第二話 少しの変化を望んでいた日

 次の日、私はいつもの通学路を歩いていく。今日は雪国らしく、穏やかに雪が降っている。雪は私の髪の毛や衣服に付き、叩いてもなかなか取れない。まるで、置いて行かないでと駄々をこねる子供のようだった。電車で来音を待っていると、彼女は昨日よりか少し色褪せた笑顔で私に近づいた。隣に座ったおかげで、彼女の顔の細かいところも見えるようになった。顔にはいつも以上疲れのあとが見える。それを証明するかのように、はっきりと目の下に青いクマが。それに、カバンも妙に重そうだ。

 「大丈夫? 昨日、夜更かしでもしたの? それに、何? カバン重そうだけど」

 私は単純な疑問を彼女に投げかけてみた。彼女は目を開けて、片手で後頭部を擦る。

 「あぁ、分かっちゃった? 昨日の小テスト、私結構点数下がっていたから復習していたの。今日も学校で復習しようかなって」

 昨日の小テスト、そこまで気に病んでいたのかと私は驚愕した。そして、その後ちゃんと同じことを繰り返さないために、復習をしている彼女に感心した。私も自己採点くらいはしているが、大体は間違えた理由を探して解き直しするだけで復習はやっていない。彼女は勉強熱心だなと、心の底から応援したい気持ちが湧き出てくる。それと同時に、不安という気持ちも湧いてくる。無理しすぎて倒れないかという不安だ。ある種の過保護とも呼べる感情かもしれない。

 「偉いね。同じことを繰り返さないために復習しているなんて。でもさ、夜更かししてでもする勉強は頭に入ってこないよ? ちゃんと寝るほうが頭的にも良いんだから」

 実際、睡眠時間を削ってでも学ぶのは効率的じゃない。眠気に見舞われながらの勉強で学んだところを覚えられるわけがない。宿題が終わっていないから、仕方がなく夜更かしするのは理解できるが、無理してまで夜更かしをするのはおすすめしない。体調の悪化にも繋がるし、夜更かしはデメリットだらけである。勉強をするのならベストコンディションの方がいい。

 それを来音に注意した。彼女は困り笑顔でこう話した。

 「……ありがとう。なんだか、未羽は私のお母さんみたいだね」

 「え?」

 「心配してくれるからさ、とっても嬉しいんだよね」

 来音の目線は電車の天井の方を向いているが、そこに輝きはない。何もない虚空をただ意味もなく見つめているような目。そこには桜が散るときと同じ儚さがあった。

 「……本当にどうしたの?」

 「いいや? 私って良い親友がいるなって、感極まっちゃって」

 ふふっと彼女は笑う。陽の光が差し込まないせいか、妙に彼女の笑顔が真夜中のように暗く感じた。

 大丈夫と何回も問いかけてみた。彼女の返答は妙に具体的で、用意された台本に沿うような慣れを感じた。次第に私は来音の強固に底を見えない精神に根負けして、彼女の暗い笑顔を信じることにした。

 学校生活でも、彼女は普通に過ごしていた。だけど昼休み、復習しようと言っていた彼女は、昼ごはんを食べた後、窓の外をじっと見つめていた。私は少し彼女が心配になって、自分の席の椅子を持ってきて、隣に座る。彼女は私が来た事に、何の感情も湧いていないのかただにっこりと笑っただけで、それ以上何かすることもなかった。

 雪が降り続ける校庭をじっと一緒に見つめていると彼女がこういった。

 「未羽は雪が好き?」

 「いきなりどうしたの」

 「雪が降る様子見ていたら、質問したくなって。ほら、雪って好きな人と嫌いな人がいるでしょ? 未羽はどっち側なのかなって」

 窓際で漏れ出てくる冷気を浴びながら、私は考えた。雪という身近なものについて考えたことがなかったからだ。雪についての思い出を振り返ってみる。そうして、一つの答えを生み出した。

 「う〜ん……嫌い……かな? 雨と違ってすぐさま濡れないけど、いつかは濡れるし。雪かきも大変だし、かといって放置すると家が倒壊するかもしれないし」

 「未羽は嫌いな人側か〜」

 「そういう来音はどうなの?」

 「私はね、好きな方かな。眺めているだけでも暇が潰せるし、何より落ちていく様子が綺麗なんだよね」

 外で穏やかに降り続ける雪を見ながら、彼女はそういった。

 「春の桜と似たような感じ。でも、桜よりも儚い気がするんだ。消えるときは本当に一瞬で消えてしまう。桜みたいに徐々になくなっていくのではなく、雪はなくなるときは本当に一瞬。少しでも太陽が出れば、溶け出してしまう」

 「確かにね。……なんか急にポエム読み出して、少し驚いたけど」

 「気分だよ。人は気分屋だから」

 「人間全体を気分屋だと断言しないで?」

 「ん〜……それもそうだね」

 そうして昼休みは終わりを迎えた。校庭では雪遊びをしていた生徒たちが一斉に校舎へと戻っていく様子が見下ろせる。高校生とはいえ、まだ成人していない子供だから、雪遊びする様子は子供特有の無邪気さが出ている。私はその様子を見ていたけど、来音は空の方を向いていた。そこには灰色に染まる雲と花びらのような雪。こんな景色は日常的なものだろうけど、今の彼女にはこの光景が心に刺さっているのだろうか。

 そうして、彼女は一言「じゃあね」と言って、椅子を持って自分の席へと戻っていった。気の所為か、彼女の背中が妙に遠いような気がする。何歩か進めば、容易に手が届く距離だというのに。何万里も離れているように見える。雪の中に溶けてしまうような……そんな背中。

 放課後、今日も一緒に来た道を戻る。その時も、雪が降り続けていた。何だか、誰かが穏やかに泣いているような気がする。そう穏やかに降り続ける雪はそういうものを体現している。何だかそう思えて仕方がなかった。電車を待ちながら、私達は木製のベンチで寒さと戦っていた。

 来音を一瞥した。彼女は昼休みのときと同じで、ただぼーっと雪を眺めていた。だけど、突然彼女は口をゆっくりと開いた。

 「ねぇ、未羽」

 「ん? どうしたの、来音」

 少し視線が泳いで、私に話しかけてきた。彼女は一回深呼吸をして、本題を言った。緊張でもしているのだろうか。

 「……寄り道しない? 私、湖に行きたい」

 私は驚愕した。まだこりていないのかと思った。しかし、彼女は私の反応を見てすぐに、首を横に振った。表情で私の言葉を瞬時に察したのだろう。私を安心させるための言葉を言った。

 「まだ夜じゃないよ。しかも今日は星空が見えない曇り空なんだから。天気予報でも、今日は一日中雪だし。……ただ、ちょっと綺麗な湖を見に行きたいなって」

 彼女は言うにはただ単純に美しい景色を見に行きたいとの事。突然の事にびっくりしたけど、人間誰しも突然こうしたいというのはあるだろうと勝手に納得した。昼休みに彼女が言っていた「気分屋」というものだろう。私は少し悩んだが、少し来音の様子がおかしい事もあり気分転換は必須だろうと承諾することにした。自然の風景というのは心が浄化されていく、リフレッシュには最適な場所だから。

 首を小さく縦に振り、彼女は朗らかに笑った。

 「ありがとう。じゃあ、今日は私、未羽と同じ駅に降りるね」

 こうして、私達は寄り道という名の遊びを放課後にする事になった。放課後に遊ぶという事実が頭に入ると、すぐさまとある感情が芽生えた。

 珍しいという感情。彼女と遊ぶのは小学二年生のお泊まり会の時以来だった。

 この言葉で、私はその記憶がフラッシュバックした。来音が親の都合で一日中家にいないとの事だから、私の家に預からせてほしいと小さな頃の来音は言っていた。親友の頼みだから、私は断らなかったし、両親も快く快諾してくれた。それに、他の子たちがお泊まり会楽しかったという話を聞いて、私もやってみたいと思っていた。

 その日は新鮮で本当に良い一日だった。彼女は努力家だから、お泊まり会の時でもかなりの量の宿題をこなしていた。でも、私が誘ってケーキ食べたり、一緒にお風呂に入ったり、いろんな経験は好奇心旺盛だった小さい私にとっては、宝物のように綺麗なものだった。今でも宝物のように脳の中に厳重に保管している。

 懐かしさをしみじみと受け止めていると電車が到着した。私達は立ち上がり、電車に乗り込んだ。いつもと少し違う帰り道を辿りながら。

 電車を降りて、来音と一緒に私の家の最寄駅に降りる。何だかそれだけで、感動的になってしまった。電車を横目で見送ったあと、私達は家とは真逆方向の湖がある方向を目指した。歩いている間は、無言ではなく久しぶりに寄り道する事に対しての話で盛り上がっていた。

 「来音が寄り道に誘ってくるなんて珍しいね。……ごめん、失礼なことを言っちゃった」

 「いいよ。私が誘うことなんてないし、何なら未羽の誘いを断ることが多いのは事実だし、気にしなくてもいいよ」

 一番の親友だから、遊びに行く回数が多いという方程式は私達には成り立たない。来音は家庭の事情とかで毎日忙しいとのこと。家庭の事情と言っても勉強が忙しいという理由だが。だから、遊びに費やす時間がないと毎回断り謝罪をする。そんな事情もあり、私から彼女を誘うのはやめた。忙しいなら迷惑をかけないようにしなくては、そう思ったからだ。

 だからこそ、この状況に人一倍の嬉しさと新鮮味を感じているのだろう。

 「湖ってお泊まり会の時以来……かな」

 「そうだね。私の両親が星を見に行こうって言って、見に行ったきりだね」

 「あのときの星空は絶景だったなぁ。あんまり外に出ていくことがないから、私にとって青天の霹靂だったよ」

 「……見えたのは青天じゃなくて、星天だけど」

 「じゃあ、星天の霹靂の方がいい?」

 「そっちのほうが何だかしっくり来るね」

 そんな他愛のない話をしながら歩いていくと、いつの間にか湖に着いていた。木々が鬱蒼とする森を抜けた景色は圧巻だ。いつ見ても、鏡のような水面だった。現在は曇り空を映し出しているせいか、曇りガラスのようだった。それでも神秘的で、自然の美しさを恐縮したような景色だった。星空や青空を映し出していたら、まるで宝石のように輝く。

 久しぶりの来音との湖なので、少し心臓の鼓動が早くなる。親友との遊びという日常的な状況だというのに、久しぶりなせいかスピーチ前の緊張感と似たようなものが湧き出る。

 「……ふふ、未羽。顔が赤くなっているよ?」

 「……ふえ?」

 来音に頬をつつかれる。彼女の指先が氷のように冷たく、私の頬が急激に冷やされるような感覚がしてくる。心なしか「しゅー」という熱いものが急激に冷えている事を知らせる音が聞こえるような気がする。それを自覚したことにより、何だかまた体温が上がっていくような。そんな私を見て、彼女は「ふふ」と笑っていた。

 「なんで、そんなに赤面しているの。そんな、恋人とのデートというわけじゃないんだから」

 「ひ、久しぶりなせいかな。慣れていない……というか。新鮮だから……というか」

 言い訳を口から頑張って出しているが、空気が邪魔して流暢に喋ることが出来ない。またしても体温が上がっていき、もはや高熱でも出すのではないかと思うくらい体温になっている事に気づく。きっと、恥ずかしいという気持ちが体の内側で爆発しているからだろう。

 「これじゃあ私達、初々しいカップルみたいだね」

 「……女と女だから、別にカップルじゃないんだけど」

 「それは確かに。ふふ……」

 彼女は私をからかいながらも、湖方面を見た。長い時間立っているのも疲れるだろうから、どこか座ろうと提案した。

 私達は湖近くにある、少し古びている木製の背もたれ付きのベンチに座る。少し「きぃい」と軋んだが、壊れそうではなかった。壊れたら、管理人さんに土下座して謝らないといけないなと心のなかで苦笑する。実際想像してみたら、凄く面白くはある光景だろう、第三者から見たら。

 そんな想像して、私達は学校生活の疲れを癒やすように体全体の力を抜く。雪の冷たさが熱い自分の体を心地いい体温へと戻してくれる。ここに露天風呂でもあったら、夜はきっとさらに人気が出るだろうなぁと思う。

 湖を見ながら、私達は話し始める。

 「久しぶりに来たけど……本当に綺麗。外って知らないだけで、こんなにも綺麗なんだ」

 「箱入り娘みたいな言い方するね」

 「結構的確に言ってくるね。私はあんまり外に出たことないから、箱入り娘みたいなものだよ」

 「もっと外に出ても良いんじゃない? 外のこと、将来のためにも色々知らないとだよ?」

 「あはは、そうしたら私、世間知らず扱いされちゃうね。……もっと外に出ても良いのかもね」

 「行きたいと思ったところがあるなら、付き合うよ。予定が空いている日に限るけど」

 「未羽は塾に通っていないから、そこまで予定詰まっていないよね。通っていないのに、成績優秀だから、憧れちゃうよ」

 「そんな……私は別に優秀じゃないよ。勉強と読書が好きなだけの女の子だよ。来音みたいに、頑張れるほど……私は凄い人じゃない。結構怠慢なんだよ? 私って。宿題とかその日の課題が終わったら、本屋で買い漁った本を読む。そのせいで、体育は毎回通知表で「2」だし……」

 「もう少し運動したほうが良いんじゃない? 未羽はシャトルラン10回で満足しちゃう諦め気質があるんだから。運動も完璧に出来れば、完璧な優等生になるよ?」

 「あのね、この世に完璧な人というのは存在しないの! 変に完璧を追っていたら、精神おかしくなるから! だから私は運動しない!」

 「……良いことを言っているつもりだろうけど、運動しない言い訳としては格好悪いよ」

 「うぐぐ……」

 なんだろう、今の時間にとても幸せを感じている。外は寒くて、あまり出たくない気持ちを促進させる気温だというのに。彼女と楽しく話すだけで全てが吹き飛ぶ。そして、彼女の笑顔と自分の幸せという暖かさに触れて、私は願った。

 このような時間がまた訪れますように……と。

 「あ、私、喉乾いちゃった。近くの自動販売機で温かいお茶買ってくるけど、未羽も何かいる?」

 「欲しいけど、買うなら自分で買うよ」

 「良いよ良いよ。これ、おごりって言うんだっけ。そういう経験もさせてよ」

 彼女は猫なで声で笑いながら頼んできた。その甘い顔に誘惑されて、ついつい承諾してしまった。推しのアイドルに頼み事されたオタクのようだ……。

 「……分かった」

 「うん。すぐに戻ってくるね」

 彼女は走っていった。自動販売機はここから見えない位置にあるため、ずっと動向を追い続けるのは難しい。五分経ったら、様子を見に行こうかなとストーカーや過保護親のような思考回路を心配性によって持つことになる。しかし、それは杞憂であった。彼女は数分で戻ってきた。

 「おまたせ。力がない未羽のために、蓋はもう開けておいたよ」

 「……馬鹿にしてる?」

 「私なりの優しさのつもりだったんだけどなぁ」

 彼女から温かいお茶を受け取る。じんわりと手のひらに暖かさが染み渡っていく。それは全身に流れ、雪によって中和される。蓋は来音が開けてくれたからか、軽く力を入れただけで開いた。湯気が顔に当たり、少し痛く感じる。

 「じゃあ、いただくね」

 「うん。私も」

 二人でフーフーと息を吹きかけ、お茶を飲む。温かいお茶が喉を潤して、体が徐々に生き返っていく。私はふーと息を吐いた。濃い霧のような白い息が出てきた。

 それと同時だった。急に瞼が重くなった。それだけじゃなかった。突然すぎるほどの尋常な眠気に襲われた。体が重りをつけられたように感じる。私はそんな状況の中、来音を見る。彼女は何ともないみたいだが、顔は悲しみを帯びた笑顔をしていた。彼女は立ち上がって、私を見下ろしていた。

 「……やっぱり、無理だったよ」

 彼女が何か言っている。だけど、強靭な眠気に抗うことが出来ず、徐々に視界がぼやけ始め、彼女が何を言っているのか聞き取れなくなっていく。まるで、真っ暗な世界へと強制的に引きずり込まれるように。

 「……もう、た……しく……なった。……んなさ……。……なら」

 私の視界は真っ暗となり、同時に冷たい地面に倒れ込んだ。意識も徐々に雪が溶けるように消えていく。朦朧する意識の中、遠くで誰かが泣いているような声が聞こえた。




 次に私が目を覚まして迎えたのが、見覚えのない白い清潔な天井だった。そして、その次の瞬間、私の両親が私の顔を覗き込んだ。顔には心配の感情が目に見えて分かった。両親は私の両手をぎゅっとつかみ、今もなお、離していない。

 私はそんな状態からなんとか上半身だけを起き上がらせ、辺りを見回した。そして、すぐにここが私の地元にある病院であることに気づいた。横には心電図があったからだ。個別の病室で、ここには私と両親しかいない。次に、私はこれまでの状況を振り返ってみて、今すぐにでも質問しないといけない事に気づいた。無意識に私が焦りを込めた大声を発していた。個別の病室に私の声が響き渡る。

 「ねぇ、お母さん! お父さん! 来音は!? 一緒に来ていたはずなんだけど……!」

 私がその質問をする。すると、辺りが凍りついたように静寂が訪れた。両親もその質問を受けて、氷像のように固まる。まるで、禁忌とされた質問をしてしまった……そんな空気が漂う。その空気に私は戸惑う。そして、速い心臓の鼓動が嫌な予感がすると教えている。

 「ど、どうしたの……? 来音が……来音に何かあったの……?」

 「……落ち着いて聞いてくれ」

 心のなかで嫌だ嫌だと言っている。その言葉が最初に出てきた時点で、悪い事になっている事に気づいた。気づいているのに、気づかないふりをしている。窓の外から聞こえるひゅーという風の音が私の焦りを煽っている。

 「……来音は……」

 その次の発言は、この世で最も聞きたくなかった言葉だった。

 「湖で自殺しているところが見つかった……」

 ……その瞬間、私も氷像のように固まった。

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