第10話:どした、どした? なにがあった?

「あ……はい。ご、ごめんなさい……」

「あたしも……ごめん……」


 二人は俺から目をそらして慌てて席を立ち、扉を開けて逃げるように帰って行った。

 そして再び店内は静けさを取り戻す。


 ふわり先生はカウンター席に座ったまま、驚いたような目を俺に向けていた。


「ほ、ホト君。あんなこと言っていいの?」

「ああ、もちろんだよ」

「だって常連さんなんでしょ? それこそ売り上げが落ちるよ。」

「いいや。いくら商売でも、他人をバカにするような客はウチに来てほしくない」

「それにあの人たち、すっごく美人だったし。もったいないでしょ」

「いいや、俺はああいう派手な人より、清楚な女性が好みだし」

「あの……私はこれからも、この店に来てもいいのかな? この店に似合わなくない?」

「もちろん来ていいよ。似合わないなんてことないし、遠慮なく来てください」

「……はい、わかりました。ありがとう」


 ふわり先生を悲しませたくない一念で、俺の身バレのリスクが高くなるのに、ついこんなことを言っちゃったよ。


 ああ、俺ってアホかもしれない。


 でも……仕方ない。

 目の前のふわり先生の顔から、悲しみの表情はすっかり消え失せている。

 とても幸せそうな笑顔に包まれている。


 この笑顔を見たら『これで良かったんだ』としか思えない。



「ただいまぁ」


 手にコンビニのビニール袋を提げて、真紅しんく姉さんが帰って来た。


「ん? どした、どした? なにがあった?」


 俺とふわり先生の間に流れるなんとも形容しがたい空気。

 ふんわり、ほのぼのとした空気。

 自分が出て行った時とは打って変わった空気に、真紅姉さんは興味津々な顔をしている。


「なんにもねぇよ。気になるんだったら、これからは用事を偽ってサボりに出るなんてしないでくれ」

「用事を偽ってなんかないし、サボってもないから」


 ニヤリと笑う真紅姉さん。

 どこまで何を悟っているのかわからないが。


 その『なんでもわかってるぞ』っていう感じのニヤつきがムカつく。

 そしてその横で「ふふふ」と小さく笑いながら、幸せそうにはにかむふわり先生。


 これがまた、少女のようで滅法可愛かった。


 ──いや待て。

 この人は担任の先生なんだから、あんまり可愛いとか思うとヤバいぞ。

 そんなことは思わないようにしよう。


 ***


 それからしばらくして、ふわり先生は店を出て帰って行った。

 他の客もいなくなったところで、改めて真紅姉さんに声をかけた。


「あっ、そうだ真紅しんく姉さん。さっきはなんもねぇって言ったけど、実は謝らなきゃいけないことがある」

「なんだ?」

「キャバクラ『えっくす』のナンバーワンとツーの二人いるだろ」

「うん。彼女たちが何?」

「二度とこの店に来るなって言って追い出してしまった」

「謝るってことは、キミの行動が間違ってたと反省してるってこと?」

「いいや。行動そのものは間違っていない。だけど姉さんの店の売り上げダウンになることをしてしまった」

「ワタルが間違ってないって言うなら、別に謝る必要はない。店を任せて出かけた以上、ワタルの判断を信用している。売上なんて、また他から上がるように頑張ればいいだけのことだよ」

「姉さん……そうだな。ありがとう」

「どういたしまして」


 淡々と答える姉さん。

 真紅しんく姉さんって、こういうところがとても男前だ。

 そして姉さんのおかげで、俺は色々と学ばせてもらってる。


 生活も親代わりに面倒見てもらってるし、ホントありがたい人だ。


♡♡♡


「ふぅ〜っ、酔っちゃった」


 私、高井田たかいだふわりはワンルームマンションで一人暮らしをしている。


 帰宅してシャワーを浴びた。

 汗ばんだ身体が浄化されていくのが気持ちいい。


 そしてバーcalmかるむのこと、ホト君のことに想いを馳せる。


「また行っちゃったな……」


 私は特にお酒好きというわけでもなく、今までの人生でも、飲み屋さんで一人飲みなんてしたことがなかった。

 なのに、また一人でバーに行ってしまった。


 それはもちろん……ホト君のせいだ。

 彼に会いたくて行ったのだ。


 彼はバーテンダー。

 つまり彼が私に向ける笑顔は営業スマイル。

 そんなことはわかってる。


『飲み屋のお兄さんに恋するなんておかしいだろ』

『昼間の普通の仕事をしてる人じゃないとダメだ』


 親や世間の人たちが言いそうなこともわかってる。

 でも──恋に落ちるのに理屈は要らない。


 初めて会った日に、私はたった一晩で恋に落ちてしまったのだ。


 冷たい感じの見た目なのに、なぜか優しさを感じた。

 初めて会ったのに、なぜか前から知ってるように感じた。

 業務的な接客のはずなのに、なぜか親しい友人のように私と接してくれてる感じがした。


 そして顔は好みのタイプのイケメン。

 声は心に響くイケボ。


 しかもしかも!

 今日のアレなに?


 私のために常連さんを追い出す?

 そこまでする? しちゃう?


 でも今日のホト君は、私のためにそこまでしてくれたんだよねぇ……ムフフ。

 ヤバ。笑いが止まらんですよ、これは。


 ──そりゃ、恋に落ちるわ。


 恋に落ちて当然だわ。落ちて落ちて落ちまくるわ。


 相手は女性にモテモテのバーテンダーだし、私を本気で好きになってもらえる可能性なんて、きっと低い。

 だからこの恋は、きっと儚く終わる。

 でもそうは思っても、彼に会いたい。

 彼と話したい。


 今は先のことなんて考えられない。

 とにかくこの恋心を大切にしよう。


 そう思うだけ──




「あっつぅぅ!」


 シャワーを止めようと水栓を捻ったつもりが、温度設定の方を動かしてしまった。そのせいで突然熱湯が出てビビったじゃん!


 火傷はしなかったからよかったけど。


 せっかく感傷に浸ってたのに。

 悲劇のヒロインぽくモノローグしてたのに。

 

 んもうっ、私ったら!

 私ってホントに天然で、自分でも情け無くなっちゃうよ……ぴえん。

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