第7話 二人の秘密

 ニールは私をお姫様抱っこしたまま自分の寝室の扉を開いた。深緑の天井と壁紙が視界に入って、好奇心が刺激されるが内装を観察する余裕は全くない。心臓がドキドキ鳴りっぱなしだし、ニールは固く口を結んで何も話をしてくれない。


「ねぇ、ニール……何するつもり?」

「私がどんな男か君は興味があるんだろ?」


 ましがで見下ろされた瞳が部屋のランプに照らされて妖しく光った。き、期待していたはずなのにいざとなると緊張する。心を落ち着けよう。

 深呼吸をすると若杉の香りを感じた。治療院のロビーに再現してある森も感じの香りだがら、自然保護地区に行った事は無くても若杉の香りだとわかった。


 部屋の柱は黒い漆塗り、剥き出しの梁まで伸びている。

 ニールは中央にある天蓋てんがい付きのベッドに近づいていく。マホガニー色の支柱がささえる天蓋てんがいからは常盤色ときわいろの渋みのある緑色の布地が下がっている。

 ニールが深緑色の寝具をめくると真っ白なシーツが現れる。深緑色の枕に頭が沈み、彼の濡れた金髪がほおをくすぐった。

 慎重にのりの効いたシーツの上に下半身が降ろされ背中がシーツに沈む。室内ばきを片足ずつ丁寧に脱がされるのを固唾を飲んで見守った。


 足元に視線をおろすと、上目づかいの青い瞳がじっと私を見つめた。

 ベッドサイドのルームランプに照らされ、暗がりの中で彼の碧眼へきがんがあやしく光っていた。思わず両手でシーツを握ると、ニールはようやく口元をゆるめた。


「必要なものを用意する。おとなしく待つんだよ」


 詰めていた息をはくと、室内を観察する余裕が生まれた。天蓋てんがいの内側に描かれた星図を支える支柱はアラベスクの模様だ。幾何学きかがく模様の中に詩文を見つける。文字は崩れるようにデザインの一部になっているが、目をらせば何が書かれているか理解できた。身体を起こし初めて見る文字を指でたどって語学の記憶を駆使くしして読み解く。


寝台シンダイワタシタメス。

 ウツワ二アル精神ココロヲ。

 孤独ヒトリワタシ唯一人ユイイツヒトス。

 神々ガミガミ寝台シンダイレバ楽園ラクエンザスダロウ」


 なにこれ……意味不明な詩文だわ。寝台の一人称のようでいて自らをいましめているような詩文だ。いましめる? 誰が何の為に?


「アナは知的好奇心が豊富だな。じっとしてという言葉が聞けないほどに」


 耳元で声がして飛び上がると、勢いづいてシーツの上に倒れ込む。その上にニールが手を付いて私を見下ろした。


「いつ戻ったの? 気配がしなかったわ」


 じっとニールが私を見つめた。


「気配を消す魔術は得意でね。それよりもどうやって文字を読んだんだ? 執務室の時に思ったんだが、あれだけの言語の書棚の本、偶然知っている書籍が並んでいたとも思えないが?」


「『リスト4、私がどうやって言葉を知っているかは秘密』よ」


 きみ悪いと思われるのは嫌だし……頭の中で自然に意味が流れ込んでくるなんて言ったらヤバい人だもの。


「私の秘密は知りたい癖に君は秘密を持つのはアリなのか……」


 ニールは瞳を伏せて独り言のように呟く。サイドランプに金色のまつ毛が照らせて鈍く光った。


「い、いいでしょう? それを言うなら貴方だって書庫を秘密にしたがっているじゃない」

「知らない方が幸せな事は世の中に多いからな」

「そうかしら? 夫婦なら寂しい気がするわ」

「寂しい……か」


 彼はあおい瞳で私を見つめ、大きな手のひらで私の髪をそっと撫で髪の中から右耳を探し当てた。指先が耳の裏をくすぐるのでドキドキしてきてしまう。


「あ、相手のことを知ることができたら親しくなれると思わない?」

「アナスタシア。私はすでに親しく接しているつもりだよ」


 ニールは私の上で寝台に手をつき直してベッドがきしむ。思わず息を呑むと今度は反対の手で私の左耳の髪をすいた。彼の指が耳を触るとくすぐったい。思わず肩をすくめるが、ニールは食い入るように妖艶ようえんな視線を向けた。私の心臓がドクドクドクドクと早い鼓動を刻む。


「た、互いを知ることは大切よ。貴方は私の夫で、私は貴方の妻だもの」

「ならばまずは言葉で探るべきだとは思わないか?

耳に魔術具を入れいるわけではないんだな」

「耳を触ったのって言語を読ませる魔術具を探していたからなの!? ドキドキしていた私の時間を返してよ!」

「そうだろ? 勝手に触られたら誰だってドキドキする。もう一度君の耳に触れてもいいかい?」


じっと優しい眼差しを向けられ、思わず息をのむ。


「だ、ダメ。そんな風に言われたらよ、余計にドキドキするわ」

「そうか……それなら『リスト4、夫婦の定義を教えてくれ』」

「ふ、夫婦の定義は『互いを尊重すること。貴族らしく振る舞うこと。繁栄の義務を果たすこと』よ」


 とっさに王立教育機関の『模範的な貴族の心得』で説かれている言葉を言うとニールは苦笑した。


「それはオベロン陛下の政策だろう? そうではなく、貴方なりの夫婦の定義だ」


 じっと見つめられている気恥ずかしさに負けそうになりながら、気合いを入れる。


「感謝と慈しみで互いを支え、心だけではなく………その……身体も繋がって互いを知ること」


 少し恥ずかしくて直視して言えなかった。ニールは黙っていた。彼の反応が気になって視線を向けると、ニールは瞳を閉じていた。やがて口端を上げると意地悪い視線を私に向ける。


「つまり触りながら君はこう言われたいんだな?『耳を触らせくれてありがとう。アナの可愛い耳は触り心地が良いし、強気なクセにいざとなると緊張してしまう君はとっても可愛い』」


 カッと顔が熱くなった。美丈夫の夫に言われると破壊力が半端ない。彼は手のひらで私の前髪を上げ、額の中央にキスが落ちる。


 息をするのも忘れて見惚れていると、ニールは優しい眼差しのまま小声で術式を紡いだ。


「#組み入れたる<あるべき姿の小さきものでも分かちたる数でもない全ての数>{アナスタシア}を閉じ給う」


 ピリリと身体の端から折りたたまれていくような感覚は……睡眠魔術だ。ピントがずれていく視野の中でニールは身体を起こしベッドから降りた。


「アナスタシア。私たちはまだ出会ってまだ1日目だ。明日からでもゆっくり知ることはできる」


 このーっ! 乙女心おとめごころのわからずや! ぼくねんじん! むっつ……何だっっけ? 頭がぼーっとして両手足から力が抜けていく。


「明日から旅行だよ。今夜はゆっくりおやすみ」


 前髪を直すように撫でられたあと、扉が閉まる音がした。


「ニール……」


 術に抗うように寝返りを打つが、身体を持ち上げることすら叶わず、首だけ動く。視界に入ったサイドテーブルには期待した道具はなく、睡眠効果が上がる香炉の影が見え、私はまぶたを閉じた。

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