第14話 離れ


 やはり返答はない。


 駅前で時間を潰すこと一時間。

 そろそろ誰かいるだろうと、富子はもう一度例の家を訪ねてインターホンを鳴らしたが、またもや返答はなかった。


 太陽は既に高く上がり、そろそろお昼時に差し掛かろうとしている。

 今日一日は予定がないので、時間的には構わないが、それでもさすがにもう一度坂を往復するのは面倒だ――横着だなと自分でも思いながらも、なかなか駅に戻る気になれずにいると、後ろから声をかけられた。


「あの、そこのお宅の方とお知り合いですか?」


「え? いえ……」


 いきなり声をかけられて、柄にもなく富子は口ごもってしまう。

 声をかけてきたのは背筋の伸びた、スラっとした爽やかな若い男性だった。

 ガタイは大きいがあどけない顔をしている。

 富子の娘、優良よりも若いくらいの年齢だろう。


 この家の家主とは、富子はおろか優良も紗矢も直接の面識はない。

 とはいえ、優良の主張する心霊話を見ず知らずの人間に話すというのも気が

引ける――どうしたものかと男の表情を気にしながら富子が考えていると、男は反対に自分が怪しまれていると受け取ったのか、自ら口を開いた。


「そうですか……すみません、変なことを聞いてしまって。私はこちらのお宅に住んでいる男性の落とし物を預かっている者なのですが、なかなか取りに来ないので心配になって、昨日から様子を見に来ているんですよ」


 頭を掻きながら青年は困ったように言う。

 染めていない黒髪は短髪で清潔感があるし、言葉遣いも丁寧で、気遣いも出来る。

 なかなかしっかりとした青年だと、富子は感心した。


「まあ、そうだったんですか。若いのに、随分と心配りが出来るのねえ。私は、娘と孫娘がね……」


 青年が先に打ち明けてくれたので、 富子も「女と子ども」については上手に

避けて「孫娘が勝手に離れに忍び込んで、それを追って母親である自分の娘が無断で離れに入ってしまった」と事情を説明する。

 そして1時間ほど前にこの家に来た時にも家人は姿を見せてはくれなかったと愚痴交じりに打ち明けた。


「……どういうことなんでしょうね」


 忘れ物をしたという場所は家からそれほど遠くないのに1週間近く放置している

こと、また最近はそれほど高齢ではなくとも孤独死している場合があると聞いたことから、職務範囲を超えているとは思いつつも、青年は気になっているのだという。


「車の上のほこりとか、庭の様子からすると、ちょっと前まではきちんと手入れされていたのに、最近になってから手を入れなくなったように見えるわね」


 玄関脇にある車庫は、壁のない柱と屋根だけのカーポートなのだが、そこに

停められている乗用車のルーフには、風で飛んできた落ち葉や埃が積もり、門から

でも気が付くほど汚れている。


「あ、なるほど……。 いやあ、さすが女性は視点が違いますね。僕なんかはちっとも気づかなかったなあ」


 そう言うと、青年は再び頭を掻いた。

 気さくで話しやすい青年に、富子も一人で来ていた物寂しさもあって、ひとしきり話込んでいると、少し離れた場所にある二軒隣の白い一軒家の玄関から女性が顔を

出した。


 髪を明るいブラウンに染めたボブヘアーの40代くらいの女性だ。シンプルな七分丈のブラウスに黒いパンツを履いたラフな格好で、手には何も持っていない。

外に用事があるから出てきたという感じではなく、純粋に様子見だと富子には

分かった。


 話し声が煩かったのか、見慣れない人間たちが物珍しかったのか、どちらにしろ

歓迎されてはいないのだろう――そう考えた富子は、トラブルにならぬよう女性に

向かって一礼した。すぐにそれを察して青年も遅れて一礼する。

 

 すると話すきっかけと判断したのか、女性がサンダルを履いて、こちらまでやってきた。


「あら、どうかされました? ここらの人じゃないみたいだけれど?」


 見慣れない年配の女と若い男の組み合わせ。しかも顔や体型も似ていないと

なれば、不審に思われるのも無理はない。女性も探りを入れているのが、丸わかりの

質問を投げかけてきた。


 どうしたものかと富子が横にいる青年と顔を見合わせると、彼は少し困った顔を

している。先ほどは成り行きで富子に打ち明けてくれた落とし物云々の話は、本来は関係者以外に無暗に漏らすべき話ではないのかもしれない。

 それなら仕方ないと、富子は自ら率先して理由を話した。

 

「実はこの離れで……」


 孫と娘が無断で他人の敷地に入ったことになるのでバツが悪い思いがするが、

先ほど青年にしたのと同じ説明を富子はかいつまんで話した。ここらに住んでいる

わけではないらしい青年とは異なる反応が返ってきそうで、話し終わった富子は

女性の次の言葉を緊張の面持ちで待った。


 すると「それって、まさか、あの離れのこと?」


 意外にも女性は「離れに無断で入ったこと」よりも、「離れ」自体に関心を持った

ようだ。「ええ」と富子が肯定すると、独り言のように「あんな場所に子どもが一人でねえ……」と呟いた。そして次の瞬間、女性は今度は青年に水を向けた。


「それじゃあ、そこのあなたは娘さんの旦那さんってこと? お義母さんと一緒に

挨拶に来たの?」


「あ、いえ、私は……」といきなり話を振られて驚いた青年は、結局この家に来た

理由を話す羽目になってしまった。


「実は私も最近、開ノ戸さんの姿、見てないのよねえ……」


 女性はここ最近の記憶を手繰り寄せていたかと思うと、視線を離れに定め、

「やっぱり魅入られちゃったのかしら……。無暗矢鱈と優しくするっていうのも、

考えものなのかもしれないわね……」と意味深な言葉を呟く。


 気になって富子が詳細を尋ねようとすると、横から富子より20歳は上に見える

女性が割って入ってきた。


「ちょっと由美子さん! その話は……!」


 しかし由美子さんと呼ばれた女性は、一向に口を閉じようとはしない。

 頭に浮かんだことは、とりあえず全て口に出すタイプらしい。

 ある意味、裏表がなくて分かりやすい性格だと富子は思った。


「あっ、お義母さん! だって開ノ戸さん、ずっと離れのことを気にかけていた

のに、奥さんは早くに亡くなっちゃうし、大金も落としたって聞いたから、他人事

ながら私、理不尽に思えちゃって……」


「もう、あなたはいつも口数が多すぎるの! さあ、もうお話はおしまい! 

帰って昼ドラの続きを見るわよ。お茶請けの用意、お願いね!」


「あっ、忘れてた! 今日は私の番だった!」


 由美子さんが急いで家に駆け戻っていく。

 その後ろ姿をひとしきり見守った姑が、富子たちの方に向き直ると「開ノ戸さんの家は借家でね。大家はそこの角を曲がった先にある『安鎮寺』。何か尋ねたいことがあるのなら、そこで聞いて」と言い残すと、自分もそそくさと家へ戻って行った。

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