第5話 叱るべきなのか

行事ごとの翌日は、帳尻合わせのために職員が少ない。

その代わりと言ってはなんだが、人前でだけ優しい人ぶる職員は、行事に参加したがるので、誠実な職員が対応してくれる安心感はあった。

「大友のおじいちゃん」

 朝食をとっくにすまし、いつの間にかまどろんでいた大友に、遅番で来た新しい介護士の森本が話しかける。

森本の片手には、昼食のトレイがある。

「あっちで食べなくていいのか」

普段元気な大友には、部屋まで食事を運んでくれることなど無いので、単純に疑問を口にした。

「真野のおばあちゃんが具合悪いから、念のため今日のお昼は、皆さんお部屋で」

「そうか」

大友が車椅子で後ろに下がると、森本は器用に小テーブルの下から伸縮性の金具のついた板を引き出し、テーブルを広げてトレイを置く。

「これで大丈夫かな?」

「ああ」

「お茶のおかわりとかあったら、言ってね」

「ああ、ありがとう」

「あ、それからね、役所のケースワーカーさんが来るかもよ」

「なんのために」

「さぁ、大友さん一人暮らしだったからじゃない?」

「そうか」


 また、味の無い餡かけか。

うんざりしながらスプーンを口に運ぶ。

思えば、麗羅の喜ぶ顔見たさに始めた料理だったが、いつしか美味しいものを作り出すことに別の喜びも感じだしていた。

母親の田舎料理で育ち、店屋でしか作れないと思っていたものが、案外簡単に作れた時は、単純に嬉しかった。

そして出来上がったおかずを、小さな頬いっぱいにして、満面の笑みをくれる麗羅が可愛かった。

 その日も、麗羅の喜ぶ顔を思い出して、珍しく鼻歌を歌いながら料理を作った。

が、いつもは大友の帰ってくる音に反応して、子犬のように駆け寄ってくる麗羅の気配がない。

しばらく待ってもチャイムも押されないので、珍しく母親が帰ってきて世話でもしているのだろうと、自分で作ったものでビールを飲もうとした時、電話が鳴った。

「もしもし」

「えっと、こちらスーパーの〇〇なんですけど、お宅に小学生の女の子います?」

「えっ?」

「なんか、親に連絡しないと返さない。って言ったら、この電話番号を渡されて」

「あ、あの麗羅ですか?」

 問いかけると、電話の向こうで泣きじゃくる声がする。

「おじちゃん、助けて」

 受話器の向こうに大友の存在を感じ、歯止めが無くなったのか、激しい嗚咽と切れ切れの声に、

「どうした、どこにいるんだ」

 と興奮して叫ぶと

「おたく、おじさん?さっきも言ったけど、こちらスーパーの〇〇なんです。

お宅のお嬢ちゃん、万引きして事務所でお預かりしてるんですよ。来ていただけます?」

居丈高な男の声に反発する余裕もなく、ああ麗羅は無事なんだ。

と安心しながら慌てて、アパートを飛び出す。

駅前のスーパーマーケットへ向かう途中、まさかあのおとなしい麗羅が、と胸を締め付けられながら気持ちばかりを焦らせていた。

息を切らせてたどり着き、事情を説明すると事務室へ案内された。

数人の事務員が帰り支度をしている、その奥の会議用の折りたたみ机の前に、涙で顔をくちゃくちゃにした麗羅が一人ぽつんと座っていた。

テーブルの上には、それが万引きした証拠なのだろう、プラスチックの浅い籠の中にピンクや黄色の消しゴムや髪飾りが入っていた。

ああ、麗羅は、本当に万引きをしたんだ。

大友は、足元に表現できない虚脱感を感じていた。

 泣いている麗羅と一緒に謝り、万引きした物の料金を払う。

スーパーの袋にそれらを入れると、売り場の主任らしき男は

「本当はこの金額じゃ弁償しきれてないんですよ。

一回目は、見ため可哀想な子だからお説教だけで帰らせてあげたのに」

 そう言うと、乱暴に袋を突き出した。

躊躇しながら袋を受け取る大友の、反対側の手をぎゅっとにぎりしめながら、麗羅はすがるような目で大友を見つめる。

大友は、店員達に深々とお辞儀をして麗羅と目を合わさないようにした。

 もし、今、冷たい目で麗羅を見てしまったら、この子は壊れてしまう。

ただ、必死で大友の手を離すまいとしている小さな手を、強く握り返した。

 帰り道もお互い何も言えず、家へたどり着くと食べかけていたおかずを温めて、二人で黙って食べた。

あれほど楽しみにして作ったはずの料理なのに、なんの味もしなかった。

 叱るべきなのか。

自問自答する。

実の親なら、間違いなくこっぴどく叱るだろう。

麗羅との間には十分に信頼関係があると思う。

いや、思っていた。

だが、怖いのだ。麗羅を妹のまゆこと同じように傷つけるのは。

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