第18話 ニールの育った場所

 「赤ちゃんまだ?」の爆弾投下から5日経った。おば様は相変わらず栄養剤や健康食品を送りつけてくるけど、ニールは受け取りを拒むことはしないから大人だと思う。私の方は、その荷物から寄付できそうなもの(さすがに妊娠確認キットは寄付できない)をエマに選んでもらい箱詰めしてもらう。おば様の襲撃から7日目、ようやく体調が回復して出かける用意をしている。


 彼の育った場所、王立青少年育成センターへ。


 新婚旅行で倒れ、彼の優しさに触れてもっと彼を知りたくなった。怒った私の手をそっと握ってくれた温もりはどんなに得難く、ありがたいか、長期間療養生活だった私にはよく分かる。


 なのにおば様ったら……!

 いや、人の事は言えないか。私も同じ事をニールにしてるんだけどね。


 

「お嬢様、見えましたよ!」


 エマが指差した先には、ニールが5歳から15歳まで過ごした城壁と聖堂を寄せ集めた建造物があった。城門の前に馬車が停まると案内役の自動人形オートマタが出てくる。


「ようこそ、アナスタシア・クラウド・ファンディング様。ご用件をうかがいます」


 おば様からの送り物がどっさり乗った馬車の屋根を指さす。おば様には悪いけど、我が家では使わないから有効利用ということで。


「こちらの荷物の寄付、それと見学をしたいんです。尋ねたいことがあって」

「ご厚意、心より感謝いたします。どうぞ中へお進みくださいご案内いたします」

 

 城門をくぐると子どもたちの声が聞こえ、世話役であり教師でもある自動人形オートマタが行き来する。広い敷地は四方を城壁に囲まれて箱庭みたいだ。芝生の広場で制服姿の子どもたちがボールを追いかけている。 

 その広場を囲むように回廊があり、聖堂のような外観の教室が取り囲む。子供たちはここで学び、宿舎で15歳になるまで共同生活をするのだ。


「今日は私の夫、ニール・クラウド・ファンディングのことを知りたくてきたの」


 広大な敷地の回廊、案内中の自動人形が振り返り手にしていた書字板タブレットを差し出す。


「在籍中の生活態度優良、成績優良、体力テスト優良、魔術師適性良。学生寮室長、生徒会会長もしていて新生児室訪問ボランティアを長年続け、魔術師受験資格を得て、大学受験資格も取得。絵に描いたような完璧な経歴ですよ、お嬢さま?」


 書字板タブレットを、私の覗き込んでいたエマが私を見上げた。


「それは私でも調べられるわ。そうではなく彼がここへ来た理由とか、ご両親の事とか」


 自動人形オートマタが申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ありません、その質問にはお応えできかねます」

「そうなの? 夫の過去や身体の問題を妻の私には知ることができる、と調べてきたのよ?」


 こういう時、文化司書で良かったと思う。文献を調べるのも仕事なので、この施設も文献でどんな場所か調べることができた。


「私がご案内しましょう。はじめまして、箱庭ここの管理者ユーサッジフィーと申します。ユーサとお呼びを、伯爵さま」


 修道士姿をした白髪の男性が奥から現れ、紫の目を細めて微笑んだ。


「アナスタシアよ。こちらは侍女のエマ」

「ええ、よく存じております。どうぞ管理者室わたしのへやへお越しください」


 深紫のローブを引きずりユーサは私達を先導する。その衣の背に妖精特有の薄い翅が2つ垂れていた。ここは現実と妖精ノ国が重なる場所で妖精が管理しているらしい。彼の部屋は無機質な壁で、インテリアも進化の系統樹が描かれた絨毯と卵形の椅子が二脚だけだった。

 

 ユーサは優雅にその片方の椅子に腰掛ける。


「アナスタシアさま。この箱庭は海面に浮き出たいわば氷山のようなもの。本体は妖精ノ国にありますので椅子へおかけください」

「この卵みたいな椅子って魔法船ベッセルなの?」

「いいえ、建物全体が一つの大きな魔術船ベッセル。その椅子は箱庭の一部に過ぎません」 

 

 私の隣でエマは固唾を飲んで立ち尽くしている。椅子に腰掛けた瞬間、視界が白み絨毯の系統樹の模様が薄くなる。

 

 景色は広大な海上に置き換わった。


 これが妖精ノ国の入国ゲートだ。浮遊感と同時に海面に吸い寄せられるように海に沈む。

 遠浅の魚たちが泳ぐ海底を通り抜け、大樹が立ち並ぶ深い森に代わる。木々の間を私は落下していく。

 小鳥や動物の声が聞こえ大木の根本へと近づき土の中へ潜ると、洞窟を通り抜けた。

 足元に天をさす高層のガラス張りの建物群が見える。その間を落ちると見慣れない乗り物が道を行き交っていた。

 硬い地面の下を通り抜け砂漠と荒野が現れる。砂丘に沈むと草花が肌を触れる感触。いつの間に華現れた草原を抜け、石の巨大な神殿群が現れる。冷たい神殿の床を抜けると昼の青空になる。


 落雷が雲の間を走り、嵐の中を落下すると雨でドレスが肌に張り付く。落ちた先は一面の荒野だ。ゆっくり立ち上がると見渡す限り黒く焼けている。

 

 身体は足元からまた落下を始め青空を通り、満点の星々の間に大きな構造物が陽の光に翼を広げているのが見えてくる。その下に青い球体が遠くのからの光に照らされて輝いている。 


 その球体の上に立つユーサは私に尋ねた。


「ここにあるものが何かお分かりになりますか?」

「名前は知らないわ。ただこの景色が妖精ノ国の最下層だということは知っている」


 ユーサは薄笑いを浮かべた。


「これは偉大なる神々の御意向、私たちの行動原理の源、繁栄の始まりです。大昔の言葉なら光です」

「ユーサ。私は人類史を学びにきたわけではなく、ニールのお父様とお母様について知りたいのよ?」


 私の言葉が聞こえていないのかユーサは片手を上げ私達は妖精ノ国を上昇する。

 景色は潜った時と逆順に戻される。満天の星空、青空、嵐の中。神殿、草原、荒野、ガラスの街、洞窟を抜けると深い森林の中に戻る。大樹が大地を覆い、鳥の鳴き声や小川のせせらぎが聞こえてきた。


「今や失われた生命は2000万種と言われています。時間は生命を淘汰し、環境は生命を適応させていった」


 うーん、妖精の言葉は周りくどいのは分かっているけど、生物学の講義をしたくなったの? 魔術師は彼らの言葉を分かりやすく翻訳できるらしいが、魔術をかじっただけの私には難しすぎる。


 ……眉をひそめていると周りの景色がもといた部屋へ戻った。


「アナスタシアさま。失われれたものはあまりにも多い。ですが、その中で残された情報は我々に魔法として受け継がれた。そして妖精ノ国と貴方達が呼ぶ場所では、人類が忘れた繁栄の記憶を体感できるのです」


 この妖精は、おば様のように夫婦生活は諦めて、妖精ノ国で結ばれろと言いたいのかしら?


「つまり……ニールとは子どもは望めない、と言いたいの?」

「いいえむしろ逆です。彼は失われた生命の上に成る完璧な男。そして貴方は彼のあばらを分けた女性。必ず子を望めます……ただ……」

「ただ? 何よ?」

「彼の父親は王家の反逆者でした。『人は生まれながらに悪だ』と思われますか?」

 

 ユーサの思いがけない言葉に私は目を見開く。エマは不敵な笑みを浮かべる妖精を鋭くにらみつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る