第22話 付き添い


「お兄さん、すまないねえ……」


 布団から弱々しい声で言われて、思わず寝目田は目を反らした。


 結局、成り行きと出社したくない気持ちとで、寝目田は救急車に付き添った

挙句、自宅まで男性を送っていくことになってしまった。


 別に人が好い訳ではない。

 全部成り行きだ。

 他に付き添いもないので、病院では半ば家族扱いされたので、別れるタイミングを逃しただけだ。


 尋ねたいこともある。

 それに――自分は御礼を言われるような、そんな人間ではないのだ。


「別に……成り行きみたいなもんなんで」

 

 不愛想にそう言うと、寝目田は手を合わせていた仏壇の前から立ち上がった。

 開ノ戸というこの男性の家は、田舎の一軒家という風情のどの部屋も広々と開放感のある間取りだった。


 今いる和室も寝目田の住むワンルームの2倍以上はある。そして布団を敷いても

まだ余っている空間には、立派な仏壇が置かれていた。


 仏壇を目にした寝目田は柄にもなく「仏さまにご挨拶をしたい」などと理由をつけて、さり気なく仏壇の遺影を確認する。


 遺影には優しそうに微笑む高齢の女性が写されていた。

 夢に出てきた女ではない。

     

 (それなら、あの女は一体……)

 

  結局、寝目田が一番知りたかったことは、わからず仕舞い。

  とんだ骨折り損だ。


「じゃあ、俺、そろそろ会社に行かないといけないんで」

 

 医者の見立てでは、開ノ戸が倒れたのは最近罹った感染症の後遺症で既に病院

で処置したので、後は家で安静にしていれば良いとのことだった。


 ――何度も訪ねても開ノ戸に会えなかったのは、感染症で入院していて家を

留守にしていたからだったのか。


 病院でそれを聞いて、寝目田は内心納得した。


 仏壇で奥さんの顔も確認したし、時間的にさすがにそろそろ出社しないとまずい。

 一応コンビニで食事を買うのも手伝ってやったし、もういいだろう。

 義務は果たした。


 そのまま寝目田が部屋を出ていこうとすると、開ノ戸に再び呼び止められる


「行くって、今朝電話していた会社にかい?」


「あ? そうっすけど」


「その……大丈夫なのかい? 電話の様子だと、随分と乱暴な会社みたいだった

から……」


 倒れている間も、かすかに電話口の会話が聞こえていたらしい。


「さあ……こんなもんじゃないっすか?」


 数年も勤めているのだ。

 寝目田も今の会社がいわゆるブラック企業であることは自覚している。

 しかしだからといってやめたいとか、転職活動をして次に備えようとは思っていない。悪い意味で過酷な環境に順応してしまっているので、大事になるのが面倒なだけだ。思考を放棄していると言ってもいいだろう。


「あ、待ってくれ。せめて何か御礼をさせて欲しい。今はちょっと体調がアレだから、またの機会にでも……。連絡先を教えてくれないか?」


 開ノ戸は一人暮らしで寂しいから話し相手が欲しいのか、義理堅い性格なのか、

なかなか帰してくれない。


(俺はそんな礼をされるような人間じゃない……頼むから、もう帰してくれ!)


 はっきりとそう口にしたいくらいだったが、寝目田はグッと堪えた。


「いや、大したことしていないんで。……お大事に」


 それだけ言うと、寝目田は開ノ戸に背を向けて玄関に向かう。


 しかしその背中に向けて、なおも開ノ戸は言葉を投げかける。


 正直「もう勘弁してくれ」と寝目田は思ったが、興奮させて無理に立ち上がろうとした開ノ戸がまた倒れでもしたら、先ほどの二の舞だ。仕方なく背を向けたまま、

寝目田は寝室が面している廊下の前で足を止める。


「それなら良い条件の仕事を紹介させてはくれないか? 君もまだ若いのだから、

環境の良い職場で伸び伸びと仕事をした方がいいだろう」


 先ほどからお人好しな性格が見え隠れする開ノ戸の言動は、無自覚に寝目田の心の奥を突き刺していたのだが、この言葉が引き金となり寝目田の中で何かが弾けた。


「あのさあ、あんた、誰にモノを言っているのか、本当に分かっている? あんたの財布盗んだの、俺だよ。そのせいで節約生活をすることになって、挙句の果てに感染症になって入院したんだろ? それなのに礼がしたいって、おかしいだろ!」


 病院で医師との会話から聞かされた内容は、そのまま寝目田の罪悪感をチクチクと刺すもので、身の置き所がなかった。


 もちろん寝目田も悪いのは自分だと自覚はしている。だからこそ盗んだ後も結局中身を使う気にはなれなかったし、女の霊が夢に出れば、気になってこの家まで来てしまった。


「そ、そうだったのかい……。それで、どこか様子がおかしかったのか」


「わかったら、通報するなり好きにしろ。じゃあな」


 なんだ。そんな話なら聞かなければ良かった。

 盗んだ財布のことだって、結局1円も使わないまま、夢の女が怖くて電車の隅に

置いてきてしまった。


 何も得をしなかったのに、聞かれてもいないのに自白するなんて、本当にバカみたいだ。

 ――これまでのいつまでも灰色がかったパッとしない人生が、寝目田の脳内で走馬灯のように流れる。


「それじゃあ、どうして私のために救急車を呼んだのかい? 君が自分のことをどう思おうと、私は根は優しい子なのだと思うよ」


「……おめでたい爺さんだな。本当にもう帰るからな」


 この開ノ戸という男性は無自覚に罪悪感を煽ってくるからタチが悪い――半ば八つ当たりだと自覚しながらも、寝目田は腹の奥でくすぶる炎を持て余しながら、ガラガラと大きな音を立てて引き戸を開けて玄関から出て行った。

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