第19話 ニールの過去

 ニールのお父様、つまり私の義父が反逆者? 初耳だわ。ニールからだって聞かされていない。


「『人は生まれながらに悪だ』というなら、私だって悪だわ。そもそも義父がどんな人なの?」

「セルペンス・サブコントラクターは公爵位を持つ魔術師で王の侍従医でした。ですが彼は王家の象徴を奪おうとしたのです」


 なんですって!? 王家の象徴といえば王冠と王笏、真実なら反逆罪だ。


「善良な臣下でしたのに妻が亡くなって5年後、突然理性を失った。セルペンスは王の寝室自由に出入りできたので、鍵を手に入れ宝物庫に侵入しました」

「亡くなって5年後? 彼のお義母さまはどんな理由でお亡くなりに?」


 ユーサによると、ニールの母イザベルは彼をバスルームで産み程なくして亡くなったと言う。臨月になる頃からイザベルは情緒不安定だった妻を行動制限までして彼女の身を案じていたが、王家からの呼び出しで妻の出産に立ち会えず、発見が遅れ致命傷になった。

 

「イザベルの両親は『行動制限は夫の暴力』と主張し裁判に勝利しました。医療用自動人形を置かれず、公爵邸のバスタブで出産していたことがその証拠となりました。その結果、夫セルペンスは有罪。5年執行猶予、自宅軟禁の処分となりました。ですが軟禁が明けて、すぐ反逆罪を起こし、近衛に捕獲。最後は息子と会うことなく牢で死去しています」


 エマが冷たくなった私の手を取る。


「お嬢さま、やめましょう。旦那様のお父様の知ったところで旦那様のお心を知る事にはなりません」

「………最後にひとつ教えて。ニール自身はこの事を知っているの?」

「当然です。この箱庭の子らは15歳の卒業時、己の出自を知る権利が保証されていますから」


 ユーサはふっと笑みを浮かべ、一礼すると部屋から出ていった。


「お嬢さま大丈夫ですか?」

「……わからない。でも今日ここを訪れた事は黙っておいてくれない? 彼が言うまで心に留めておきたいわ」


 エマが心配そうにうなづく。まとまらない思考で回廊を歩き、出口へ向かった。


 硝子窓の向こう、教室の中で知能テストに取り組む小さな子たち。その隣の教室では、おめかしてお菓子を食べお腹がいっぱいになってうたた寝する子らを自動人形が抱き上げて移動式の寝台へ乗せた。


「お嬢さま、見てないで急ぎましょう」


 だが足を止め、回廊に出てきた移動式の寝台を先に通す。ベッドに並ぶ子らは両手を上げ、可愛い顔ですやすやと眠っている。


「かわいい……お昼寝の時間なのね」


 穏やかな寝顔に温かい気持ちになって呟くと、自動人形が抑揚のない声で告げた。


「いいえ、妖精になります。そのための最後の宴。競争に勝てないモノは平等に妖精になる事になっていますので」


 ズンとその言葉が私の胸に響く。生きられなかった兄弟姉妹は水槽に落とされた。『魂は妖精ノ国にあるのよ』書字版タブレットから聞こえてきた両親の声。でも今まで一度もあの国で会えてはいない。


「ニール……あなたも、あなただって懸命に生き残ってきたのね」

「お嬢さま……」


 寝台を見送る私の冷たい手を、エマはしっかりと握ってくれていた。





 帰宅の道、馬車からの景色は商業街へと姿を変える。ぼんやり街並みを眺めていた肩がエマに強く叩かれる。


「お嬢さまっ! 女と一緒に旦那様がっ!馬車を止めさせます!」

 

 確かにパラソルが並ぶ道沿いのカフェテラスでニールが綺麗な女性と談笑していた。

 馬車は店から少し過ぎたところで止まり、エマは素早く帽子を私に被せて馬車から下ろした。


「きっと職場の人よ」

「エマの女センサーが危険!と判断しています」

 

 何よ女センサーって? 私も女だし妻なんだけど……。


「大丈夫よ。紳士で誠実なニールが浮気なんてするはずがないわ」


 とはいえ、近づくにつれ女性の美しさが際立ってきた。仕草は男性的でも首元まである黒のレースと黒真珠は高級品。艶やかなストレートの黒髪を片方だけアップにしてベール付きの帽子を被る。スリットからのぞく黒タイツの長い足が妖艶に組み替えられた。

 ニールは全体的にラフな姿で、普段見せないような笑みを見せている。女性のルージュから覗く白い歯。ニールが彼女に交わす視線に胸騒ぎを覚えた。


 だけど私よりも早くエマが仁王立ちになって腕を組んで叫んだ。


「不埒者! 説明して下さい!」


 女性は流し目を私へ向ける。右目の下に泣きぼくろがミステリアスで瞳が赤く光って見えたが、良く見れば黒い瞳だった。獲物を見るかのような鋭い視線に身体中がゾクリと逆立つ。

 ニールは口をあんぐり開け、呆気にとられている。


「エマ……アナスタシアまでどうしたんだ?」

「私たちは旦那様のっ……むぐっ!」


 行き先を明かそうとするエマの口をふさぐ。


「エマっ! ちょっと黙って!」


 エマがようやく貴婦人や紳士の道ゆく労働社階級から注目を浴びていることに気づいてくれた。黒髪の女性は悠然と立ち上がった。妖艶な美しい女性は見定めるように私を見下ろした。 

                                                

「ごきげんよう、奥さま。お会いする日を楽しみにしております。では失礼」


 エマが私の手をどけ、女性に言い放つ。


「お待ち! 逃げるのは許しませんっ!」

「あら、逃げてはいないわ。忙しいだけ。詳しくはご主人に尋ねて」


 彼女は紅いマニュキアの塗られた手で黒のハンドバックを取り上げ、ウインクを飛ばして颯爽と去った。


「誰ですか! あの女っ」


 エマは我を忘れると主人の言葉が入らなくなるのが玉にきずだ。


「エマ、とにかくことで話すことでもないし、馬車に戻りましょう。恥ずかしいわ」

「お嬢さま、とっ捕まえに行きましょう」


 腕まくりするエマをなんとか引き留める。


「駄目よエマ。私はニールを疑っていないから」


 信じられないという顔をむけるエマに、会計を済ませたニールが立ち上がる。


「あぁ、エマの誤解も理解できるが、馬車に戻ろう」

「私は腹が立つので一人で帰ります!」


 エマは顔を真っ赤にして怒った。


「ならば近くにジョンがいるから彼と一緒に帰るんだ。一人では危ないから」

「私に優しくしてお嬢さまからの株を上げる魂胆ですか? 見え透いた手には乗りません!」


 エマはかなり頭に来ているらしいが、外出着を着たジョンが駆け寄ってきた。


「声がすると思ったらやっぱりエマじゃないか。奥さまと買い物に出てたの?」

「ジョン……あなたの旦那様って酷いよ……ぐすっ」


 泣き崩れるエマにこめかみが痛くなってきた。ニールは冷静にジョンへ指示を出しエマを連れて帰らせ、エマは泣きながらジョンにもたれて辻馬車に乗り込んだ。ごめんね、ジョン……。


「ごめんなさい、ニール。エマ聡くて優秀なのだけど突っ走るところがあるの」

「いや誤解を招いたのは私だ。彼女とはお茶を飲んでいただけだよ」


 ニールが微笑んで私の手を引こうと近寄る。その首筋に赤いキスマークを見つけ、思わず口があんぐりと開く。


「ニール……その首筋は……」

「………っ、これは別にそういう意味じゃない。ジョンが二人きりにさせてくれないから付けられただけで」


 慌てたニールがハンカチを取り出して太い首筋に付いたキスマークを拭き取る。


「じゃ、邪魔してごめんなさい」


 開いた口が塞がらず、くるりと180度向きを変えると私は馬車に向かって走り出した。

 ニールが何か叫んだが、私の耳には全く入らなかった。

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