第6話 開かずの書庫へいざ潜入

「妖精ノ国に今から行くんですかっ?」

「しーっ! 声が落として」


 大声をあげるエマの口を思わず両手でふさぐ。ニールは食後は「明日は早いから」と言ってさっさと自分の寝室に引き上げてしまったのだ。


「なぜまたそんな事を」

「だって彼がお風呂に入る時、私の部屋から浴室に向かう通路の扉に内側から鍵をかけて入れなくするのよ。酷くない?」

「お嬢様……まさか入浴中に旦那様をおそおうとなさったんですか?」


 エマは少し呆れた表情で風呂上がりの私の髪に櫛を入れる。


「つ、妻としてお背中を流したいと思っただけよ」

「妖精を頼らずとも明日から新婚旅行でいくらでもチャンスはございます。それに旦那様はお嬢様が疲れないよう気遣われたのでは?」

「二人きりの旅行なのよ? 事前に彼の好みを知って万全の準備をしておきたいの!」


 エマがため息混じりに、ベッドを整える。


「お嬢さま……98%の相性でございましょ? 旦那様お嬢さまの好みのお部屋をご準備なさったり、お食事もチラッと見た限りお嬢さまの好物。十分に愛されていますよ」

「でも清い関係でいたいなんて言われたの。貴族の義務を放棄されたら、茶会や夜会もないのにする事がないわ。文化司書も形だけでほとんど仕事の依頼は無いし……元気な子を育てるために頑張ってきたのに……」


 エマは手を止めて私に近づき、優しくほほ笑むとそっとハグしてくれた。


「マリナ様のお言葉を気にしていらっしゃるんですね?」


 おば様けして悪い方では無いのだけど、ご自分の理想を姪に押し付ける悪いクセがある。おば様は長年の王室非公式ファンクラブの主催の功績が認められ、未婚だ。おば様は例外だが貴族は結婚と繁栄が義務付けられている。


「それにお母様もベビー用品を用意しているって」


 ユリエお母様はお父様と一緒に自ら工具片手に農地へ繰り出す豪快さがある一方、愛らしい小物を収集するのが趣味だ。今までは陶製のドールのコレクションが趣味だったが、婚約の連絡を受け大量にベビー用品を集め出した。


「あまり思い詰めると健康な身体になっても、授かりにくくなると申しますよ」

「エマ、ありがとう。でも気になると眠れないわ」


 エマは抱擁ほうようを解いて肩をすくめた。


「わかりました。お嬢様は一度気になると突き止めたくなる方ですものね。で・す・がお嬢様が妖精ノ国に潜るためには専用の魔術具は必須です。だって魔術師では無いのですもの。どうされるのです?」


「書庫に魔術書があるってニールが言ってたわ。それを媒介にすれば術式が無くても妖精国に行けるの。だってあれは本の形を借りた魔術具だから」


「お嬢様……私を就労初日で懲戒免職にさせたいんですか? セバスチャン様から書庫に入らぬよう注意を受けたばかりなのですが……」


「大丈夫よ。バレないように私が妖精にお願いして何とかしてもらうから」

「鍵を開けろと言うのですね?」

「一生のお願い!」


 手を額の前で合わせると「何回目の一生なんですか」とつぶやきつつエマは諦めてくれた。

 

 深夜、足音に気をつけながら廊下を進む。ランプに照らされた書庫のドアの前で私たちは立ち止まった。

 エマには不思議な力がある。魔術的に解釈すると彼女は生まれつき幸運度に恵まれているのだ。俗に「妖精に愛された子」と呼ばれる彼女は、使用人が好むポーカーで欲しい数字を引き当てたり、人気商品が残り一個で手に入れられたりする。


「お嬢さま。開かなくても文句を言わないでくださいよ。ほんの少し可能性が高まるだけですから」

「大丈夫よ、あなたは絶対に開けられる」


 エマは静かにため息をつくとドアノブを回す。施錠されているとセバスチャンが言っていた扉がカチャリと音を立て、少し埃っぽい匂いが隙間から流れでてきた。エマがため息をつく。そんなに嫌がらなくても良いじゃないか。


「ありがとう、エマ。あとは大丈夫だから部屋に戻ってね」

「お嬢さまもなるべく早くおやすみ下さいね」

「ええ、ありがとう。おやすみ」


 エマは苦々しい表情を見せながらもランプを私に託して別館の自室へ戻ってくれた。書庫はみっしりと書棚が並び。通路もところどころ本が平積みにされていた。片付けたい欲がうずくが、我慢して目当ての本を探す。


 部屋の中央にらせん階段が見えた。2階に繋がっているのね。きっとニールの執務室の方だ。目的の本は階段側の棚にまとめられていた。

 魔術書は変わった綴じ方をしている。表紙と裏表紙を持つとじゃばらに折りたたまれた紙面が広がった。術式とその解説は古語で書かれているが魔術師しか知り合えぬ文字も私は瞬時に読み解ける。


 手がかりとなる術式を見つけ、浮かび上がる文字に手を触れて操作すると妖精国の海面が天井から落ちて、あたりは海中になった。とは言っても私の五感が妖精ノ国に移動しただけで、肉体はニールの書庫で佇んでいるはず。いわばリアルな夢を見ている感覚だ。


 妖精ノ国は現実とは真逆の昼だった。陽が海面に差し込み、海底の珊瑚礁にマダラ模様を作っている。色彩豊かな魚の群れは私の横を通り過ぎ、金髪の髪を持つ人魚が岩陰からこちらをのぞいていた。


 よし! 上手くいったわ。さっそく人魚にニールの事を尋ねてみよう。


「ねえ、あなた……」


 岩場をって人魚に近づこうとした時、背中から誰かに干渉され、海水が遠ざかり海面が遠くなる。潮の匂いが消え埃っぽい書庫の匂いに置き換わった。


「アナスタシア、大丈夫か?」

「きゃっ!」


 背後から抱き上げられ、つま先が床から離れて手にしていた魔術書が床に落ちた。展開していた術式が閉じて視界が書庫に戻る。

 ニールは魔術書を丁寧に折りたたむと書棚に戻し、明るくなった書庫で眉をひそめて私を見下ろした。


「入らないでくれと頼んだつもりだったが?」


 ガウンを羽織った彼はまだ水が滴る髪を結ばず、目を細めた。入浴中に気づいて出てきたらしい。


「ごめんなさい……好奇心が押さえられなくて」

「そのようだ。エマは解錠技術に長けているみたいだが、君の使い魔か? それに魔術書を展開して妖精ノ国に潜るとは……褒められたやり方ではないな」


 む。エマが使い魔ですって? それは人間を自動人形と揶揄する時に使う言葉よ?


「エマは人間です。そんな言い方をしなくても良いでしょ。命じたのは私で彼女に非はないの。それに非なら魔術師ではないのに書棚いっぱい魔術書を持つ貴方も一緒ではなくて?」

「私は魔術師だよ。一代男爵位も合わせ持つ」


 ニールは「隠していたつもりはないし、事前に知らせていたはずなんだが」と呟くと私の手を引いてらせん階段を降りて扉を開け執務室へ出た。


「おば様が婚約証書は管理していたから知らなかったのよ。てっきり伯爵だけだと……」

「そうか。それならおば様からちゃんと聞いておくべきだったな。通り名は上位の爵位で呼ばれるからが私は魔術師だと」


 貴族達は職能に応じた爵位を持つ。魔術師は基本的に侯爵や公爵クラスだが、一代男爵は貴族学校を卒業後に魔術試験を突破した者が名乗れる魔術師の職能だ。


「医学校時代に独学で魔術を学んで試験を受けたんだよ。送った経歴書を見ていないなら仕方ないが」

「そうなんだ……」

「アナ、爵位持ちとして警告する。素人が魔術書を媒介に妖精国に行けば妖精に道づれにされる。意識を失うぞ。それにちゃんと頼んでくれれば君専用の魔術船ベッセルを用意する。何をしようとしたんだ?」

「実家に念話をしたくなったのよ」


 嘘だ。本当は夫の夜の嗜好調査ですなんて、さすがに言えなかった。念話は妖精ノ国を媒介に頭の中で遠い場所の相手と会話する魔術だ。


「それなら念話具を知り合いの魔術具師に頼んで用意させる。念話の為に二度と目覚めなくなる危険を犯すなんてどうかしているな」


 温厚そうな彼が怒ったように声色を低くした。

 念話具なら魔術師以外でも念話できる。執事や店の店主などは魔術師具師から買った道具を仕事で使っている事が多い。

 

 ニールは無言で私の手を引いて、魔法船のカウチの前を通り過ぎ執務室の外へ出た。ん? 魔法船ベッセル


「……魔術師なら魔法船ベッセルなしに術式で妖精ノ国に潜れるよね?」

「……公爵位ならともかく、術式より感度が違う」


 彼はため息をつくと、端的に答えた。感度……つまり五感の没入感が術式より魔法船の方が高いということらしい。そこまで好感度を求めるって……妖精ノ国で何をするんだろう?


「あのさ、魔術書は使わないと約束するから書庫の本を整理しても良い?」


 階段を上りかけたニールが呆れたように振り返って見下ろす。


「生焼きのスコーンより頂けないって? ダメだ。埃っぽい部屋で作業したら不健康になるだろう」


 埃? 魔術師なら魔術で綺麗にするなんて朝飯前なのに片付けたくない理由でもあるのかしら?


「埃なら空間定義を魔術で書き換えれば綺麗にできるんじゃない?」

「ほぅこれは驚いた。魔術知識にも詳しいとはさすが文化司書様だ。だが、君は私が書庫に立ち入って怒ったことも、嫌がっていることも分からないようだな」


 表情は冷静だが確かに言葉がトゲトゲしている。静かに怒るタイプなんだ……それでも整理が行き届かない空間が住まいにあるのが容認できない。


「夫婦なら住まいについて私も意見しても良くない?」

「一理あるが書庫は私のエリアだ。君のエリアはそれ以外。比率からして君の方が十分広いだろう?」


 ダメだ。一才妥協しないつもりらしい。

「分かったわ。妻に秘密があるならお好きになさって。わたくしも秘密を持ちますから」


 ニールは口を固く結んで息を鼻で吐くと、踊り場で突然私を抱き上げた。物語でしか見たことがない「ザ・お姫様抱っこ」だ。


「な、何するのっ?」

「夫婦なんだろ? 私の秘密がそんなに知りたければ寝室に行こう」


 冷ややかな眼差しに私は思わず息を飲み込んだ。

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