第16話 曰く


「女と子ども……ですか」


 急に表情の変わった住職の息子を見て、富子は急に不安になる。


「あの、何か心当たりでも……?」


 富子の質問に彼は「いえ……」と少し躊躇ちゅうちょした後、少し考えてから「あくまでこれは昔話なのですが……」と前置きをした上で教えてくれた。 


***


 開ノ戸さんの敷地は確かに、この安鎮寺の所有するものです。

 それには一つ理由があります。

 

 戦前、明治から大正のころでしょうか。半ば伝説のような昔話として聞いて欲しいのですが、あの土地はここら一帯の土地を所有する地主のものでした。


 当時地主の息子には、年若い妻と子がおりまして仲睦まじく暮らしておりました。

 ですが戦争に取られた息子が亡くなり、そのショックでご両親も相次いで亡くなってしまい、残されたのは若い妻と小さな子どもだけとなってしまったそうです。


 未亡人となった妻にも実家はあったのですが、折からの不況もあって頼ることが

できず、子どもと二人で住み続けていたそうです。もちろん財産は相続しているので

食うに困るということはなかったのですが、随分と切り詰めて生活していたそうです。


 しかし前途を悲観したのか、未亡人は子どもをあの離れで首を絞めて殺し、自分も

近くの永美川に身を投げてしまった。


 その後、誰も継ぐ者のなくなった土地と家屋はこの寺に流れ着いたものの、曰くのある屋敷のせいか、誰も居つかない。


 そのうちに「この話をした人間のところには、子どもを抱いた未亡人が現れる」

という噂まで流れるようになりました。


 そんな曰くのある土地だったのですが、ある日終つい棲家すみかにと、この辺の土地を物色していた開ノ戸さんの目に留まり、めでたく賃貸契約を結ぶことが出来たという訳です。


***


 住職の息子の話を聞いて、富子も有家も、違和感を覚えた近所の人たちの反応の

意味がようやく納得できた。お化け云々はともかく、初対面の人間に嬉々として

伝える内容ではない。


「開ノ戸さんは、その話を……?」


「もちろん知ってました。家をお貸しする前に、開ノ戸さんと……当時ご存命で

いらっしゃった奥様に説明して、ご了承いただいてから契約を結んだそうですから」


 住職も家を貸したは良いものの、すぐに引き払われてしまっては、それみたことかと噂に尾ひれがついて一層借り手が付かなくなってしまうと、慎重に事を運んだのだという。


「でも、どうして開ノ戸さんと奥さんはそんな家……いえ、あえて曰くがある家に

住もうと思われたのでしょうか? そういう類の話を一切信じないという方たち

なんですか?」


 解せぬとばかりに、有家が尋ねる。

 youtuberでもあるまいし、あえてそんな曰くのついた家に住みたがる理由が、富子にもさっぱり見当がつかず、同じ疑問をもった。


「……気の毒に思ったそうです」


「気の毒?」


「はい。追い詰められた母も殺された子どもも気の毒だ。だから死んでまで恐れられている二人を慰めてあげたいと……慈悲深いご夫婦だった――と住職から伺っております」


 それが証拠に、毎日子どもが殺されたという離れの前に、開ノ戸さんは花を供えて母子の霊を慰めているのだという。


「私も何度か供えられた花を見たことがあります。本来まるで縁のない魂にここまで

心を寄せることなど、なかなか出来ることではありません。情け深い、優しいお人柄だと私も思います」


 どこか遠くを見るような眼差しでそう語る彼は、剃り上げた頭と身に着けている

作務衣の効果もあるのか、本来の年齢よりもずっと落ち着いた雰囲気をまとっているように富子は感じた。


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