第10話 ハジマリと出会い

「『種』の効力が切れた? まあ、別にもう大丈夫でしょう」


 蔦を体内から切り離し、アレクセイを頑丈に縛りながらアキラは言った。

 アレクセイは必死に抵抗を続けているが、アキラが一度腹部を踏みつけると少し大人しくなった。股間ではなかったのは、さりげない優しさなのだろうか。

 栄佑と部下は、マトキが持ち出したワゴンのピッキングを続けている。しかし、ようやく開いたようだった。二人して、中へと潜っていくのが見える。


「あまり一度に沢山の種類の『種』を体内に入れない方がいいから。下手に反応起こしても怖いし」

「そう、ですか」


 アレクセイの全身を縛り終え、アキラは一度伸びをした。すでに空は、色を濃くし始めている。あと一時間もすれば夕焼けが始まるだろう。


「どうするんですか?この人達」


 さっきまでのやり取りで、二人が「neo-J」からのスパイ……マトキに至っては合成人間であることが発覚してしまった。それも、栄佑のように寝返ったわけでなくあくまで忠義は「neo-J」に対してのままだ。穏便な措置がとられる訳もないだろう。


「とりあえず、お上の判断を待つしかない。どうなるかは、それからね」


 唇を、噛み締める。あくまでも二人は敵だったが、アレッタの時に話した感じではまったく悪人な気もしなかった。任務のために潜り込んでいた、と知った時は純粋に敵として攻撃したが、こうやって冷静に彼らの人となりを考えるとやはり躊躇ってしまう。

 足音が、寄ってくる。栄佑だ。


「アレッタいたよー! 気失ってるし下半身整備いるけど大丈夫だって!」

「そう、分かった。ありがとう」


 二人のやり取りを傍らで聞きながら、ぼんやりとテトラポットを見た。マトキは、今どうなっているのだろう。アキラの言葉やアレクセイの反応から、恐らく生きてはいる。しかし、無事ではないはずだ。

 ここ数日の、彼女を思い出す。アレッタの手がかりを知っていて、それでいて明るかった彼女。嫌なことが特になかったせいか、彼女の好意的な部分しか思い返せない。


「……俺、マトキさん見てきます」


 アキラが軽く頷くのを見てから、テトラポットへと歩き始めた。いくつも乱雑に積み上げられた石の塊たちの隙間を、注意して見る。しかし、彼女は見付からない。

 テトラポットを揺らし、安全なことを確認すると足をかけた。もしかすると、海の方へ落ちてしまったのかもしれない。それは、当たりだった。


「マトキさん」


 うつ伏せで、あたりに赤色を沈めながら彼女は揺らめいていた。見た感じ、どこも潰れているようには見えない。しかし、出血は多いようだった。


「マトキさん」


 聞こえたのか、彼女の体が引っ繰り返った。顔面を血と海水でびしょびしょにしながら、へらりと笑う。


「あー……総ちゃん」

「だ、大丈夫ですか?」

「一応―。何かね、『合成人間』って元々頑丈に作られてんの。拒否反応にも耐えられるようにって」


 それを聞き、栄佑とのことを思い出す。確かにあの時も、普通の人間なら死んでいてもおかしくない怪我だったはずだ。アキラはもしかすると、気付いていたのだろうか。

 マトキはぷかぷかと海面を漂いながら、総吾郎を見上げている。それが普通の海水浴のように見えて、戸惑った。


「今回のあたし達の任務はねえ、アレッタ・アニェージの回収だったの」


 やはり、そういうことだったのか。


「あの子の殺された母親ってのが、うちの研究員でね。ああ、あたしが元々居た病院の院長さん。だからうちが優先で死体解剖させてもらえたんだけど。病院っつっても研究機関でもあったから、遺伝子工科学的な黒い研究もしてたの」

「……もしかしてそれって、『合成人間』のですか」

「それもある。他にも色々、生物の復元とか。あたしの合成対象はメキシコウサギって兎なんだけど、絶滅しちゃってるのね。でも『旧』時代にその遺伝子……ミイラだったんだけど、それ使ってあたしと合成したの。そしたら、成功しちゃった」

「アレッタが髪を集めてたのも、そういうことですか」

「言われていたんだろうね、髪なんて遺伝情報の塊だし。でも、院長さんその情報を『卍』とはまた違うんだけど敵の組織に売っちゃったのね。その粛清で、あの母子はああなっちゃった…娘に悪どい手伝いさせるのもどうなのよって感じよね、そもそも」


 よく見ると、彼女は軽く背泳をしていた。ゆるく描かれる八の字を眺めながら、総吾郎は彼女に手を伸ばす。しかし、気付いてもらえなかった。


「……冷たいでしょう、上がってきてください」

「そうしたいのはやまやまなんだけど、あ、そういえば先生どうなってる? 今」

「アキラさんが拘束しましたよ。あ、その、怪我とかはそんなにしてないです」

「総ちゃん、ごめんね」


 突然の謝罪に、面くらう。


「あたし、言っちゃったんだよさっき。総ちゃん気に入ってるって」


 そういえば、言っていた気がする。あの時彼女のテンションがおかしかったせいもあると思っていたが、今の彼女の冷静な言葉はその分意外だった。


「先生、あたしのこと大好きだから。あたしに関わるもの、すべてを排除したいって言われたの。すんげえそくばっきーでしょ」

「そく……? あ、いえ。でも、それでいいんですか?」

「まあ、仕事上のパートナーとしてはいい人だし構わないやーって。でもあの人も可哀相な人だし、許してあげて……って、無理かな。絶対、何かされたでしょ。あの人地味に戦闘訓練も受けてるから、それなりに強いし」


 先程の彼を思い出し、納得した。いくら新人とはいえど「種」の力を出し抜き、アキラともそれなりに渡り合ったあれは普通の人間の動きではなかった。

 とりあえず、首を振る。すると、マトキは一瞬驚いたかのような顔を見せた。しかし、また笑顔に戻る。


「総ちゃん、やさしい」


 初めて、彼女はまっすぐこちらへと泳いできた。総吾郎は、手が届くように一つ分テトラポットを降りる。

 二人の距離が、近付いた。あとは、マトキが手を伸ばすだけだ。


「来てください、マトキさん」

「嫌」


 驚いて彼女を見ると、彼女はやはり笑っていた。


「アレッタちゃん、取り戻したでしょ。『卍』」


 迷ったが、正直に頷く。


「あれだけハッパかけちゃったし、任務も失敗しちゃった。さすがにここまでのを食らっちゃったら、あたしだけじゃあの皆を倒せない。少なくとも、あの巨乳さんは」


 そういえば、今上はどうなっているのだろう。しかし、このままではいけない。嫌な予感がする。


「アレッタちゃん、譲ってはくれないでしょ。答えはいい、分かってる」


 灰色の長い耳が、小刻みに震えている。きっと、相当寒いはずだ。手を必死に伸ばすも、マトキは応えない。ただ、笑う。


「どっちにしろ、あたしに未来はないから」

「……なら! 『卍』に来たらいいんですよ! 栄佑さんみたいに」

「あれは、あの人が『neo-J』から逃げたかったから出来たことだよ。あたしは違う。『neo-J』がすべてだし、先生や……あたしを助けてくれたあの人とは」


 マトキの体が、一瞬浮いた。


「離れられないんだよ」


 勢いよく、彼女の体が海へと潜る。影がテトラポットの奥底へ潜っていくのを見て、血の気が引いた。


「マトキさん!!」


 海の中へと、飛び込む。冷たい刺激が、大きな音を立てた。濁った翡翠色の海の中を、必死に掻き分ける。しかし、ぼんやりとテトラポットの影が映るだけだ。マトキが、見えない。とにかく、かきわける。


「……っ!」


 息が、もたなくなってきた。そこで、無呼吸の「種」を思い出す。ポケットの中から直接巾着へ手を突っ込み、一つ分の種を探りあてる。しかし、握り込んだ時の感触は既に知っているものだった。この、冷たさは。


(間違えた!)


 急いで手の平を離すも、もう種は吸収されたあとだった。前回とは比べ物にならない程のスピードだ。残った「種」……本物の無呼吸の「種」を探り当てるも、先程のアキラの言葉を思い出す。

 こうなれば、いちかばちかだ。

 全身に、力を巡らせる。雷とは違い、全身に心地よい冷気が漂っている。それを、一気に体の外へと放出した。水中なのに、周りがぴきぴきぴき、とヒビのような音が走る。とにかく、冷気を海へ渡らせていく。まるで冷気にすら感覚が通っているかのように、海の手触りを感じていく。

 やがて、冷気が何かにぶつかった。これは、テトラポットだ。その下へと、とにかく冷気を巡らせる。やがて、テトラポットとは違うぬくもりを見つけた。冷気が、拒まれている。


(マトキさん……!)


 自分の生み出した氷のせいか、痛みや冷たさは感じない。氷を掘り進むようにして、先程感じたぬくもりのもとへと進む。案外、遠くはない。

 マトキは、スパイだ。『卍』にとっては、少なくとも敵。そして、彼女は彼女なりに自分のやったことへのケジメをつけようとしている。それなのに、止まれない。彼女を、死なせたくない。絶対に。


『どっちにしろ、あたしに明るい未来はないから』


 彼女は、諦めようとしていた。一つの失敗で。

 自分は、その辛さを知らない。強いて言うなら、孤児院を焼かれた時の衝撃が一番大きな悲しみだった。しかし今、あの悲しみを乗り越えた上でこうやって生きている。もがくことが出来ている。流れに近い決断だったが、今はそれでいいと思えているのだ。

 だからこそ、かもしれない。

 ようやく、触れた。マトキを抱きしめると、冷気を一気に解除する。張り詰めていた気をほどくかのように、冷気は海中で霧散した。





 口元がぬるぬるとしている。


「あ、総吾郎起きた!」


 一番はじめに見えた顔は、栄佑だった。彼は総吾郎を強く抱きしめると、ずっと耳元で「よかった」と呟く。どうやら、意識を失っていたらしい。

 ハッとして顔だけ左右に動かすと、マトキが寝そべっていた。意識は無いようだが、胸元はきちんと上下している。そのことに安堵すると、栄佑へと完全に体を委ねた。

 場所は、相変わらず港だった。しかし、もう夕焼けが始まっている。


「何か戻ってこねーなって思って、海を見にいったんだ。そしたら、海凍ってて。あ、これ何かやらかしたなってなってさ。最初は氷をアキラちゃんと二人で割ってたんだけど、いきなり溶け出して。そしたら二人抱き合って浮かんできたから何とかなりましたっと」

「あ……ありがとうございます」

「しっかし、『合成人間』の生命力ってすげえんだな……客観的に考えて、改めてすげえって思ったよ」


 周囲を見ると、アキラ達がいなかった。ただ、ワゴン車が二台止まっているだけだ。


「あの……皆は」


 それを尋ねると、栄佑はすぐさま表情を沈ませた。ゆっくりと総吾郎を離し、先程までかけてくれていたのだろう毛布を巻いてくれた。


「アレクセイ先生が、こっそりGPSを起動させたらしい。『neo-J』に知らせる方の。そしたら、こっちに『neo-J』が向かってきてるらしくて」

「……まさか」

「迎え撃とう、と。アキラちゃん案」


 そんなことだろうと正直思ったが、本当にそれでいいのだろうか。アキラはともかく、自分は体力や経験の都合上戦力にはならないだろう。栄佑も、元は「neo-J」だ。戦いにくいに決まっている。

 しかし、栄佑の言葉は意外なものだった。


「アキラちゃん、その『neo-J』の奴と話だけで終わらす気みたいだ」

「え?」

「勿論用心はしたいってさっきからワゴンにこもって仕込みしてるけどね、トラップの。ああ、だから今お前ら外に寝かせてたの。ごめん」


 首を振ると、もう一度抱きしめられた。何故、こんなにもスキンシップ過多なのだろうか。しかし、冷え切った体に彼の温もりは心地よかった。


「……やっぱりデキてたのね」


 背後からの声にぎょっとして振り返ると、アキラが立っていた。いつもの無表情が、少し険しい。


「い、いや違うんですっ」

「まあ、そこはどうでもいいけれど」


 絶対によくない、と言いたかったが彼女はかまわずに近寄ってきた。ちなみに、栄佑は離す気がないらしい。


「あいつら、うちの本部介して連絡してきたわ」


 表情は変わらない。しかし、声からして相当苛立っているのが分かる。そのことにビクビクしながら、「そ、そうなんですか」と震え声を出す。


「このままじゃ私、上から大目玉ね……まあ、そこはどうにかするからいいとして。で、ここにはあと十五分程で着くそうよ。人数は三人」

「え、そんだけ?」

「こっちが少数だからってたかをくくってるに決まってるわ。で、安西栄佑。須藻々光精って男知ってる? そいつが代表で来るらしいんだけど」


 その名を聞き、栄佑の目が見開いた。今まで見たことのない真剣な顔になると、「本当か」と返す。アキラもその様子に一瞬息を飲むと、頷いた。栄佑は少し考える素振りを見せ、ゆっくりと口を開く。


「……そいつ来たら、俺は一応狼化しておく」

「どうして?」

「この姿よりかは、多分戦力になるよ」


 アキラの眉が、寄った。


「そんなにヤバい奴なの?」

「つーか、『卍』って『neo-J』の情報持ってないの? 須藻々って言ったら、幹部の一人だよ。『nao-J』の本拠地の門番で……」


 そこまで言って、言葉を切った。そしてハッとしたようにアキラを見る。


「ちょっと待てよ。アキラちゃん、本当にあいつを知らないのか?」

「……? 『neo-J』の情報は、厳重に警戒されてるせいで」

「違う。アキラちゃん自身が、須藻々光精を知らないのか?」


 その意味を理解出来ないのか、アキラは一言「知らないわ」とだけ返した。そこに突っ込むようにして、栄佑は続ける。


「アキラちゃん、君の過去って……」


 その声は、派手な摩擦音に掻き消された。驚いてそちらを見ると、一台の真っ黒なバイクが停まっているのが分かる。運転士はフルフェイスのヘルメットを被っているが、体格的に恐らく男だろう。深紅のジャケットには、「nao-J」と書かれていた。

 彼はバイクから降りて、ヘルメットを外した。そして、ミラーで髪型を確認して整えているのが分かる。顔は、距離があって見えない。


「あいつ?」


 アキラの問いが届く前に、栄佑の姿が変わっていった。狼の姿になり、ただバイクの方を見つめている。その前足は、せわしなくアスファルトを掻いていた。

 やがて、男がこちらへと歩いてくる。夕焼けの光を浴びているその男を見て、総吾郎は息を呑んだ。

 あまりにも、その男は美しかった。男である総吾郎ですら、美しいと思う程。柔らかな表情をしているが、垂れ気味の目には気の強い光が見える。


「……悪いね、取り込み中? もしかして」


 優しい、声音だった。しかし、どこかで聞き覚えがある。というより、誰かに……似ている。

 アキラは彼を注意深く見つつ、口を開いた。


「あなたが須藻々光精?」

「そうだよ、アキラ。俺が須藻々光精」


 彼の言葉に、アキラは露骨に眉を寄せた。


「何故、私の名前を知っているの」


 光精は、一瞬笑みを崩した。しかしすぐに、にんまりと笑む。マトキのような、そんな笑い方だった。


「そうか……ふふ、そうか。いや、いいんだよ。俺は別に構わないさ。ああ、ごめんよ。今俺はおかしい。何年ぶりだ? もう十五年くらいか。ようやく対面出来て、俺は興奮しているんだ。悪いね」


 アキラの足が、一歩あとずさった。その理由が分からず、総吾郎は光精を見る。しかし彼は、優しく笑いかけてきただけだった。そして、そんな二人の前に栄佑が立つ。狼になり鋭くなった視線を光精に浴びせると、彼はすぐさま反応した。


「ああ、わんこじゃん。久し振り。新しい飼い主はどう?」


 栄佑の剥き出しになった口元から、低く強い唸り声が漏れ出す。しかし光精はそれをものともせず、苦笑した。


「俺も嫌われたものだね……まあいい、いいんだ。俺にはアキラがいればそれでいい。ああそういえば、そこの子は大丈夫? 事の顛末は聞いたけれど、海を凍らせたらしいじゃん」


 視線が、自分に向いた。頷くと、彼はにこやかに笑った。


「ならよかった。何て名前?」


 栄佑が、強く吠えた。その表情は、あまりにも強い怒りを込めているようだった。光精はそれを受け、くすくすと笑う。よく笑う男だ、と思った。


「ああなるほど、この子が飼い主なのか。名前は……ああ思い出した、田中総吾郎くん、か。悪いね、調べてもらってたけれど忘れてたよ」


 本名の件を思い出したものの、とりあえず頷いておく。すると光精は満足げに頷いた。しかしすぐに、真剣な顔になる。その顔が、何かに似ていた。


「さて、本題に入ろうか」

「……なら、こちらへ。中で話しましょう」


 アキラが背を向ける。しかし光精は「待って」と声を飛ばした。


「悪いけれど、ここで済ますよ。あのワゴンの中じゃ、何が起こるか分かったもんじゃない」


 アキラの表情が、一瞬動いた。しかし、それだけだった。何も言わない。


「こっちがバイクで来たのも、そういうところをフェアにしたかったんだ。ああ、あとで滝津マトキと品野アレクセイの迎えで車呼んでるけど、それは許してくれ」

「迎え? この子達はこっちが引き取るわ。そちらからのスパイということで上へ引き渡させてもらう」


 アキラの言葉に、光精は苦笑した。しかしそれは、どこか抑えているような笑みだった。


「……やっぱり、肉声はいいね。疼くよ、すごく」


 再び、アキラの足が後ろへと傾いた。今度は少し意味が理解できて、総吾郎の肌にも鳥肌が立つ。それでも、光精はすぐ元に戻った。


「そういう問題じゃないんだよ。この子達は、あくまで国家病院から派遣という形でそちらさんへ行っただけだ。確かに粗相はしたけれど、本来はこちらの……『neo-J』 管轄の職員なんだよ。悪いけれど、こちらで裁かせてもらう」

「治外法権って言葉、知らないの? うちで粗相をしたのだから、うちでさせてもらう」

「あまりこういう手を使いたくないけれど」


 一瞬にして、表情が冷えた。


「『卍』。『neo-J』の力を知っているかい? 法も何もかも、国におけるすべてがうちの管轄下。それを覆す程の力、あるのかい?」


 脅迫の、声だ。嫌な響きをして、この場を凍てつかせる。しかし光精は、心底悲しそうな顔をして続けた。


「ああ、やっぱり権力をかざすのは苦手だ。この手でそのまま潰す方が性に合うというのに、今それが出来ないのが悔やまれる」

「なら、私が潰してあげましょうか」


 蔦が、伸び始める。そのスピードは、緩い。それを見た光精は、泣きそうな顔でアキラを見た。


「やめてくれよ。お前がそうやって寿命を削っていくのを見たくない。お前に殺されるのは本望だけれど、でもやっぱり寂しいな……それも」


 寿命を、削る。確かにそう言った。ハッとしてアキラを見ると、彼女は震えていた。今までも見たこともないような、恐怖と驚きに満ちた目で光精を見ている。


「……何で、知ってるの」


 震えた声だ。普段の一本芯の通ったような声ではない錯覚にすら陥る。光精は再びあの笑みを浮かべると、口を開いた。


「アキラ。お前は可哀相な子だ。俺はお前を救い出すためにいるんだよ。ああでも、今そんなことを言っても理解出来ないか。でもさっきの問いに答えることなら出来る。俺は、ずっとお前を見てきたんだよ。俺はずっとお前を愛して、お前を助けるために『neo-J』で生きてきた」


 言っている意味が分からない。ただ分かるのは、光精はアキラに対し異常な程気を使っているということだ。物言いは気味が悪いが、それだけは痛い程感じ取れる。

 しかしすぐに気付いたのか、光精は口をつぐんだ。そして、先程の話を続ける。


「まあ、そういうことだよ。勝てない勝負は勧めないってことだ。さあ、どうする? 言っておくけど、俺は強いよ。君ら三人でかかってきても、勝てない。しかも、この後俺には応援も来るってオマケ付きだ。さあ、どうする」


 強気な物言いだ。そうだ、この感じは知っている。やはり誰かに似ている。

 アキラを見ると、彼女はもう既に落ち着いていた。しかし、光精から目を離さない。しかしやがて、栄佑を見た。


「人に戻って」


 栄佑は驚いたように彼女を見たが、それだけだった。大人しく人型に戻ると、不満そうにアキラを見る。しかし彼女は、無表情で言った。


「品野アレクセイを連れてきて」

「は!?」

「……勝つための敵前逃亡も、必要ということ」


 アキラらしくない言葉だったが、確かに今の状況では仕方ないのだろう。栄佑は悔しそうに頷くと、ワゴンへ向かった。そんな彼の背中を眺めながら、光精はくすくすと笑う。そして総吾郎を見やった。


「あのわんこ、いいだろ。それなりに強いし。大事にしてやってくれよ」

「あの、すみません」


 総吾郎の言葉に、光精は小さく首を傾げた。しかし、どうやら大人しく聞いてくれるようだった。


「……栄佑さんのこと、取り戻そうとしないんですか」


 ああ、と彼は笑った。


「別に、犬一匹消えたところでこっちに害があるわけないからね。それに、あのわんこには嫌われるようなこと散々したから。噛まれても仕方ないよ」


 その言い方は、あまりにも冷たかった。それでも少し安心して、ほっと胸を撫で下ろす。アキラは未だに彼を警戒しているようだが、特に何も動きはしなかった。

 やがて栄佑が、ぐるぐるに縛られたアレクセイを抱きかかえてやってきた。どうやら、意識を奪われているらしい。未だ眠るマトキの傍らに置くと、光精は満足そうに頷く。


「迎えが来るまで、あともう少しかなー……悪いね」

「何でそんなにかかるんですか?」


 純粋な疑問だった。しかし光精はにこやかに応える。


「俺バイクだったから、渋滞の隙間縫ってきた。いいよーバイク。すごく楽。総吾郎くんも『neo-J』来たら乗るといいよ。貸し出ししてるから」

「うちの子勝手に勧誘しないで」


 ぴしゃりとしてた返事だった。光精はくすくす笑いながら「ごめんね」と呟く。しかし、その上で気になったことがもう一つあった。


「……アキラさんと、何かあるんですか」


 それを聞き、アキラもまた光精を見る。光精は首を傾げ、初めて唇を尖らせた。


「あるっちゃあるどころか、とんでもなく大有り。でもまあ、言えない」

「どうして」


 噛み付いたのは、アキラだった。しかし光精はそれが嬉しかったらしい。にやにやしながらアキラを見た。


「じゃあ、ヒント。アキラ。お前は記憶を消されてるんだよ。あのクソジジイに」

「うちのボスのこと?」


 頷くのが分かった。そのまま、続く。


「『卍』のトップ、千葉樹アーデル。あいつの正体を考えろ。そして、どうにか思い出せ。でも」


 光精の足が、初めて動いた。それは、あまりにも刹那的だった。

 二人の唇が離れた時、彼は総吾郎にも聞こえる距離で囁いた。


「その時、お前は『卍』のからくりに殺される」


 アキラの足が、密接していた光精の膝を勢いよく撃った。しかし彼は飛びのいてかわす。呆気にとられている総吾郎と栄佑を無視するかのように、彼は呟いた。


「俺は、諦めないよ。アキラ。愛しいアキラ」




 それは、本当の意味でのハジマリだった。

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