第25話 ただ一つの明かり
「…………!」
寝目田が声にならない悲鳴を上げると、それが合図かのように一斉に
周囲の明かりが消えた。
寝目田はただ本能に導かれるようにその場を駆け出した。
とにかく家に帰ろう。
暗がりの街の中をひたすら走る。
だがようやく自宅マンションの自室のドアまで、後わずか数メートルの
距離まで来たとき、寝目田の前に再びあの女が姿を現した。
先ほどと同じく前に頭を傾けた姿勢。
それも寝目田の部屋のドアの前だ。
これでは部屋には戻れない。
寝目田は当てもないまま、暗闇の街に戻るしかなかった。
しかし街をいくら駆け回っても、ようやく女を巻いたと安堵しては
思い出したかのように現れる。
無我夢中で逃げ続けていると、唯一明かりの付いた家があった。
助けを求めて無我夢中でそこに逃げ込むと、聞き覚えのある声が寝目田
を迎えてくれた。
「おお、これは驚いた。君のほうからこちらに来てくれるなんて……!」
「はあ?」
その家はあの爺さん――「開ノ戸」の家だった。
「この人が、お前の言っていた人なのか?」
前と同じく人の好い笑顔を浮かべた開ノ戸の後ろから、開ノ戸と同年代くらいの
細マッチョな男性が出てきて探るように寝目田を見る。その奥では、袈裟を着た年配の僧侶が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
細マッチョのぶしつけなその視線に反発を覚えながらも、ようやく「普通の人
たち」に会えたことに、寝目田は心底ホッとした。
三人は洋間の応接室でソファーに座って、お茶を飲んでいた。
部屋にあるテレビからは、お笑い芸人のはしゃぐ声も聞こえてくる。
そこではいたって普通の家庭の光景が広がっていた。
「ああ。どうだろう……?」
開ノ戸の問いに答えることなく、細マッチョな男性はただ一言、寝目田に厳かに言った。
「……挨拶」
「え?」
「だから挨拶。人と人があった時には挨拶をするんだよ。今どきの社会人は、そんなこともできんのか?」
いきなり厳しい顔つきで細マッチョの男性に叱られた。
社外で叱られるなんてほとんどなかった寝目田は、その勢いに呑まれて無意識の
うちに従ってしまう。
「あ、えっと、こんばんは……」
「……ふむ。素直ではあるようだな」
「…………」
寝目田が状況に追いつけないでいると、細マッチョは一方的に語りかけてきた。
「今、どんな仕事をしているんだ?」
「やってみたいことはあるのか?」
「人生の目標は何なのか?」
うるせえなと思いながら寝目田がいい加減に答えていると、真剣に答えろとまた
怒られた。
仕方なく眠気の抜けきらない頭をフル回転させて寝目田は答える。
この謎の面談は30分ほど続き、細マッチョの圧に負けて強引に連絡先を交換すると哀れな社畜はようやく解放された。
やっと終わったと安堵した寝目田は、「疲れているからかも知れないっすけど……」と前置きをして、この家に逃げ込むまでの悪夢のような出来事を話した。
万が一にも開ノ戸はじめ三人だけが異変に気付いていないだけで、この家を出たらすぐにまたあの女と遭遇なんてごめんなので警告のつもりで寝目田は打ち明けた。
しかもここには僧侶もいる。
こういったことは得意分野だろう。
「そうか……。やはり竹子さんが……」
しかし予想に反して、しみじみと感慨深くうなづく開ノ戸。
それに今まで空気だった僧侶も同意する。
「開ノ戸さんが真実を明らかにしてくれたことに感謝しているのでしょう。今までのことといい、義理堅い人なのですね」
そう言って僧侶が教えてくれたのは、開ノ戸と竹子という不運な女性との奇妙な絆の話だった。
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