第7話 お迎え


 格子戸の中に入ると、外観とは反対に綺麗に磨き上げられた上がりかまちと奥へと

続く廊下があったが、男の子はどこにも見当たらなかった。


 すぐに男の子の後に続いたはずなのに……と不思議に思いながらも、綺麗な内装

に少しホッとした紗矢は恐る恐る上がり框に腰かけて靴を脱ぐと、廊下伝いに奥へ

と向かう。

 すると奥には立派なお座敷が広がっていた。

 

 ふわっと畳から草の匂いがして、紗矢は昔行ったおじいちゃんとおばあちゃんの家を思い出して懐かしい気持ちになる。

 気持ちが過去へと飛んでいると、かわいらしい声が紗矢を現実へと引き戻した。


「おねえちゃん、こっち、こっち!」


 先ほどの小さな着物姿の男の子は座敷の真ん中にある大きな座卓の傍に座って

いて、紗矢が来たことが余程嬉しいのか、歓声を上げて駆け寄ってきた。

 紗矢も嬉しくて小さな頭を撫でると、男の子はきゃっきゃっと声を上げて喜ぶ。


 そうしていると座卓の端に座ってお茶を淹れていたお姉さんが、その光景を見て

嬉しそうに顔をほころばせた。


「与太郎、よかったわね」


 この家まで紗矢を導いてくれた女の人だ。

 駅や道中ではどこか陰のある寂しそうな雰囲気だったが、この家では違った。

 

 女の人の笑顔は「本当のまま」と似て、穏やかで自愛に満ちたものだった。

 それを見た紗矢は母親のことを思い出してしまい、少し悲しくなって下を

向いてしまう。


 するとお姉さんは「紗矢ちゃんも今日は泊まっていくといいわ」と優しく言って、紗矢の頭を撫でてくれた。


 紗矢は「どうして自分の名前を知っているのだろう?」と不思議に思ったが、

こうしている間にも構って欲しい与太郎が抱っこをせがんでくるので、与太郎と

遊んでいるうちに尋ねる機会を逃してしまった。


 与太郎はまだ赤ちゃんとそう変わらない位の年齢のようで、「ずっとここに居て」とぐずったり、自分の欲望に正直な行動をする。それでもお姉さんは「困らせてはだめよ」と優しく諭すだけ。決して怒鳴ったり、キツい物言いをしたりしない。

 与太郎には愛されていることが当然なのだ。


「……いいな。与太郎ちゃんは」


 ぽつりと漏らすと、お姉さんは少し悲しそうな顔をして「夕食を食べましょう」

と促した。

 

 いつの間にか用意されていた料理は、小さな器に少量ずつ詰められた彩り豊かな

料理がお盆にたくさん載せられていて、紗矢は物珍しさもあってワクワクしながら、

箸をつけた。口に運ぶと、料理はどれも彩りだけでなく、味もよく、紗矢はぺろりと

全部残さず食べてしまった。


 その間、お姉さんはボロボロ食べ物をこぼす幼い与太郎にスプーンで食べさせて

やりながら、紗矢の「好きなもの」が何かを尋ね、その話を一生懸命聞いてくれた。

 お姉さんも家のことなど紗矢が聞かれたくないことを尋ねるのではないかと、初めのうち紗矢は少し緊張していた。けれどお姉さんはそういった「紗矢が聞かれたく

ないこと」について決して尋ねることはなかったので、紗矢の不安も少しずつ解けていき、この夕食の時間はとても居心地の良いものになった。


 それでも、与太郎が呼んでくれたとはいえ、紗矢が突然押し掛けたに等しい訪問だ。そろそろ帰らないといけない。窓や時計がないから分からないけれど、この家を訪れてもう1時間は経過している。外はとうに真っ暗だろう――懐いてくる与太郎をあやしながら、紗矢はそんなことを考えていた。


 ――その時、にわかに外が騒がしくなったかと思うと、聞き覚えのある紗矢の母親の声が聞こえてきた。


「紗矢、どこにいるの? 出ていらっしゃい!」


 突然の母親の登場に紗矢は身をすくめる。


「紗矢、いい加減にして! いるのは分かっているの! どうしてそんなにママの

ことを困らせるの? もういい! こんなに心配かけるような子、いらない!」


 母親の言葉に傷ついた紗矢が泣きそうな顔をしていると、お姉さんは座敷の奥のふすまを指差した。そこにはもう1つ部屋があって、襖で半分閉じられていた。


 恐怖ですっかり固まってしまった紗矢に、お姉さんは「あそこにはお布団がある

から、与太郎と先に寝ておいで」と落ち着いた声で言うと、自分は立ち上がって、

戸口の方に向き直った。


 こうしている間にも母親の声はどんどん近くなる。


 怯えた紗矢は与太郎の手を引いて、お姉さんに言われるがままに襖の向こうへと

進む。襖を開くと、そこには既にふかふかのお布団が敷かれていた。


 ここに隠れて襖を閉めてしまえば、母親をやり過ごすことは出来るだろう。

 しかし、それでも心配と好奇心がない混ぜになった気持ちで、紗矢は襖の隙間

から様子を見ていた。


 紗矢を呼び続ける母親の声は徐々に近くなり、とうとう母親の姿が座敷の戸口

までやって来た。


「紗矢! どこにいるの一体! どれだけママに迷惑をかけるの?」


 言葉だけでも、母親のイライラが頂点に達していることが分かる。

 しかしまるで恐れることなく、お姉さんは戸口に立った母親の前に歩み出た。


 母親は紗矢以外に人がいるとは予想していなかったのか、一瞬悲鳴のような声を

上げたが、すぐにいつもの強気な調子を取り戻した。


「あなた、誰? まさかうちの子、誘拐したの?」


「……紗矢ちゃんは、私がもらう。いらないんでしょう?」


 お姉さんは低い声でそう言うと、ガクンと首を横向きに倒し、同時に腕がだらんと投げ出された。


 そして少し遅れて、お姉さんの顔から何かがボタボタと落ちていく。紗矢の位置

からは見えないが、お姉さんの顔を真正面から見てしまった母親は、大きな悲鳴を

上げた。


「まま!」


 思わず紗矢は叫んでしまった。


「紗矢? 紗矢、いるの? どこなの?」


 母親は悲鳴を上げ、お姉さんから目を離せない様子だが、それでもそこから逃げ

ようとはしなかった。


「……!」

  

 母親のピンチに襖を開けて出ていこうとすると、誰かに服の裾を引っ張られる。


 与太郎だった。


「いかないで。こわいんでしょう?」


 真っすぐなクリクリとした目で、与太郎が尋ねる。

 そんな与太郎の言葉に、紗矢は答えた。


 「うん。でもわるいのはさやだから」


 「おこるの、だめ。こわいの、だめ」


 反論するようにそう言うと、与太郎が両腕で紗矢の腰にしがみ付いてきた。

 その力がとても幼児とは思えない力で、紗矢が驚いて振り返る。

 するとしがみついている与太郎と思い切り目が合った。


「……!」


 与太郎の目のあった位置は暗い穴だけになっており、鼻は蝋のようにどろどろ

に溶けている。


 先ほどまでの可愛らしい姿とのギャップに、紗矢は悲鳴を上げて突き放そうと

した。だが与太郎の力は強く、微動だにしない。

 それでも声だけは子どもらしさを失っておらず、先ほどまでと変わらぬその声でゆっくりと言った。


 「ずっと、ここにいて」


 懇願するようなその声と同時に、恐ろしく変貌した与太郎の顔が迫ってくる。

 再び絶叫した紗矢は、そこから意識を失った。 

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