第27話 忠告と転機

「ちょっと、ニール、奥さまのことどう思っているの?」


 仕事が終わり、医局に戻って荷物をまとめようとすると同僚のシンが声をかけてきた。


 俺のいない間に何か余計なことをしたな……。


「どうって、大切に思っているよ。悪いがこれから出かける約束をしているんだ。小言ならまた後日聞く」

「そう言っていつも逃げるじゃない。周りが何と言おうとあなたはあなたのお父様、公爵さまとは違うわよ」


  俺が医療学校時代に周りから色々と言われていたのをシンは知っている。だから俺が気にしていると思っているのだろうが……


「父の評価とは関係ない。それに妻にはちゃんと話すし、養子を申請するつもりでいる」

「アナスタシアはあなたとの子どもが欲しいいんじゃないの? アタシ採血魔術具を渡したわよ? それとも……もしかして潔癖なの?」

「自分の未来に責任を持ちたいだけだよ」

「本当に? キスだってしてないんでしょ? 詳細は奥さまにははぐらかされたけど」


自分の眉間にシワが寄るのがわかった。


「夫婦はキスしたり、セックスしたりするためだけにあるわけじゃないだろ。まぁ確かに産婦人科医をしている俺が言うのも説得力に欠けるかもしれんが」


「それを言うなら快楽のためにセックスがあるわけじゃないのよ、脳科学的には生物における原始的なコミュニケーションの一つなの! 言語だけにコミュニケーションを絞る理由は何?」


「シン、お前は手をつないだり、背中をさすったりをセックスに含まないんだろうな」


「あーもう! そういう言葉遊びをしたいわけじゃないの! 夫婦はどっちかが頑なだったら相性度なんてすぐ下がるんだから。アタシだってアセットにただ貢いでいたわけじゃないの。贈り物をして大切にしたい想いをずっとアセットが信頼してくれるまで繰り返してきたのよ」

「俺たちの間に信頼関係がないとでも言いたいのか?」

「無いわよ。だってニールは奥さまがここに今日来ることを知らなかったんでしょ」


 ……確かに知らなかった。


「……そうだな。彼女が俺を信頼してない原因は俺にある」

「……ニール、アタシはただ、あなたを応援したいのよ。だってあなたほどこの仕事に向いてる人はいないもの。それにね、あなたはどうも自分を幸せにしようとしない所があるわ。一人で全部背負っていたら、いつか必ず限界はくるわよ」

「まるで母親風なことを言うんだな……母親が本当にそう言うことをいうのか、俺には経験がないから分からんが」

「お父さんだって言うかもしれないわよ……」


 シンが声のトーンを落として言った。父か……父の言葉で覚えていることはただ一つだ。


『ニール、人間たちを導くものとなれ』


 それがどんな意味を持つのか未だに分からない。だが俺には政治家の職能は与えられなかった。政治家は自動人形が民意を抽出して担い、人間には忘れさられた仕事となっていた。だからその代わりに俺の適性に与えられたのは産婦人科医だと思っていた。


「アタシはね、生き物は一つでは不完全だから他者と関わりを求めると思っているの。きっと結婚という制度が残っているのは不完全さを自覚し、互いに譲り合うことを学ぶためじゃないかって思うのよ。生産性だけを求めるのなら、農地みたいに全部機械化した方が早いでしょ?」

「……そうだな」


 確かに俺はアナスタシアを理解しようとはしても、俺をアナスタシアに伝えようとはしてこなかったかもしれない。

 伝えることを恐れていた。

 それは今までの経験がそうさせたわけでも、俺の両親のせいでもなく、俺が単に臆病だったからだ。


「シン……わかったよ。ちゃんとアナスタシアとは話をする。すぐにできるかどうかは分からないが。それでも話す努力はするよ」


 シンは翠色の瞳をすがめた。


「キスする努力はしないってわけ?」


 本気で昔からこのお節介に辟易としつつも、そのお節介に助けられてきたと思う。


「善処する」


 シンがブッと吹き出し、肩を振るわせて笑った。


「いやぁね、善処するだなんて、今どき自動人形でも言わないわよ、そんな台詞」

「そうかもしれんが、いきなりは無理だ、徐々にで良いだろ」

「まぁ、朴念仁にはそのくらいが限度かもねぇ」


 ……助けられたと思ったが、訂正しなくては。

 やはり俺の友は余計な言葉が多い。





 屋敷に戻ると広間は見事に片付いていた。しばらく待っていると、アナがフリルの付いた明るい色味のドレスに着替えて降りてくる。


「お帰りなさい、ニール」

「ただいま。広間も片付けてくれたのか? 疲れてないか?」


アナスタシアは肩をすくめた。


「えっと、実はエマに片付けを頼んで出かけたの。それで今月のエマのお給料を少し多めにできないかしら? もちろん私の財産から出して。直接渡すとエマが受け取ってくれないから。だからエマには黙っておいて欲しいの」

「そうだったかのか……、構わんがそれならエマへの心付けは折半しよう。私の蔵書が大半だし、放置していた責任は私にもあるからな」


 俺は玄関へアナスタシアの手を引いていくと、ちょうど御者が馬車を準備したところだった。

 馬車の目の前でアナスタシアが立ち止まった。


「……ありがとう。でも、ニールこそ疲れてない? 昨日は眠れてないのでしょう?」


 彼女の手を引いて先に馬車に座らせ、隣に座る。


「なら馬車の中で少し肩を貸してくれないか? 少し眠れば平気だ」

「えっ!?」


 動揺しているのか、アナスタシアの目が彷徨った。


「嫌なら別に無理は言わないよ」

「そ、そんなことは全くないわ! でも私の肩は小さいし、身長差があって頭を乗せるには無理があるから、膝をつかう?」


 アナがぽんぽんと膝を叩く。ひざ……膝っ!?


 アナスタシアは本気のつもりらしく、目は真剣だった。顔が赤いのは夕日のせいだけではないのだろう。……少し冗談めかして言ったつもりだったのだが。

 これは……まいったな。


 アナはじーっと俺の顔を食い入るように見つめていたが、照れたように顔を伏せた。


「……ニール、あなた顔が赤いわよ」


 俺が?


「気のせいだ。夕日に照らされてるからだろ」

「夕日はニールの背後にあるのに?」


 ぐ。いま、俺は墓穴を掘ったな。


「いや、ドレスを汚してはいけない。やめておこう」


 そう言ったのに、アナスタシアは素早くハンカチを膝の上に広げて、にっこりほほえんだ。


 これは……もう不可抗力だ。

 若干理性を制御できるか不安は残ったが、意地でも制御するしかない。


 おずおずとアタスタシアの膝に頭を乗せると、彼女の指先が髪に触れた。視線を上げると、アナスタシアと視線が合った。


「重たくないか?」

「大丈夫よ。ゆっくり寝てて。膝枕は脳の回復に一番良いって、シン先生が今日教えてくれたわ」

「そんなエビデンス、どこにも無い!」


 シンのヤツめ! また余計なこと! 俺がため息をつくと、ふふっとアナが俺の上で笑った。


「ごめん、嘘だよ。シン先生が言ったんじゃない。私が考えただけ。そうでも言わないとニールは甘えてくれないでしょ?」

「アナ……驚いたよ。君でも嘘をつくんだな」

「必要な嘘はね……おやすみニール」


 優しく手が俺の背中を撫でていく。それはとても心地よく、このところろくに眠れていなかった身体を否応なしに眠りの底に導いていく。


 必要な嘘……その言葉が何を意味するのか……


 それ以上、考えることはできずに眠りについた。











 





 















 




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