第20話 秘密の種明かし

 あの優しいニールが? あの親切なニールが? 私と相性98%のニールが?

 

「奥さま……僭越ながら旦那さまに代わり、私のハンカチをお貸しいたしましょうか?」


 涙目の私を見てセバスチャンが取り出したハンカチで思い切り鼻をかむ。


「ぐすっ……エマは? 戻ってるの?」

「えぇ、エマも取り乱しておりましたので、落ち着くまで待機を命じ……エマに何かありましたか?」


「違うわ! 悪いのはニールよ!」


 目を瞬くセバスチャンを残し、屋敷の中庭をぬけ別館へむかう。

 シーツを洗濯中の男性にエマの部屋の場所を尋ね、3階の角部屋のドアをノックする。

 

「エマ、ごめん! あなたが正しかったわ!」


 返事がない。エマ……怒ってる? 


 あせって扉を開けると荷物が雑然と置かれてた納戸みたいな部屋が現れた。

 屈んでいた黒髪のジョンと目が合い、びっくりする。褐色の引き締まったおなかに、労働者階級が義務付けられている避妊の魔法印が見えたから。


 ニールの従者がなぜ半裸でここに……いや私が、彼の私室と間違えたのかな?


 彼は素早くズボンを上げ、ベルトを締めてシャツに腕を通す。そのとなりにエマがいた。顔を赤くして制服のブラウスのボタンを直している。

 ジョンがぎこちなくほほ笑んで深々と頭を下げて謝罪した。


「すみません、奥さまの侍女に……あの、できれば執事には黙っていてください。厳しい人なので」

「ああ、う、うん」 


 私の返事に愛嬌のある笑みを浮かべたジョンはさっと立ち去り、制服を直したエマがぎこちない笑みを浮かべる。


「エマ……いつの間にあなたたち……」

「ごめんなさい。お二人の式の後、意気投合しちゃって、その……」


 エマとはずっと友達のように過ごしてきたのだ。病室に居た時でさえずっと。だから素直に嬉しい知らせだ。


「いいのよエマ。驚いても友達として主人としてとても嬉しい! セバスチャンには秘密するわね」

「ありがとうございます!……ですがお嬢さまは、大丈夫です? 目がお赤いですよ?」


 彼女は私を抱きしめてくれようとしたが、その胸からジョンの残り香を感じて身を引く。だって今は二人と比べちゃって切なくなる。


「大丈夫……良い知らせをありがとう。休みがいる時はいつでも言って」


 物分かりの良い主人のふりをして自分の部屋に戻ったけど、やっぱり落ち込むなぁ。やっぱり恋人になるとああやって求め合うのだから。


「……こういう時は、仕事をするのが一番よね」


 自分に言い聞かせ涙を拭うと両頰を手で叩いて、一階に降りた。途中やめの書棚の整理の続きをするために。





「アナスタシア、急だが来客だ」


 脚立に乗って本棚を整理していた私は、ため息をついて首だけ動かす。応接間にいるキス男と例の黒髪の女を冷ややかに見下ろしても、余裕の笑みを返された。


「忙しいと断っても『誤解を解いてもらわなくちゃ困る』と彼がうるさくてね。予定をキャンセルして駆けつけたよ。今週末にも妻と訪ねる予定なのに」


 そんな予定一つも聞いていない。それに週末はそのキス男が公爵家をお呼びになったはずよ。


 と心の中で言い放ち、深呼吸を一つしてから言い捨てた。

「あら、奥さまもいらっしゃって私の夫に手を出したとおっしゃるんですね?」


 ニールは目を丸くし、応接室の全ての出入り口に内側から施錠を施すと大股で私が座る脚立に近づいた。


「キス男はそれ以上近づかないで!」


 ものすごく情けない顔でニールが目元を押さえ足を止めて釈明した。


「アナ。彼が前に話した親友の公爵。今週末に招くお客様だよ。頼むから降りてきてくれ」


「あら女でも妻もいても構いませんけど、公爵夫人は気の毒です。他人の夫に公共の場で口づけを残すなんて……貴族の恥ですわ!」


 あははははっ!

 と女は腰に手を当て高笑いをする。


「ゆかいゆかい。ニールが慌てて連絡をよこした訳も理解できて。かわいいらしい女ほど怒らせると手強いものだね。俺の女神エミリーよりも手強そうだがエミリーとは気が合いそうで、よかったよかった」


 ニールがムッとした顔で女に詰め寄る。

「シャドウ、いいかげん元の姿に戻ってくれ! この部屋なら元の姿でも構わないはずだ」


 女はニヤリとして何もない宙で新聞を読む動作をする。


「記事によると君とご夫人は相性98%、歴代最高とある。夫婦仲を心配ならキスしてやれば?」

「ふざけていると主治医から降りるぞ」

「職権濫用かい? 俺も人の事は言えないが、エミリーのお産が危うくなっては最悪だ。ネタバレしよう」


 パチンと女は指を鳴らす。女性は黒髪の精悍な顔立ちの男性に姿が変わって、目を丸くした。

 黒い短髪、体格は大きく瞳はルビーのように鮮やか。切長の目の下には泣きぼくろがあって、そこだけ女性と同じだが漆黒の軍服と手袋にマント。胸元には七色に輝く勲章が並ぶ。彼はひざまずき、たくましい胸板に拳をあて最上の礼をした。


「初めまして、アナスタシア伯爵。俺はシャドウ・バンキング公爵、魔法軍で大佐をしている。仕事熱心な従者を遠ざけるための演出とはいえ、いかがわしい印を許しなく付けたことをお許しください」


 シャドウ大佐は悠然と立ち上がり、くだけた笑みを浮かべた。


「とまぁ、堅苦しい挨拶は苦手だから普段の口調で言うよ。俺は妖精ノ国で作戦中でね身代わり一連隊を指揮中してるので、カフェでサボってるのがバレないよう、女の姿を変えたんだ。だけど従者が超真面目君でね。二人きりが難しく、幻視の魔術で口付けた素振りと偽のキスマークを見せて隙を突いてまいたんだ。だから何もしてないが貴方を泣かせた俺を遠慮なく引っぱたいていいよ」


 勢いよく喋ったバンキング公が整った顔を向けてきた。美丈夫……じゃなくて、相手は目上なのだ。脚立の上で聞いてたら失礼だ。

あわてて脚立から降りようとするとドレスが引っ掛かり、脚立ごと床に倒れていく。


「危ない!」


 叫ぶニールが駆け寄る直前に、脚立は緑のクッションに変形した。結構な高さから落ちても痛みは全くない。


「おっと、大丈夫かい? 伯爵夫人……だが君は複雑だ」


 大佐は手を差し伸べながら、紅い眼をすがめてブツブツ呟く。ボーッとしているとニールが手を引いて立たせてくれた。大佐は唸り、何か独り言ちている。そして脚立は消えニールの寝室の緑の枕が床にある。


「……一体何がどうなってるの?」

「魔術だよ、アナ。シャドウはほとんどの術式を無詠唱で使える、ニラヤカナヤ国で最も優れた魔術師だ」

 

 公爵は紅い瞳を愉快そうに笑った。


「最も優れたは言い過ぎだ。一番優れているのは陛下だよニール君。それでも俺もまぁ名だたる魔術師だから物の置き換えは得意だよ。元に戻すから少し避けて」


 一歩退くとクッションすでに脚立に戻っていた。置き換わったという事は、さっきの女装も同じ事? 


「つまり、大佐の変身も誰かと置き換わっていたのですか?」


 シャドウ大佐は声を出し腹を抱えて笑った。


「ははは。生命体を置き換えると? それなら臓器を魔石で強化せず、置き換えればいいだろう? そうか。それができれば文化の縮小、衰退……いや失礼、妖精ノ国にある貴方のカルテを勝手に見て悪かった。俺の見すぎは悪癖でね。息するように頭に情報が入る。仕方ないと諦めちゃもらえないかい?」


「構いませんけど……妖精ノ国に私のカルテ? 今は妖精ノ国に潜ってませんよね?」

「俺の目には妖精ノ国と目の前が同時に見えるのさ。意味ない配列すら意味を持つ。ある意味で夫人の文化司書と同じ職能さ。つまり情報文化を分類し意味づける行為と上位魔術は兄弟だよ。俺の多弁は情報過多の弊害でね、分かりにくいが許してくれ」


 喋る人だと思ったけど、魔術の副作用(?)なんだ……。


「姿を戻してもいいかい? 処理能力に負荷がかかるんでね。それに王の目を気になる。神経がすり減るんだ」


 よく分からないままにうなずくと一瞬にしてまた妖艶な女性に戻った。


「あの、そのお姿の時はなんとお呼びすれば?」

「そうだな『ニールのベイベー』とか?」

 

 ニールは呆れた顔で大佐の肩を突いた。


「シャドウ……職場の同僚じゃないんだ。真面目にやめてくれ」

「ごめんごめん。伯爵夫人、女の時はシャディと呼んで。戦争は土日休だが、平日にも妻と愛子に会いたくてはじめた姿なんだ。息抜きしないとね」

「戦争中にサボってるんですか……」

 

 ニールは今度は私に向かって咎めた。


「アナ、失礼だ」

「平気だニール。戦争と言っても自動人形の頭脳ゲーム。たまに休憩を挟まないとキツイんだよ。五連勤なんでね。それに魔術で仕立てた身代わりは優秀だから今回も西側に勝つさ。安心して構わんよ」

 

 シャディは不適な笑みを浮かべた。素人の私ですら今はかなり強い魔脈を感じる。


「ご冗談を。身代わりを妖精ノ国で動かしつつ化けるなんて大佐は貴重な人財ですわ」

「まぁその通り。だからあの王様も平日堂々とサボるこの俺にお咎めなしというわけさ」


 シャドウ・バンキング大佐、いや公爵位の魔術師、シャディは私にウインクしてみせた。

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