第26話 治療院 2

 広告カードを鞄にあわててしまうと、ミルクティーをすすって誤魔化した。


「これは違います。通りがかりの方に布教されただけで……」


「ニールは体格もだけど、アッチも立派でしょ……あ、シャワー室で見ただけだし、何もないからね? だから最初は勇気がいると思うの。アタシは麻酔科医だし、痛みに関するご相談はあってね。潤う効能がある媚薬も処方できるわ」


 おもわず飲みかけていたミルクティーを放水車のように吹き出してしまった。

 

「……ゲホゲホッ……」


 く、苦し。少し気管に入った。それにシン先生のワイシャツも半分くらい汚しちゃった。


「ゴホゴホっ……ごめんなさい。お洋服を汚して」

「ごめーん! アタシが悪かったわ。てっきりそういう相談かと。服は気にしなくていいのよ。着替えはロッカーにいくらでもあるし。奥さまもこのハンカチで拭いて。アタシはひとまず服脱いでおくわ」

「どうもゲホっ………ありがゴホゴホ」


 シン先生は黒いアンダーシャツだけになると、私の隣で背中をさすってくれた。まだ咳き込む私の首元のスカーフを緩めてくれる。でもまだ喉の奥に何か張り付いている。


「すみ……ません。何か喉に張り付いて……ゴホッ」

「ごめんね。マサラスパイスを入れすぎたかも。身体を温める良いスパイスなんだけど……首元のボタンは緩めても良い?」

 咳き込みながら、うなずいて背中を向ける。ドクターが首筋のフォックを外した時だ。地を這うよな低いニールの声が耳に届いた。


「シン! お前、俺の妻に何してんだ!」

 

 目の前でニールが鬼の形相で見下ろしていた。



 *



「もういやねぇ。アタシが女性を襲う訳ないじゃない。それに職場でそんなことしたら<王の目>に咎められて即クビよ」

 

 人差し指でツンツンとシン先生はニールを突き、彼はばつが悪そうに顔をしかめる。


「悪かったよ、シン。だがアナはどうしてまた職場に? 体調が悪いのか?」


 いぶかしむ視線を向けるニールに微笑み、用意していた言い訳を伝える。


「ううん、ちょっと治療院の図書室に興味があって。屋敷の応接室の本棚を整理するために参考にしようと思っているの」

「ああ……なんだ……それなら良かった。さすが文化司書というか、仕事熱心だな」


 心なしか残念そう……ニールは所在なげにスコーンを口に運んでいたが、患者からの呼び出しで残りの紅茶を飲むと立ち上がった。


「すまないが、患者が呼んでいる。ゆっくりして構わないけど、シンは余計なことを絶対にするなよ」


 ニールはシン先生をにらみつけると、医局から去った。扉が閉まったのを見届けたシン先生は真面目な顔を私に向けた。


「んで、さっそく余計なこと言うけれど、ニールはちゃんと尽くしてくれてるの?」


 ニール……あなたの予想的中だわ。


「つ、尽くしてますよ。倒れた時もずっと付き添っていましたし……変に見えます?」

「まだ、未経験なんだぁ、と思ってね」


「な!……」

「ふふん、勘よ。あとお節介承知で言うけど、医者不足なのに爵位剥奪されると患者も困るから気にしてるの。制度が変わって結婚後1年以内に妊娠の兆しがない、もしくは子がいないと夫は職能と爵位が剝奪されるしクビよ。養子を申請には審査で半年かかるからね。早めに動いた方がいいって彼にも言ってるのだけど」


 え? 夫は爵位を剥奪? 彼は貴族ですらなく労働者階級になると言うの?


「そ、そんなこと誰からも習いませんでしたよ!」

「それは貴方が妻だからよ。妻は強制再婚でしょ? でも夫は労働者階級。理不尽よ〜。アタシの友達に魔術師から離婚となって、今や労働者相手に相性占い兼カウンセラーやってるけど制約多い生活で大変みたい。ま、本人はそれも楽しんでるけど」


 詳しくはないけど、労働者階級は生活が相当制限されている、とエマが話してくれたことがある。


「つまり1年以内に子どもがいないと、ニールは産婦人科を辞めないといけないのですか?」

「そうよ。もちろん魔術師の方もね。最近、彼が思い詰めた表情しているから特に心配しているの」

「産婦人科医を辞めたがっているとか?」

「それは無いわ、絶対。彼は出産時に亡くなったお母様のために医師になったんだから。ため息が出るのも医局内だけ。患者の前では完璧」


 私はシンドクターに思わず詰め寄った。


「あの……ニールに子どもを作る気はなくて、私は子どもが欲しいときはどうしたら良いですか?」

「ええ! ニールって欲望ないの?」

「私に興味がないだけかもでも……したくはないみたいです」


 シン先生はため息まじりに頭を掻くと、キャビネットから細いペンを取り出した。


「ニールと話して欲しいわ。このペンは採血する魔術具で、血液から赤ちゃんの元を作ることもできるけど、相手の同意は必要よ? それに養子を役所に届ける方法もあるからね?」


 シン先生はペンを自分の腕に突き立てる振りをして使い方を指導してくれる。自動昇降機の老婦人は子どもは元夫と血が繋がっていると話していた。こう言う事だったのか……。


「借りても良いですか? ニールと話してみますから。私も彼と別れたくもないですから」

「あなた、相性云々じゃなくて、ちゃんとニールの事が好きなのね」


 シン先生は微笑む。


「ペンは市販もあるれど、処方にしておいてあげる。でも同意は絶対に必要になるわよ」

「わかりました。ニールに掛け合ってみます」

「ええ。頑張って」



 シンドクターと別れ図書室をのぞく。医学書の分類を頭にいれ、沿革を記録した棚でニールの記録を探す。


『医科学校首席卒業。王立治療院で研修。産科医として一年後、休職期間を経て魔法軍参謀長の聖女出産で六つ子出産プロジェクトに関わり唯一成功し表彰、現在、産婦人科医局長』


 側にあった新聞記録を休職期間中に限定して検索閲覧する。『王立治療院の産婦人科医、違法労働者へ魔術施術を行う』という見出しを見つけた。


 魔法印を違法に解除した妊婦の出産に立ち会い、王家から謹慎処分になったらしい。他の記事を探すと『ニール医師への処分取り消しを求め、署名三十万人分が集まる』との見出しに『王立治療院産婦人科医、一時謹慎処分出されるも、医師不足、人道的配慮への功績から取り消しを求める署名が労働者階級中心に集まり、貴族院を動かす。署名は王家に提出、受理されてオベロン王太子戴冠の恩赦にて免責。王立治療院へ復職する予定』とあった。


 やっぱり人気のお医者様だ。書字板タブレットを閉じ、産婦人科のフロアへ自動昇降機で降りた。


 自動人形が行き交う廊下を行くと硝子で仕切られた病室が見渡せた。カーテンの向こうに赤ちゃんをあやし、母親と談笑するニールの後ろ姿を見かける。点滴をつけた貴婦人も穏やかな表情で彼と話をしていた。

 

 あの貴婦人が私なら良いのに……。昨日の夜、自分を抑えようと振る舞うニールに、あわよくばと考えてしまった自分が恥ずかしい。でも子どもがこのままいなかったら、ニールは11ヶ月後にこの場所にはいない。


 どうしよう……。


 彼が廊下に出てくる気配があって、とっさにワゴンの陰に隠れた。今度は検査室から出た年配夫の背に手を添えて診察室へ案内する。普通は自動人形の仕事だ。

 でもニールは歩みを合わせ、診察室のドアすら閉じないように体で防いで……笑みを絶やさない。本当に自分の職能を天職のように思っているみたいだ。

 だから絶対に子供が欲しい。そう私は決意を新たにした。

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