エピローグ 日常を望んでいた日

 寒い満天の星空の下で、私は彼女の残した遺書を読み終えた。何度も何度も必死で思いを伝えようとしている、普段の彼女とは思えない汚い字。私への謝罪の言葉と、これまでの経緯が書かれている遺書は、何度見ても心に槍を刺す。そして、あの時、私がちゃんと気づいてあげていれば、来音を死なずに済ませていたのか……という永久に消えない後悔を植え付けた。

 あのあと、葬式が行われ私も徐々に落ち着きを取り戻した。落ち着いて、人の話を聞いて受け入れるくらいには精神が戻った。衝撃の事実が発覚したあとの私は、氷像や石膏像と言って差し支えない状態で何を言っても無反応だったらしい。必死のカウンセリングと、時間の経過で少し回復した。

 警察の話では彼女は私が飲んだお茶に、彼女に処方されている睡眠薬を入れたらしい。そして、彼女は私が低体温症にならないため、カバンに予め持ってきていたカイロや毛布で私を温めて、病院に自分で通報したらしい。病院には親友が倒れたから、助けてほしいと連絡した。その後、彼女は湖に身を投げて溺死したらしい。桟橋に落ちていた彼女のスマホから彼女が病院に通報したのは間違いないとのこと。

 現場には彼女のカバンが残っていた。中には学校で使う教材以外にも、私宛の遺書と差出人不明の手紙が入っていた。……そう、彼女は私に嘘をついていた。今夜湖に行きたいと言っていた日、彼女は私に内緒で湖に行っていた。そこでポストに手紙を出し、未来を教えてもらっていた。

 返信の手紙の方を広げる。そこには「お前は変わらない。努力しても努力しても、何も変わらない。そのまま、一番の親友の目の前で死ぬ」と詳しく書かれていた。来音は絶望的な未来を教えられ、人生に幕を下ろす決断をしてしまった。何故、彼女が変わらないことに絶望したのか。

 警察が私に事情聴取していると、ある事実が浮上したらしい。彼女の両親は有力者で、その期待と圧力に応えるために彼女はずっと猛勉強していたらしい。睡眠時間を削り、同時に身を削っていたのだ。しかし、成績は変わらず、むしろ下落する毎日。彼女はそんな毎日に焦燥してしまった。そして、彼女はすがった。未来に、縋りついた。

 未来では、変わっているかもしれない。この努力が実を結んで、両親に誇れる自分になっているのかもしれない。だからこそ、この青いポストの存在は彼女の欲望を加速させた。一番の親友の言葉や末路を想像しても、止められないほどの欲望。もう希望は未来にしかない。それが打ち破られ、彼女は全てに絶望して死を選んだ。

 経緯を頭の中で振り返ってみて、私は呟く。空を見上げながら、懺悔の言葉のように呟いた。

 「……私のこと、希望だと思ってくれなかったのかな」

 私が彼女と一緒にいて救われているから、彼女も救われているのだと、この時間を望んでいるのだと勝手に思い込んでいた。でも、実際は違った。彼女は私を居場所として見ていなかった。……私では彼女を救えなかった。無力感と罪悪感、それが私の心を包み込む。

 そして、あの日以降我慢していたはずの涙が溢れ出る。もっと自分が彼女に寄り添えていたら、彼女は今でも笑って生きて、過ごせていたのだろうか。私があの時、違和感を指摘していたら。彼女を無理矢理にでも、手を引いていたら。思えば思うほど、後悔の言葉しか心から出てこない。

 私は地面に泣き崩れる。管理人はもう家に帰ってしまっている、誰もいない真夜中の湖で、私は一人誰にも届かない涙を流し続けている。涙は熱いけど、すぐに冷えてしまう。地面に溶けて消えてしまう。誰も私の涙を拭う人などいない。

 「……もっと、外で遊びたかったよ。もっと、一緒に学校で勉強したかったよ。もっと……一緒に過ごしたかったよ」

 嘆いても嘆いても、現実は非情で彼女が帰ってくることはない。いっその事、今の現実が全て悪夢なら良かったのに。……時間は本当に無情だな。だけど、もう今更現実の非情さを語ったところで、何かが変わるわけではない。私は一つ深呼吸をした。それで、崩れた足が立て直せるほどに力が戻った。

 私は涙をこぼしながら、生まれたての子鹿のように立ち上がる。震える足を頑張って整えて、青いポストを見つめた。管理人は地元で自殺者が出たことをマスコミに報道するつもりらしい。そうしたら、もう未来を見たいなんて若者は出てこないと思っているらしい。ポストへの道もセキュリティを厳重化するらしい。具体的な案はまだ分からないけど、二度とポストに人が近づかないようにするとのこと。だから、私が青いポストの目の前まで来れるのは、今日が最後かもしれない。もしかしたら、今日が都市伝説の最期なのかもしれない。未来に翻弄される人も、きっと今日で途絶えるのかもね。

 私はポストの先にある湖を見た。本当に、彼女が溺死した湖とは思えないほど、湖は綺麗だった。大自然にとって、人一人の命など塵のようなものなのだろうと、悪い想像が頭をよぎる。実際、人間は自然災害にあまり抵抗できない。人間が世界に大きな影響を与えたとしても、自然は人間が生きた証をまるで何もなかったかのように、時間とともに崩れさせる。だからこうやって、来音の死もなかった事のようになる。それが……何人来ようがなかった事になるんだろうな。

 私は歩いていく。青いポストを横切り、体ごと振り返った。青いポストを真正面に視界にしっかりと映した。その目線の先には帰り道がある。暗いけど、行かないといけないという義務が微弱に存在していた。

 「……ごめんなさい」

 その言葉を口にした。それは義務の存在を完全に消し去る言葉だった。妙に心がすっきりとした。帰り道を望むことがなくなった。

 その次の瞬間、私は体の全ての力を抜いた。背中からふわりと落ちていく。すると、目に映る正面の風景には怖いほどに綺麗な星空が見えた。星々があざ笑うかのごとく、元気に流れている。無邪気な子供のように見えて、昔の私達を彷彿とさせる。私はそれに手を伸ばす。楽しかったあの頃を、取り戻したかったなと未練を残して。

 「……綺麗だな」

 そして、私は目を閉じた。瞬間、体全体に冷たいものに包まれた。目を少しだけ開けてみると、星空はぼやけていて見えなくなっていた。代わりに小さい無数の泡が水面に向かっていた。

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星天のポスト 岡山ユカ @suiren-calm

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