第24話 日常 


 課長の電話口での言葉はハッタリではなかった。


 出社すると薄ら笑いを浮かべた課長に翌日締めの仕事を早速押し付けられた寝目田は、徹夜してなんとか間に合わせる羽目になったのだ。


 いつもの灰色の日常が戻ってきた。

   

 仕事に追われてる間は罪悪感も紛れ、夢の女も関係ない。

 納期だけが絶対的存在。

 逆にそれ以外のことは考えなくてもいい。


 結局、それが寝目田にとって楽なのだろう。


 なんとか納期に間に合わせ、そのまま通常出勤に移行した寝目田は、徹夜明けの謎のハイで乗り切る。

 この頃には、もう寝目田の頭の中から開ノ戸家での一連の出来事は消えていた。


 いつものように遅い時間に電車に乗り、最寄りの永美川駅で降りる。

 電車の最後尾に乗っている間は、さすがに財布のことを思い出してチクリと胸の奥が痛んだが、それもすぐに寝目田は忘れた。


 それ以上に、寝目田はとにかく眠たかった。


 仕事から解放されると、今まで抑えていた眠気が自分を思い出せと主張してくる。

 そんなとき寝目田は欲求に逆らわないことにしている。


 社会人になってからは、こんなサイクルは何度も経験しているので、寝目田は電車で運良く座席に座れたときには鞄を上手く両手で持って終点まで気持ちよく眠ることができるようになった。

 終点に着く頃にはきちんと目を覚ますし、鞄に他人が手を触れようものなら、すぐに気づくことが出来る。社畜の悲しき性なのか、そんな技さえ、いつしかマスターしていたのだ。

 だから今日も座れた時点で、寝目田はこのサイクルへと移行することに決めた。


「次は終点、永美川駅。永美川駅。電車はここで車庫に入ります。どなた様もお回り品をご確認の上……」

 

 ――そろそろか。


 座席から立ち上がった寝目田は、もはや無意識の動作で電車を降りて駅の改札へと向かう。



 そしてこれまたいつものように改札を抜けると――そこは無人の世界だった。


 夜のとばりが落ちた、誰もいない町。


 永美川駅は、それほど昇降客数の多い駅ではないが、無人であったことなど一度もない。しかもこの時間、飲食店――すくなくとも飲み屋では酔っ払いの歓声が聞こえてくるのに、それもない。


 駅前の幹線道路にも車は一台も走っておらず、街灯だけが寂し気に佇んでいる。

 そこには家々の明かりは灯っているのに、静まり帰った街が広がっていた。


 (……なんだこれ)

   

 何か非常事態でも起きたのかと、寝目田はスマホを確認する。

 しかしスマホはネットと繋がっていなかった。

 

(とりあえず家に帰って、ひと眠りしても異変が続いていたら、考えるか……)


 違和感を覚えつつも、それよりも睡眠欲の方が勝っていた寝目田は自宅へと急ぎ足で向かう。


 道すがら誰にも会うことはないままだが、それでも寝目田はさほど気にすることはなかった。それより疲れと眠さでとにかく家で体を休めたい――その一心だった。


 ようやく自宅付近まで辿り着いた寝目田は、習慣でいつものように行きつけのコンビニに入る。

 するとやはり電灯は付いているものの、店内には客はおろか店員すらいない。


 それに気づくと、手にした弁当を見て、寝目田は少し逡巡する。


(ああ、もう死ぬほど疲れているのに、なんなんだよ、全く!)


 これでは支払いが出来ない。

 普段の買い物は現金支払いにしている寝目田にセルフレジを使用するという選択肢はない。


 一瞬カウンターにお金だけ置けばいいかとも思った寝目田だったが、視界の端に

監視カメラが映ると、速攻で安易な考えを捨てた。ただでさえあの財布の件があり、しかも自白までしたのだ。これ以上罪を増やすのは、リスクが大きすぎる。


 寝目田はチッと舌打ちをすると、空腹で鳴る腹を持て余しつつ、弁当を元の場所に戻すしてコンビニを出た。


(はあ、でも空腹のまま寝るってのもなあ……)


 思いがけないストレスをぶつける様に寝目田が手荒な動作で頭をかきむしると、

ドンと何かにぶつかった。


「いたっ……なんだ……よ」


 文句を言いかけた寝目田はそれ以上続けることが出来なかった。


 そこには前方に項垂れた姿勢の女がいた。


 長い黒髪が前に垂れ下がり表情は見えず、白い服を着ていることしかわからない。

 だがその服に、寝目田は確かに見覚えがあった。   


 そんな寝目田の考えが伝わったかのように、目の前の女がスローモーションのようにゆっくりと顔を上げていく。


 ――その顔は、ひどく崩れていた。

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