第8話:また来ちゃった。えへへ

***


 晩飯を食って、ひと休みしてから夜の7時にバー「calmカルム」に出勤する。

 まだ客は少ないが、掃除をしたりお酒の瓶の入れ替えをしたり、力仕事なんかも俺の役割だ。


 それと俺が早い時間に店に入っているのをわかってて、俺に合わせて店に来てくれるありがたいお客も結構いる。

 しかし今日は──誰も客がいないまま8時になった。


「暇だね真紅しんく姉さん」

「暇だねホト君よ」


 十六夜いざよい 真紅しんく、俺の従姉いとこ。21歳。

 スラっと背が高く、ピンク色のショートボブ、男口調。

 いつもきりっとして背筋がピンと伸びた、ちょっといなせなお姉さんだ。


 そのお姉さんも、さすがにこれくらい客が来ないとだらけている。


 商売あがったりなのは困るけど、今日は昼間に色々とあって疲れたから、このままのんびり過ごすのも助かる。


 ……なんて思いながら、スマホで電子書籍のラノベを読んでいたら、突然扉が開いた。


「いらっしゃいませ!」


 真紅姉さんの声に顔を上げた。

 店内に入ってきた女性客と目が合った。


 ──うわっ、びっくりした!

 高井田たかいだふわり先生!


「どうも。また来ちゃった。えへへ」


 いや、なにその照れた仕草は?

 俺の顔を見て真っ赤になってるぞ。


 ヤバ。やっぱ『ホト君』を好きになっちゃってるのか?


「あ、いらっしゃいませ。どうぞ」


 できるだけ動揺を悟られないように、冷静に冷静に。

 ふわり先生に向かって、カウンターの椅子を手のひらで指し示した。

 素直に椅子にちょこんと座る先生。


 身長145センチの小柄な身体に童顔だから、なんとも言えず可愛い。

 バーという大人の世界には不釣り合いだ。


 ──って未成年の俺が偉そうに言うことでもないが。


「何にしますか?」

「えっと……」


 先生はカウンター席に腰かけて、カウンターの中に立つ俺を見上げる。

 至近距離でじっと見られたら、さすがにバレやしないかと緊張する。

 しかも今日のふわり先生はまだ酒を飲んでいないようでシラフだ。


「ホト君のおススメで……」

「かしこまりました。お客様のお好みはどうですか? 甘い系がよろしいですか? それとも甘くない系?」

「ホト君ってちょっとクールな感じだよね。でもやっぱ私は甘い感じの男子が好きかな……あ、でもホト君みたいなタイプだったらクールな感じも好き」


 あれ? 俺の質問、ちゃんと伝わらなかった?

 カクテルの好みを訊いたんだけど、男の好みになっちゃってるよ。

 ホントふわり先生って天然だ。


「あの、お客様……」

「ふわりです」

「は?」

「あ、高井田ふわりって言います。ふわりって呼んでください」

「あ、はい。ふわりさん」

「はっ、はいっ!」


 ちょっと待って。ふわり先生、めっちゃ恥ずかしそうにしてんだけど?

 すっげぇ乙女な感じ。5個も年上なのに童顔と小柄な身体のせいで、どう見ても女子高生だよ。


「えっと……俺が訊いたのは男性の好みじゃなくて、カクテルの好みなんだけど?」

「あうあうぅっ……! わわわ私ったら! ごごゴメンなさいっ!」


 またあうあう言ってる。テンパった時の口ぐせか?

 ふわり先生は両手で頬を押さえて、ゆでダコみたいに真っ赤になっちゃった。


「え、いえ。まあいいっすけど。で、お好みは?」

「じゃ、じゃあ甘いヤツで」

「了解。すごく甘くても大丈夫?」

「あ、はい。すっごく甘いの大好き♡」

「はい、かしこまりました」


 トリプルベリーのスムージーカクテルという、超絶幸せな甘さのカクテルを作った。


「お待たせしました。どうぞ」

「ありがと」


 先生はグラスを手に、ストローに口をつけた。

 薄いピンク色のカクテルが先生のこれまた淡いピンクの唇に吸い込まれていく。

 幼い容姿とのギャップがちょっとセクシーだ。


 ふわり先生ってお子ちゃまなイメージだから、こういった甘いものが好きそうな印象だけど……

 どうかな。口に合うかな?


「なにこれ? すっごく美味しい~っっっ! 幸せな甘さぁぁぁ~」

「気に入ってもらえましたか?」

「うんっ!とっても美味しいぃぃ」

「ありがとうございます」


 今のところ大丈夫だけど、ずっとふわり先生の話し相手をすると身バレのリスクが高くなる。

 できれば真紅しんく姉さんに接客を代わってほしい──と思ってカウンターの奥にいた姉さんに視線を向けたら。


「あ、ちょっと買い物行ってくるわ。店、お願いね~」

「は? 買い物ってなんだよ。飲み物もツマミも備品も、ちゃんと俺が用意したろ?」

「まあ、色々だよ。じゃあっ!」


 俺が止める間もなく、真紅姉さんはあっという間に店から出て行ってしまった。

 ヤツめ。きっとこの空間に俺とふわり先生が二人っきりになって、俺が困るのを楽しんでやがるな。

 くそっ。……バレないように気をつけるしかない。


「ホト君おかわり! またお任せで!」

「あ、了解」


 今度は爽やかなフルーツ系のカクテルにした。

 先生の目の前に置くと、またゴクゴクと旨そうに飲む。


「そういえばふわりさん。今日は二次会とかじゃないよね?」

「うん。一人で食事だけして、ここに来ちゃった」

「ありがとうございます。この店、気に入ってもらえました?」

「お店もだけど、ホト君をね。……あああ、言っちゃったぁ」


 また顔を両手で覆って、真っ赤になってる。

 いや、真っ赤なのは酒のせいだな。口を滑らせたのも酒のせいだな。──たぶん。


 あんまり真剣に捉えるのはやめておこう。

 この人は普段から天然な上に、今は酔っぱらってるんだ。


「でねでね、ホト君!」

「あ、はい。なに?」


 まあ楽しそうだし、俺のことはまったく気づく様子はないし、いっか。

 真紅姉さんが戻って来るまで当たり障りのない会話をして、時間が過ぎるのを待つことにしよう。


 そう思っていたのだけれども。

 その時扉が開いて、2人組の派手なメイクと服装の女性客が入ってきた。


「ホト君、毎度ぉぉぉ~~~!」

「愛しのホトちゃん! 会いに来てあげたよぉ!」


 二人とも既にかなり酔ってるのか、騒がしいな。


「ああ、久しぶりだね。いらっしゃい」


 二人ともめちゃくちゃ美人。

 近くにあるキャバクラ『えっくす』で人気ナンバーワン・ツーの嬢だ。

 常連で時々来てくれるのはありがたいんだけど、性格がかなりアレなんで、苦手なんだよなぁ。


「あら、今日はほとんど貸し切りねぇ。ホト君をあたしらで独占できてラッキー!」

「ホントホント。ちょーラッキーだよねぇ!」


 ふわり先生が先客として座っているのがわかってるのに、なに言ってんだコイツら。

 あ、ほら。二人が騒がしいもんだから、ふわり先生がびびって引いちゃってるじゃないか。


 ──なんだかちょっと嫌な予感がした。

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