たちは六年という空白を感じさせないほど自然に話していた。それからはいろいろ喋って、まるで昔のころのよう。懐かしくて、楽しかった。

 私が帰ることには空は茜色に染まっていた。連絡先は交換して、休み時間は遊びに行くよなんて約束も交わして。よかった、ここに来て。私はすっごい充実感と共に家を後にした。

 そして帰りのバス停が見えてくる。全体的に赤味がかった街の中、しかし、そこに白い男が立っていた。

「ホワイト!?」

 なんでここに? 驚きすぐさに駆け寄る。ポケットに両手を突っ込んだまま、微動だにせず、まるで私を待っていたかのよう。そんな彼が私を見るなり口を開く。

「六年ぶりに突然現れ、なにを言うかと思えば殴ってください、か。迷惑だな」

「うっさいわねー、仕方がないじゃない、それくらいしないと駄目だと思ったんだから。なによ、わざわざそれを言うために出てきたの?」

「そうだ」

 こいつ……。なんであんたはそんなに嫌な奴なの? 

「だが」

 けれど、ホワイトはいつもの表情のまま私を見下ろし、意外な言葉を送ってくれた。

「良かったな」

「え?」

 なにが良かったのか、そこまでは語らない。けれど分かる、彼の気持ち。

「ええ」

 清々しい笑顔で、私は彼の言葉に応えた。けじめをつけられたこと。仲直りできたこと。過去を清算して、私は新しい明日を進んで行く。

 私は笑顔で、ホワイトはいつものつまらなそうな顔をして、夕日に照らされる。地面には二人の長い影が伸びていた。二つの影が、重なるように。

 そこへ、ちょうどやって来たバスが見えてきた。

「それじゃ私は帰るけど、あんたはどうするの? てか、まさかあんたもバスで来たの?」

「馬鹿を言え。本能に空間という概念はない。俺はこの世界のどこにでもいるし、どこにもいない。強いていえば、お前の体の中に常にいる状態だな」

「ちょっと待って! どうりでどこにでも現れると思ったら、やっぱりあんたストーカーじゃない!」

「違う、お前は何を聞いていたんだ。俺は――」

「はいはい、分かった分かった」

 私は聞く耳持たずホワイトの横を通ってバス停の前へと歩いていく。そんな私に納得いかないのか、抗議をしたそうに睨んでくるホワイトをふんと鼻で笑ってやった。

 バスが到着し、私は乗り込んでいく。その途中。私は何気なく背後の彼へと言ってやる。

「このストーカー。でも、たまになら顔出してもいいからね」

「ん?」

 振り返り、ホワイトと目が合う。怪訝そうに私を見てくるが、ホワイトは目を瞑り、ふんと鼻を鳴らした。

「阿呆。お前に危害がない限り、誰が現れるものか」

 そう言ってホワイトは踵を返して去って行く。そんな背中を見送りながら、私はふっと微笑み、バスの中へと入っていった。席に座り窓から彼を探してみる。けれど、そこにはもう、彼の姿はいなかった。

「ありがとう、ホワイト」

 誰にも聞こえないように、私は囁く。どこか、彼がまだ近くにいる気がする。ううん、きっといるのだろう。そんなあなたに伝わるかは分からないけれど、本当の気持ちをここで呟いておく。だって、それで十分よね。私はあなたのことを、もうちゃんと知っているもの。

 夕暮れに染まった街をバスが走り出していく。私は視線を窓に向け、外を眺める。

 知らない風景。けれど、どこにでもある光景。これらの中にどれだけの特別があっても、私は普通だと思って気づかない。けれど、私が知らないだけで、ここにもきっと、いろいろな特別があるのだろう。

 だからこそ思うのだ。

 この世界は普通だけど、普通じゃない。見方を変えるだけでこの世界は平凡で退屈なものから、特別なものへと姿を変える。もし退屈な日常から抜け出したいのなら。

 ワンダーランドへの入り口は、すぐ近くにあるのかもしれない。

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