第25話 治療院1

 デートと言われて嬉しい反面、素直に喜べない。私がニールに無理させている気がしてならなかった。

 昨夜は驚きはしたし、彼の眼差しが私だけを見つめられドキドキしたけど……彼はやっぱり苦しんでたんだ……食堂から立ち去った背中に胸の中が痛んだ。


「お嬢さま、険しいお顔はダメですよ〜! 浮気疑惑も晴れて、夕方からデートでしょ?」


 朝食後に仕事に行くニールを見送ったあと、エマは私を着せ替え人形にしてコーデ選びを手伝ってくれてるけど、なんだがやりきれない。


 やっぱり心配なんだよね……。


「そうだ、私は午前中治療院に出かける。だからエマは広間の本を棚へ戻してくれない?」

「え? お嬢さま、どこか具合が悪いのですか?」

「違うわよ、彼の様子が気になるの……」


 エマはジョンと恋人なのに、何も聞いてる様子はないみたい……ニールの寝不足な顔を見ても何も思わないのかしら?


執事セバズチャン様から念話できる魔術具を借りましょうか?」

「いいえ、自分の目で見てきたいの。ごめん……本の片付け頼める?」


 自分の仕事と言った手前、エマに頼むなんて後ろめたいけど、今は彼のことで頭がいっぱいだった。 そんな私にエマは軽くウインクしてくれた。


「ご安心を。お任せあれ! ハイパーモードでご来客日までに終わらせます!」


 エマは私の頼みをいつも快く引き受けてくれる。本当にありがたい。


「ありがとう、エマ。お願いついでに料理人に頼んでスコーンを焼いてもらえるかな?」

 

 エマはうなずいて一階に駆け降りた。キッチンに備えてある自動調理家電でスコーンが焼けるのだ。

 私は室内着から深緑色のドレスに着替える。労働者階級並みに質素なドレスはエマには地味らしく、ひまわり色のスカーフでリボンを作ってくれた。


「旦那様に会いに行かれるなら、もっと可愛らしい服になさればよろしいのに」

「患者さんがいる場所だよ? 不謹慎でしょ?」

 

 生死を彷徨う患者も治療院にはいる。おしゃれしたくとも点滴や気管切開のチューブでそれどころじゃなかったのを忘れたくはない。エマはほほえんで、スコーン入りのカゴを渡してくれた。


「お嬢さまはお優しいですね。頑張ってください」

「エマ、ありがとう。助かるわ、行ってきます」



 馬車の外、白い階段状の巨大建築物が見えてきた。王立治療院は何度もお世話になった場所だ。

 治療院は病気や戦傷で貴族、労働者階級分け隔てなく治療できる場所だ。スタッフは医学書を暗記した自動人形がほとんどで、人間の医者は産婦人科、麻酔科、脳神経外科しかいない。

 

 馬車から降りると、自動人形が近づいてきた。


「本日はどのようなご用件でご来院ですか?」

「ニール・クラウド・ファンディングの妻、アナスタシアです。職場の方へにご挨拶と、付属図書室の利用希望です」

「確認しております……承諾いたしました。こちらの識別リングをお持ちください」


 ブレスレッドを手首にはめ、回転ドアへ入る。

 エントランスは四階まで吹き抜けで、高い場所から滝の立体映像が床に向かって流れていた。

 病衣の子どもが再現された滝飛沫の周りで戯れている。飛沫は雪に変化して舞い落ちる。

 私がエントランスの自動昇降機へ移動したときにはサクラの花弁に。自然保護地区の環境幻影は闘病者や来院者の心を癒している。

 私もエマとよく幻影が産み出す虹をリクライニング車椅子から眺めに病室から来ていた。


 自動昇降機の網戸が開き、老齢のご婦人と乗り合わせた。杖付く夫人の片側を若い青年が支えて自然な笑顔を向けてくる。二人に会釈して昇降機に乗ると夫人が口を開いた。


「貴方もパートナーに悩みがあって?」

「いいえ、私は見学に」

 

 否定したが「無理に言わなくてもいいのよ、わかるのだから」と夫人はほほ笑む。


「夫に絶対無理だって言われたの。だけど子供は必須でしょ? だから血を分けたわけ。でも産んだら

彼、イーサンに喜びを教わったわ。妖精ノ国より素敵よ。貴方も試してみてね」


 夫人が小さな紙片を取り出し、とっさに両手で受け取ると愛玩用自動人形の広告が浮かび上がる。


 思わずイーサンを見つめる。彼が自動人形? 自動人形はたいてい同じ顔立ちだけど、愛玩用は主人の好みが反映できるのか、顔つきがリアルだった。


「人間かと思っていました」

 

 素直に打ち明けると夫人は笑った。


「人間より、自由になれる人間よ。好みの顔立ちにオーダーできるわよ。あたくしの若い頃は結婚は男女間に限られてた。今の人は陛下が嗜好も考慮して下さるから羨ましいわね。義務を終えた夫とは家庭内別居してるわ。寂しくなってもイーサンがいれば大丈夫。定期検診の付き添いすら頼めるんだから」


「そうですか」

「最初は見学のつもりでも勇気を出してね」

 

 私が曖昧に微笑むと、夫人は満足な顔で7階で降り、私は8階で降りた。リング上の院内配置図には医局、食堂、図書室が映された。

 

 医局のドアをノックする。

 現れたワイシャツ姿の細身の男性は、紅い前髪を一房下ろし、後ろに伸ばす長髪を毛先を細い三つ編みにしていて、翠の瞳に眼鏡をかけている。

 『麻酔科医 シン・ジ・ケートローン』の名札がワイシャツの胸元で揺れていた。


「いらっしゃい。ニールの奥様でしょう? あいにく彼は回診中で不在なのだけど、ソファーどうぞ。お茶淹れるから。他の連中は会議中やオペ中でいないしね」


 シン先生は金縁メガネのブリッジを押し上げ瞳をすがめた。


「夫がいつもお世話になっています。お忙しいでしょうから、差し入れだけ置いて失礼しますね」

「駄目よ。スコーンでしょそれ、いい香り。スコーンに必要なのは、ミルクティーと話し相手よ」


 ウインクされ、ずるずると医局に引き摺り込まれてソファーに座ることになった。


「オペ中に、お茶して大丈夫ですか?」

「ああ、アタシが麻酔科医だから? 平気よ平気。麻酔管理は人形がするし、緊急時呼び出しは年に2、3件だから。他科みたいに患者の説明もないしー、ほとんど医局でお留守役。ようは暇なの」


 シン先生は棚からティーセットを取り出すと紅茶を淹れ始めてしまう。


「新聞を見たわ〜! 98%歴代最高の相性でしょ? 羨ましいわぁ、うちのアセット、ああ、アセットは男で妻なの。最初の相性が75%の時はホントガーンって感じ。貢いで120%に育てたけどさぁ」

「は、はぁ……」


 夫婦の相性って育成ゲームみたいな感じなの? 


「それは……すごいですね……」

「そうよー。妻が喜ぶ贈り物をしてー、アタシも身体を鍛えたわ、子どもを持つために。アセットもアタシも男は変えたくはないし、聖女に頼んだけどさ、お金はかかるけどね」


 聖女は同性のカップルが子を望むときの代理出産を担う労働者だ。男性なら聖人と呼ばれる。シン先生は写真を見せた。先生の隣に精悍な顔立ちのアセット。眠る双子の赤ちゃんを両腕に抱えている。『二人の天使オフティカーとオフバランス』と写真に書き込みからして名前だろう。


「可愛い子ですね」

「でしょ? 聖女なら双子も易々だしね。まぁ大金だし、魔術軍参謀長様みたいに六人子むつごを産ませようとまでは思わないけど。ここだけの話、あの軍人さぁ、十人の聖女に同じことをさせたのよ? 小隊を作るのが夢って……頭おかしいわ」


 シン先生は入れた紅茶をローテブルに置いた。


「その聖女達の出産をニールが担当したんですか?」

「彼だけじゃなくて、国中の産婦人科医も集結して……成功したのはニールのチームだけよ。あとの九人の聖女は労働者階級なら一生遊べる慰謝料を手に入れたけど。それもあってニールは評判になったのよ」

「そうなんですか……」

 

 シン先生は「せっかくだからいただきま〜す」とチョコチップスコーンを一口かじった。

 

「ん〜美味しい。……で貴方はどう? ニールと上手くやれてる? 彼とは医学校の頃からの付き合いだから、相談に乗るわよ? 血で産んで人形を代役にしたいとか?」


 シン先生は翠の視線を小さな紙片へ向けた。さっき夫人からもらった愛玩用自動人形の広告、お試しキャンペーンカードに。

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