第11話 圧と出会い

 マトキとアレクセイが「neo-J」に回収された。『卍』に戻って早々その事実をアキラが本部へ報告に行っている。早くも三時間は経つだろうか。

 その間、総吾郎はアマイルスと二人でアレッタの修復を行っていた。


「とりあえず、欠損部位は何とかなったな」

「大丈夫なんですか?」

「一応、下半身の……この、機械の部分ね。ここが少し破損してるだけだから命には別状ないよ。まあ、何か薬品嗅がされてるみたいだから意識戻るまではまだかかりそうだけど」


 アレッタを運び出す時、マトキはアレッタの下半身をある程度分解していたのが分かった。確かに、そうでもしなければ彼女に運び出せなかっただろう。それでも、彼女の「合成人間」としての怪力で運び込むのにこの程度の損傷で済まされたというのも事実だ。「合成人間」の謎が、深まっていくばかりである。

 迎えの車が来てからは、流れがスムーズだった。彼らはマトキとアレクセイを連れ出すと、早々と帰っていった。目的は本当に、二人の回収だったのだろう。結果的に、「卍」はかなりの圧力をかけられてしまったわけなのだが。


「アキラさん、大丈夫ですかね」

「まあ、上層部は彼女を気に入っているからね……むしろ、僕達が行くよりかは丸く収まるだろう」


 アキラは、物心ついた頃から「卍」に居たと言っていた。それだけ上から信頼もされているし、癒着もあるのだろう。それでも、今回の件はアキラを相当不安定にさせているに違いない。

 須藻々光精。


「あの人が言っていたこと、本当なんですかね」


 ぼんやりと、口を突いて出た。


「……寿命の話?」


 それだけではない。しかし、それもある。頷くと、アマイルスは首を捻った。


「……君は、知っておいた方がいいのかもしれないね。僕が言ったってことは、忘れてくれる?」


 頷く。部下はアレッタにシーツをかけながら話し始めた。


「あれは、僕がここに来て……林古先輩の下に配属された丁度その時だったな。五年前か。『種』の原材料が誕生石だと効果が跳ね上がるっていうの、知ってる?」


 あの時もらったペリドットのことを思い出した。頷くと、彼は総吾郎の座っているソファに腰掛けた。


「その研究結果の、いわばある種の人体実験だな。『neo-J』ではないんだけど、厄介な連中と争っていた時に架根さんはダイヤモンド製の『種』を使うように命令された。能力は、植物ね。君もよく知っているだろう」


 彼女の秘密に近付いていくにつれ、鼓動が早まっていく。それでも彼は、続けた。


「架根さんとの相性は抜群だった。それこそ、上層部や研究員達の度肝を抜く程にね。拒否反応も完全にゼロ、吸収時間も二秒に満たなかった。でも当時、材料の鉱石の特性を考慮していなかった」

「鉱石の……特性?」

「ダイヤモンドは、永久を表すと言われている。それはあくまで言い伝えというか、『旧』の人間達が後付けで付けたその鉱石を表す非科学的な印象事項だ。でも、それが当たった」


 アレッタは、未だ安らかな寝息を立てている。その中で浮遊する彼の声は、淡々としていた。


「『種』は大概が体内消滅だ。もしくは無理矢理摘出になるんだけど、どちらにしろ『種』を体内から消すことは出来る。でも、ダイヤモンドは駄目だった。これは後の実験で分かったんだけど、ダイヤモンドが誕生石の人間……四月生まれの人間には、この特性が出た。つまり君が他の月生まれなら、ダイヤモンド製でも体内消滅は可能なんだ」

「それは、その誕生月と素材の相性ということですか」

「そうだね。誕生石になると、そういった特性までプラスされるようになってくる。相性が良すぎると、その分負荷もかかるということだ。勿論、誕生石の『種』に宿った能力の威力も計り知れないものになる」


 もし、自分があのペリドットを取り込んだらどうなるのか。それを想像するだけで、ぞっとした。やはり、下手に扱える代物ではない。


「一度、架根さんから『種』を取り出す手術を施した。でも、駄目だったんだよ。あの『種』は、架根さんの体内に根を張っていたんだ。本物の種のように。それも、なかなかに重要な機関だったから切り離すことも不可能だった。結局今も、あの『種』はあの人の中にある」

「でも、それとアキラさんの寿命に何の関係があるんですか」


 総吾郎の問いに、彼は初めて溜息を吐いた。そして、重々しく切り出す。


「植物っていう能力も、悪かった。能力としての特性を、能力発動時以外にも発揮してしまっているんだ。植物は、他の炎や氷といった現象ではなくあくまで生命に分類される。あの『種』は架根さんの体に根を張って、あの人から養分を吸って育っている」


 そこまで言われて、ハッとした。


「勿論、素材は本物の植物ではなくて鉱石だ。だから、成長なんてしない。でも植物としての能力が、養分吸収をやめないんだ。結果、彼女は薬剤投与で過剰に栄養補給しないと体がもたないようになってしまった。勿論、能力を発動すればする程その分『種』は栄養を欲する」


 光精の言っていたことはつまり、こういうことだったのだろう。しかし、アキラはこのことを絶対に隠していたはずだ。少なくとも、総吾郎の前ではそんな素振りを一切見せはしなかった。それなのに何故、彼は知っていたのだろう。


「アキラさん……」


 ここに来るきっかけは、彼女だった。彼女が助けてくれたからこそ、自分はここに居る。ぶっきらぼうだが、総吾郎が危険な状況に陥れば必ず助けに来てくれた。そんな、命に関わる能力を惜しみなく発揮して。

 思い返すだけで、唇が痛む。強く噛みすぎて、口内にわずかに鉄の味が染みてきた。それでも、悔しかった。

 もっと、強くならなければ。彼女に守られるだけでない自分に、ならなければ。いつか、彼女を守れる程に。


「それにしても、あの男は何者なんだろうね」


 ふと、アマイルスが言った。はっとして顔を上げると、彼はいつの間にかアレッタの眠るベッドの傍らに居た。


「結局アレッタをさらった目的もいまいち分からない。粛清、にしてもわざわざ当人ではなく娘をさらうってことにも疑問だな。まあ、母親は実際手を下されているわけだけど」


 当のアレッタは、目を覚ます気配がない。それでも規則的に寝息を立てているという事実が、総吾郎を安心させた。

 本来は、きっと優しく明るい子のはずなのだ。アレッタの笑顔を見て、そう感じていた。それでもこんな体になって、母から引き離され、ここにいきなり連れてこられた。挙句、この事件だ。精神的なショックは、計り知れないだろう。


「そういやさっき話に出て思い出したけど、総吾郎くん。君『ドリフェ』は? もう店の状況もマシになったんじゃないか?」

「あ、明日二時からシフト入ってます。営業は一昨日から再開してるらしいですけど」

「そっか。まあ、頑張ってね。いざという時、頼りにしてんだから」


 強く、ならなければ。




「い、いらっしゃいませ」

「ガチガチ過ぎる」


 出勤して早々、総吾郎は重手に呼び出された。

 今までは皿洗いや厨房の仕事ばかりだったが、これを機に接客も教えてもらうこととなった。しかし、この有様である。

 重手はうなりながら、総吾郎をじろじろ眺めた。


「うーん……やっぱり緊張しすぎねえ。こうなったら、場で慣れてもらうしかないわね」

「えぇっ」

「はい、出て出て」


 ホールに出ると、既に客がまばらに居た。それだけで、胸の奥がきゅっと絞まる。今までまともに働いたことがないせいか、緊張がピークだった。

 とりあえず、客の帰ったテーブルの食器下げを始める。次客が来たらすぐに案内に行くように言われているため、内心気が気でなかった。ただでさえ、昨日はアキラやアレッタの件で考えすぎて眠れなかったのだ。色々と不安定である。

 ふと、外を見た。今日も、いい天気だ。少しずつ夏が近付いてきているのが分かる。そう思っていると、駐輪スペースに一台のバイクが来た。客だ。心の準備をして、入り口を見る。

 ベルが鳴り、客が入ってきた。しかし、その客を見て唖然とした。


「よっ」

「……い、いらっしゃいませ」


 とりあえず、言えた。この態度ではきっと裏で重手に色々言われるだろう。しかし、それどころではなかった。


「いやー、本当『卍』って色々ずさんだね。自分の組織が絡んでるっていうのに、その店の従業員リストの管理がなっていない。簡単にハッキング出来たよ」

「そ、そうなんですか……」

「ああ、喫煙席ある?」

「こ、こちらになります」


 喫煙席に案内すると、彼はアイスコーヒーを注文した。それをキッチンに伝えると、早速重手に捕まった。


「……二十点」

「すみません」


 しかし、仕方がない。まさか、彼が来るとは夢にも思わなかった。昨日の今日で。


「次は頑張ってね、はい」

「……はい」


 アイスコーヒーを受け取り、彼の元へ向かう。彼はやはりにこにこと微笑みながらこちらを見ている。


「アキラはどうだい?」


 光精は受け取ったアイスコーヒーに早速口を付け、尋ねてきた。どう応えればいいか分からず、「あれから会ってません」と返す。とりあえず、嘘は言っていない。


「そうか。まあ、気をつけてやってくれると嬉しいな。俺は傍にまだ居られないから」


 まだ、という言葉に引っ掛かるも頷く。しかし彼は、笑みを崩さなかった。


「今日、勤務は六時で終わりなんだよね。その後、少し話さないか? 奢るよ」


 突然の誘いに面食らうも、頷くしかなかった。何故か、逃げられる気がしなかった。

 それから四時間、何とか接客を形にすることが出来た。重手には「まだまだ頑張ってもらわないと」とは言われたが、それでもある意味の期待ととらえれば気持ちは楽になった。

 退勤時間になった。栄佑への土産にパンケーキを二枚程焼き、服を着替える。光精はあれからコーヒーをもう一杯注文したが、ずっと総吾郎を待っているようだった。一通りの身支度をすると、彼のもとへ向かう。やはり彼は、笑顔で出迎えた。


「悪いね、散らかしてて」


 確かに、テーブルの上には大量の書類が並べられていた。当の本人は、キーボードのないタブレットを眺めている。そこに、思念派を電子に変換する器具を接続していた。画面に、めくるめくスピードで文字が埋められていく。『neo-J』開発の、『新』時代から出来た器具だ。『旧』時代にすでに設計は出来ていたらしいが、成立したのはここ最近の話だという。


「仕事、ですか」

「そう。出張扱いだから今」


 そこまでして、会いにきたのだろうか。それも、アキラではなく自分に。

 向かいに着席すると、思い出したように彼は言った。


「そうだ、お腹空いてる? どこかに食いに行きたいなら、そこでもいいよ。店も、決めてくれていい」

「空いてるのは空いてますけど……何で、そこまで言ってくれるんですか。そっちに行きたい店あればそこでも」


 光精はくすくす笑った。嫌味ではないが、どこかいやらしい笑みだ。


「いいのかい? 俺は一応、君らからしたら敵のはずなんだけれど。俺が君を陥れないって保障、無いよ?」


 それを言われればそうなのだが、何故だか癪だった。全て、彼に踊らされている気分になる。


「……なら、どこか美味しい店で」


 一瞬、彼の表情が抜けた。しかしいきなり、楽しそうに笑い声をあげる。それに驚くも、彼はすぐに「ごめんごめん」と謝ってきた。


「いやー、本当面白いね! いやあ俺、君のような子大好きだよ。品野さんの言う通りだ、君滝津にそっくり」

「マトキさん?」

「そ。あの子も好奇心や快楽に負けてすぐ墓穴掘っちゃうんだよ。で、またそれすらも楽しんでしまう。だから品野さんいつも怒るんだよね、もっと自分を大事にしろって」


 何となく、想像がつく。あの時のアレクセイの様子からして、アレッタの誘拐はマトキの暴走だった。いくら二人の本来の任務であったとしても、あれでは完全に作戦など考えていなかったように思える。むしろ、あの交戦という展開をわざと引き起こしたかのようにも思えた。

 光精は立ち上がると、書類を片付け始めた。


「よし、そういうことなら俺のオススメの店に行こう。安心してくれ、さっきはああ言ったけれど俺には今君をどうにかしようって気はない。いざとなればいつでもすぐ潰せるからね」


 傲慢な言い方だが、確かにそうなのだろう。総吾郎は唇を軽く噛んだ。

 光精が支度を終え支払いを済ませると、二人で店を出た。そして、光精が乗ってきたと思われるバイクの前で立ち止まる。今日は、あのバイクとは違うごく普通のものだった。服装もよく見れば、ごく普通のシャツとジーンズだ。


「ヘルメット、俺のだけど悪いね」


 彼は総吾郎にヘルメットを被せると、バイクに跨った。それを見て、ぎょっとする。


「あ、あの! そっちは被らないんですか」

「あー、大丈夫。見つかったら最悪職権濫用かますよ。それよりそっちの身の安全が大事」


 何かを全力で間違えている気がするが、さっき強気にあんなことを言ってしまった以上自分にそれを指摘する権利がないことを思い出す。大人しく後ろに乗ると、彼にしがみついた。

 バイクを発進させ、広道に出る。しかしすぐに、路地に入っていった。恐らく、発見を恐れてのことだろう。


「そうだ、あとで『卍』に連絡入れておきなね。勿論、俺の名前は伏せて」


 頷くと、彼は無言でバイクを走らせた。

 今更だが、相当危険な道に足を踏み入れている気がする。しかし、こうなってしまった以上仕方がない。それに、上手くいけば何かが掴めるかもしれない。

 しばらく走って、一軒の店の前に停車した。どうやら、中華料理屋らしい。


「さて、行こうか」


 爽やかにも見える笑顔。そういえば、彼のちゃんとした正体を知らない。ヘルメットを返しながら頷くと、すぐに携帯電話で『卍』の事務にメールを打った。

 店内に入ると、すぐに奥の座敷に案内された。そこに座り、適当に料理を注文すると、光精は改まった様子で総吾郎に向き直った。


「さて、総吾郎くん。君、俺に聞きたいことがあるんじゃないか」


 看破されている。しかし、これはチャンスだった。


「……あなたは、何者なんですか」


 正直、きちんと答えてもらえる気はしなかった。しかし、彼はにっこりと笑う。


「そうだな、きちんと自己紹介していなかった」


 光精は鞄から小さなケースを取り出すと、それを開いた。中身の紙を一枚取り出し、手渡してくる。どうやら、名刺のようだった。


「『neo-J』の本拠地が、まあここのド近所なんだよ。知らないかな。で、『旧』時代の……あれだ、江戸城って建築物を参考に建てた屋敷があってね。知ってるかな」


 首を横に振ると、彼は頷いた。


「まあ、そんな馬鹿でかい建物が『neo-J』の基地なわけ。で、勿論セキュリティとかきっちりしていなければならないから、門を作ったんだ。それの監視とか操作とかの管理者、つまり門番をやっています。それが俺の職」

「それって、もしかしてすごく大事な仕事なんじゃ」


 こんなところで、こんな小僧と夕飯を食べていていいのだろうか。しかし、そんな疑問を彼は笑った。


「大丈夫、他の人間を身代わりにしてきた。まあ、確かに相当頑張らないと抜け出せないんだけれどアキラが絡んだら話は別だ。何が何でも頑張るさ」


 また、アキラの話だ。しかし、今は置いておくことにした。あとでまとめて聞けばいい。運のいいことに、今の所彼はこちらへは好意的に見える。この隙に、得られる情報は探した方がいいだろう。


「そんなに、監視とかあるんですか」

「割と他の職員はそんなことないみたいなんだけれどね。ただ、門番は別。言ってみりゃ門が操作されなかったら『neo-J』に出入りするのはどうしたらいいんだとか、そういう話になってくるから。身内で見張りあう感じ」

「それなら尚更……そういえば、『neo-J』って、一体どんな組織なんですか」

「そうか、詳しくは知らないのか。まあ、それも仕方ないのかもしれないな。君、あの田中孤児院にいたんだろ。あそこ、教育には力入れてなかったみたいだし……まあ教育なんてしたら、すぐに状況感づかれるって懸念もあったのかもな」


 一品目の、チンジャオロースがきた。「食べなよ」と箸と取り皿をすすめられ、受け取る。


「まあ、言ってみりゃ『新』日本の発展を目指して頑張りましょうって政治組織だね。始めたのが『新』日本始まって以来と言われる有権者だったからここまで膨れ上がったけれど、それだけ。中身は案外グズグズさ」


 それが、恐らく例の『純血種』狩りや『合成人間』の作成なのだろう。光精もまたチンジャオロースを食べながら続けた。


「総吾郎くん。君は、『革命』をどう思う」


 突然、思いがけない単語が飛び出してきて戸惑った。しかし光精を見ると、一切笑っていないのが見える。その、底の見えない闇のような瞳にぞくりとする。


「……分かりません」


 考えなかったわけではない。しかし、今となってはそれは現象だ。あんなものを、どうにも出来るとも思えないしそのことに実感があるわけでもない。

 光精は店員から天津飯を受け取りながら、ゆっくり頷いた。


「まあ、今となれば雨や台風、地震や雪崩みたいに並べられる事項だしな。そう考えるのも仕方ないか。何故雨が降る、って聞いているのと同じだし……それも、発生条件は未知だっていうね」

「あなたは、何か知っているんですか」


 その問いに、深い意味はなかった。しかし、彼の表情は一変する。それは、またもや深い笑みだった。


「俺は知らない。けれど、よく知る存在のことは知っている。俺も半信半疑だけれど、一説を確実にはしているというか」


 ごくり、と喉が鳴る。何故だか、胸騒ぎが止まない。


「聞きたい?」


 何故だか、頷けない。そんな彼に、光精は優しい笑みを向けた。


「まあ、これは自分で探った方がいいのかもしれないな。知りたくなったら、『neo-J』においで。少なくともうちは、その手がかりを身内になら隠してはいないから。……ああ、勧誘するとアキラに怒られるんだった」


 天津飯を取り皿に分け、手渡してくる。ありがたく受け取ると、いい匂いが漂ってきた。ここの料理は、美味い。今度また来よう、とぼんやり思った。


「うーん、俺としては総吾郎くん『neo-J』に欲しいんだけどな。滝津も言ってたよ」

「マトキさん達、大丈夫なんですか?」

「ああ、全然。実はあの後車の中で目覚ましたんだよ。一応今は謹慎食らっちゃったけれど、回復し始めてる。『合成人間』はそこんとこ丈夫だし」


 そのことに、安心した。それを見、光精は不思議そうに総吾郎を見る。


「怒らないのか? 君にあそこまでしたのに」

「無事だったんなら、いいです」


 あの海でのやりとりを、思い出す。今は、とにかく彼女に幸せになって欲しい。その想いが、とにかく強い。

 から揚げの盛り合わせがきた。料理は確か、これで最後だ。


「あの子、ちゃんと助かった理由を分かってるよ。謹慎が解けたら、君に会いたいって言ってた。だから『ドリフェ』を教えたけれど、駄目だったかな」

「あ、いえ。全然」

「なら、よかった」


 天津飯を口に運びながら、マトキを思い返す。謹慎、の意味がいまいち分からなかったがいつ会えるのだろう。会って、話したいこともそれなりにある。早く、会えないだろうか。そしてそこまで考えて、一つ思い出した。


「……アレッタのこと、もう諦めてくれたんですか」


 その質問に、光精は首をひねった。


「諦めたというか、一回あんな派手にやらかしてるから一旦あの件は離れようってなったんだよ。アレッタ・アニェージのお母さんのミジェンタ・アニェージは国家病院の元院長ってのもあったからね。今はそっちの跡継ぎ問題の方が大きいってのもある」


 ということは、つまりまだ諦めていないということか。そのことに、かっとなった。


「どうして、アレッタを狙うんですか。悪いのは、アレッタのお母さんなんでしょう」

「……そうとは言い切れない」


 意味が分からず、彼を見た。


「アレッタはミジェンタの命令で、散々人間の遺伝子を盗んでいる。髪や爪、ひどい時には体液だったりね。つまり、母親の裏切り行為……その遺伝子情報の密輸だったんだけど、それに加担してたってことになる」

「それでもっ……」

「勿論、ミジェンタみたいに殺すまではしないさ。それにもっと言えば、アレッタへの粛清はその時で十分釣り合いが取れている。ただ、重罪人の娘は裁いた側で管理したいってだけだよ」


 光精の言いたいことは分かるし、納得もいく。しかし、どこか嫌だった。あんなやり方で来られたからだろうか。

 そんな総吾郎の心情を察したのか、彼は苦笑した。


「そんなに、あの子を諦めさせたい?」


 頷くと、光精は更に大きく頷いた。


「よし、ここはアキラの可愛いお供の顔に免じて一つ条件を出そう。それをクリア出来れば、俺達は今回の件からは身を引くよ。あくまで今回の、だけど」

「本当ですか」


 そうは言っても、少し不安がまとう。一体、何を言われるのか。

 光精は箸を置いた。


「アキラを、守ってやってくれ」

「え?」

「少なくとも、俺より先に死なないように。もしそんなことになれば」


 一瞬、翳った。しかしすぐに、その目には鮮やかな怒りの光が宿る。


「……『卍』を、千葉樹アーデルを潰すよ」


 その強気な言い方や、口調。雰囲気。ようやく、つながった。


「大丈夫です」


 その気持ちは、ここに来るまでに確定したばかりだった。


「俺、あの人に散々助けてもらいましたから。今度は俺が、あの人を助けます」


 それを聞き、光精は笑った。初めて見る、厭らしさが一切無い無邪気なものだ。


「ありがとう。いやー、これで一安心だよ。そうだ、料理食おう。もう冷めてるかもしれない」

「あ、はい」


 確かに少し冷め始めていたが、それでも美味いことには変わりなかった。男二人なら、簡単に平らげられる。

 最後に甘い物が好きという光精がデザートを注文したのを見計らってから、総吾郎は口を開いた。


「あの、アキラさんとはどういう関係なんですか」


 あの時はアキラがいたから、答えてもらえないのだと思った。この際だから、聞けるかもしれない。そんな期待があった。

 光精は悩む素振りを見せたが、やがて笑顔に変える。


「俺、総吾郎くんに散々俺を信用しきれていないだろ的なことを言っただろ」

「あ、はい」

「俺も正直、そこは一緒なんだよ。まだ、田中総吾郎……いや、山下総吾郎という人間を信用しきれていない」


 そこまで、掴んでいるのか。しかし光精はそれが前提だったとでも言うように、続ける。


「データなら、大量にある。調べつくしている……というより、管理下だからね。でも、君という人間を俺はきちんとまだ見きれていない。だから、このことに関してはあえてのノーコメントで。悪いね」

「いえ」


 やはり、そのあたりの線引きは上手いのか。仕方ないとはいえ、ぞっとする。やはり、この人間を敵には回さない方がいいのかもしれない。こうやって好意的な時点でも、本来は怪しむべきなのだろうか。勿論、あの話を全て信じきっているわけではない。それでも、改めて思い知らされた。

 デザートの杏仁豆腐がきた。


「でもまあ、気になるか。俺があんだけ言っていたら」

「まあ、はい」


 それ以上に、アキラのうろたえぶりが気になった。いつもクールな無表情が、あんなにも取り乱すのを初めて見た。確かに、その要因は色々あったが。そこで突然二人の口付けを思い出し、顔が熱くなる。そんな総吾郎の気持ちを知ってか知らずか、光精は口を開いた。


「じゃあ、ヒント。あの時言った言葉は嘘じゃない」


 アキラの記憶のことを言っているのだろう。頷くと、彼は杏仁豆腐にスプーンをくぐらせた。


「それと、俺はあいつを愛してる。これはただの愛じゃない。色々と含まれた愛なんだ。そして、俺の人生はあいつのものであいつの人生は俺のもの。これだけ、教えておいてあげよう」


 それだけで終わるつもりなのだろう。光精は杏仁豆腐を口に含んだ。その様子を見つめ、先程の言葉を脳内で反芻する。

 愛、か。


「まあ、アキラが記憶を思い出したらきっと総吾郎くんにも分かるよ。そりゃ俺も早く思い出してほしいんだけれど、下手に俺が手出ししてしまうとオーバーヒート起こしそうで怖いんだよね」

「オーバーヒート?」

「品野さんも似たようなことがあって、それをやらかしてから海馬っていう脳の器官に損傷が入ってしまってね。まあ、品野さんは『革命』のせいだから根本が違うっていったらそれまでなんだけど」

「『革命』って……え、でも日本の『革命』は」

「日本じゃない。彼の母国、ロシア」


 その名を聞き、ハッとした。ここ最近現れた国だ。


「ロシアは数年前に『革命』が終わった。あの国も日本みたいに、一度まっさらになってから今新しく歩き始めている。『新』ロシアとしてね」


 杏仁豆腐を平らげたにも関わらず、光精はスプーンを離さない。


「あの人は『革命』中、母国からはじき出されるように日本に来たらしい。つまり、『革命』を起こし人々の記憶から無くなっているその当国からやってきたんだ。そのショックか何かで記憶が欠落し、そこをうちの研究員にいじくりまわされた結果海馬に損傷。お払い箱状態になって初めて出来た優しい存在が、滝津だったんだと」

「だから、そくばっきーって……」

「愛が深いんだろうな。まあ、俺は違うけれどね。アキラの好きなものにはやきもちなんてやかないよ。むしろ、俺もその存在を愛しく感じる」


 その言葉に、笑みがこぼれる。二人して、笑った。まるで、ただの友人の恋愛話に思えたのだ。

 落ち着くと、光精が腕時計を確認した。「そろそろか」と呟くと、立ち上がる。


「悪いね、俺も城に帰らないと。ババアがうるさいんだよ」

「ババア?」

「ああ、お袋。『neo-J』の総帥」

「えっ!?」


 ここにきて、まさかのカミングアウトだった。しかし彼はまるで、言い忘れていただけかのような反応だ。


「もう俺も二十二なんだから、その辺分かってほしいんだよな。とりあえず、『卍』の基地ちょい手前まで送るね。さすがに基地に直接は行けない。悪いね」

「あ、いえ。むしろすみません」


 支払いを終え、店を出る。再びヘルメットを被せられ、バイクに跨った。

 再び路地裏を走りながら、光精が話し始める。


「あ、あとさ。アレッタなんだけど」

「はい」

「もう完全に、うちは関与しないから。少なくとも、アキラが無事な内は。だから、頼んだよ」


 力強く、頷いた。

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