第26話 悪魔の子


無様に倒れた椅子から、三十前後の背の低い女性が、草の上に放り出されていた。

苦しげに唸っている。


「わわっ、大丈夫ですか?」


シバが駆け寄ると、彼女は薄く目を開けて言った。


「うーん、肋骨が百本ほど折れたかもしれん……」

「百本⁉重症です!」

「やっぱりあなたなのね……」


ナイラは女性を見ると、呆れたようにため息をついた。


「シバ、その人なんでも大袈裟に言う癖があるから。多分平気だと思うよ」


その声に、女性は驚愕の表情でナイラを見た。


「お主、ナイラか……」

「お久しぶり。ドクター・クー」

「知り合いか?」


パジーがナイラに尋ねる。


「まぁ、うん。昨日話聞いたとき、嫌な予感はしてたんだけど」

ナイラはフードの上から耳を指差した。

「このヘッドホンを作ってくれた人」


「なぜ、ここに……」

女性の声が震えていた。


「お前、こんなところまでワッシを追ってきたのか!」

「違うよ、ただの偶然」

「嘘じゃ、ワッシを殺しに来たんじゃ!」


彼女は地面にはいつくばったまま気が狂ったように叫んだ。


「殺すなら殺せい!」


「えらい嫌われようだな。階段から突き落としでもしたのか?」パジーが真顔で聞いた。

「そんなことしない」ナイラはムッと否定する。

「そうじゃ、この女はそんな可愛いもんと違うぞ。こやつは悪魔の子じゃ。空の住人でこやつらを恐れないものなどいなかった」

「悪魔の子?」


「黙って」

ナイラの声は冷たく凍っていた。まるで言葉の続きを怖がるかのように……


が、博士はナイラの変化にも気づかず、シバとパジーに爛々とした目で語りかけた。


「何も知らないなら教えてやる。こやつらが起こしてきた血生臭い事件の数々を」

「黙ってって――」

「やめてください!」


代わりに叫んだのはシバだった。


「ナイラは立派な人です。前を向いてる人の足を引っ張るのは本職が許しません」

「かーっ、悪魔が前を向くなぞ――」

「許しません……!」


シバの視線が放つ圧力に、博士は不承不承ながら口を閉ざした。


「ところで、アンタはこんなもんで何しようとしてたんだ?」


パジーが博士に聞いた。先ほどまで博士のいた椅子に止まってあくびをしている。


「上昇実験じゃよ。この自作の気球でどれほど上がれるか確かめたくてな」

「なんでそんなことすんだ?」

「だってバカらしいじゃろう、たかだか天空へ昇るのに大金を払わにゃならんのは」


女性は分かりきったことをと言うように目を丸くして力説した。


「天空石ゴンドラなどという既得権益の塊を使わずとも、空へなら気球で行けばよいではないか。地上の素材で作れるから安価で量産も容易じゃ。どうして各地にこの気球システムがないのか、ワッシには理解できんよ」

「この風船で、どこまで上がれるんですか?」


シバが地面に転がっているそれを興味津々に見ながら言う。


「理論上は一万メートルじゃ。それ以上行くと気圧で破裂する」

「すごい!じゃあ天空の最高層まで行けますね」

「バカを言え。こんなちゃちな仕組みでそんな高度まで行ったら、空気は薄いわ寒いわで、あっという間に気を失うわ」

「そうなんだ……」


「そもそも、地上の粗悪な外皮では空気が漏れて大した高さには昇れん。じゃが、天空の最低層に行けるだけで、下界の生活は様変わりするからな。初めはそれで充分じゃろ」

「アンタ、意外といい人なんだな」


パジーが感心する。


「違う!非合理な状態が許せないだけじゃ!」


ぷりぷりと怒りながら、彼女は気球の片付けを始めた。


「素直じゃないんですね」と、シバ。

「元から偏屈な人なの」と、ナイラ。

「喋りも癖強ぇしな」と、パジー。

「悪口は本人のいないところでせい!」


彼女はぷりぷりと怒った。


「お主ら、用がないなら早く帰ってくれ」

「いえ、あります!」


シバが挙手して叫んだ。


「実は、本職が聞いた声を再現してもらいたいんです。犯人への唯一の手がかりでして」

「ふん。なんじゃ、そんなことか」

「できますか⁉」

「……それは、お主らの働きによるな」


博士はニッと笑った。


「音響学に使っていた機材は、壊れたまま放置しててな。修理せにゃならんのじゃ。じゃが、その材料は天空で流通してるもんばかりで、地上ではまず手に入らん。あるとしたら北のゴミ山くらいじゃなぁ」

「……つまり、ゴミ漁りしてこいっつってんのか」


パジーが嫌そうに顔を歪める。


「なんでもやります!」シバが叫ぶ。

「いい返事じゃ。ちなみに、お主もやるんじゃよな?」


博士がナイラを悪戯っぽく見上げて尋ねた。


「……まぁ」

「ほほ。なら、お願いしようかの」


ドクター・クーは意地悪い笑みを浮かべた。



――――――――――――――――――――


次話、ナイラの過去がわかります。






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