第4話 やっぱり良い人……

「アナスタシア。あなたがお飾りの妻を嫌っているのはよくわかった。私の言い方も悪かったよ」


 ニールのひどく冷静な声色はむしろ私の心を痛めつけ、怒りは追求の質問攻めへと変化した。


「密かに想うお相手がいらっしゃるの?」

「いや、違うよ」


 彼は表情を変えずまぶたを伏せた。


「……なら女性は恋愛対象外とか?」

「そんなわけがあるはずがない」


 絶対に違うとでも言いたげに眉根を寄せた。


「私の身体に魅力がないとか……」

「君のせいではない。私の身体の問題だからもう詰め寄るような質問はしないでくれ!」


 ニールはうんざりしたように言い切ると押し黙った。……相手を怒らせないと嫌がっている事に気付けないのはマリナおば様と一緒だ。やっぱりおば様の血は私にも受け継がれているらしい。


 しゅん、と反省しつつもパートナー身体の事は気になるので恐々と尋ねる。


「ごめんなさい……そのお身体が悪いのですか?」

「いや、私も声を荒げて悪かった……職場の治療院の定期健診は毎回良好だ」


 身体に問題がなくて安心するが、何だか釈然としない。だって相性98%とオベロン陛下は仰った。

 そうだ98%。ここは前向きに事を運ばないと。


「それにしても98%の相性ってすごいわよね? 歴代最高は85%と新聞にあったわ。運命の相手ね」

「運命か……貴方はその数字を信じるんだな」


 まるでそんなものを信じるのは子供だとでも言いたげな冷たい返答に挫けそうになる。


「も、もちろん。陛下のご判断はいつも正しい……そう思わなければやっていけないもの」


 だって結婚の命令に従わなければ不敬罪で爵位は剥奪され、労働者階級に没落する。なにより家族を失望させるし、治療費の返済は貴族の年金でなければできない。理不尽とか恋愛結婚とかそんな贅沢は言ってられない。ニールは瞳を伏せ、黙考してから静かに私を見つめた。


「貴方に酷なことを言ったのは百も承知だ。だからそれ以外の事は最大限に貴方の希望を尊重すると約束する」


 約束と言うより宣言だ。妥協の余地なしか……密かに夜を楽しみにしていたのに。彼の真剣な表情から本気なのだと察した。


「それなら……リスト1、『私の事はアナと呼んで』。夫にしてもらいたい事リストの1つめだから」

「リストがあるのか……他にはどんな内容が?」


 ニールが固い表情を和らげ、ほほ笑んだ。


「100個あるの。貴方の衝撃発言で忘れたから直ぐには言えないわ」


 嘘だ。本当はそんなリスト1個も作っていなかった。でもこの結婚、条件を付けられたのだから、100個くらいのわがままを許してほしい。


「それならアナ、私もリストを作ろうか」


 優しい声であだ名呼びされ、胸がキュンと切なくなる。本当にいい声なのに……寝台の上ではきっと聞けないんだ……。


「どういうリストかしら?」


 さらに条件を付けると言うのだろうか? ひざの上で握りしめる手に視線を落とす。


「『リスト1、明日から私と新婚旅行に出かけること』」


 思わぬ言葉に顔を上げた。


 新婚旅行って披露宴の後にする夫婦で旅することだ。披露宴しないから旅行もやめるのでなかったけ?


「お医者様なのに旅行して赤ちゃん達は大丈夫?」


 彼が口元を緩めてほほ笑んだ。今気づいたけどニールがほほ笑むと頬にえくぼができてとってもチャーミングだ。大柄で真面目そうな人だからか笑った時のギャップが半端ない。


「アナは優しいな。治療院には他にも医者がいる。仕事は彼らに引き継ぐから問題はない。それと『リスト2、欲しい物があれば何でも言う事』。できる限り善処するよ」


 な。何と言うかさっきから甘やかされ感が半端ない。でもまぁ、そういうなら甘えてもいいか……。


「わかりました。ならば私も『リスト2、お茶の時間にとびきり美味しいスコーンを杏子のジャム付きで出して』。好物なのよ」


 彼がギリギリ聞こえるくらいの声で「かわいいな」と呟いた。か、かわいいって何? スコーン?


「良いだろう。これで互いのリストは98個だ。ちょうど屋敷に着いた。降りようか」


 すごいリスト数えていたんだ。変なところに感心していると御者がドアを開け、ニールが先に降りる。彼は振り返って私に手を差し出した。


「アナ。ようこそ、私たちの家へ」


『私たちの家』という言葉に嬉しさを感じつつステップを降りる。タウンハウスは白い外壁の瀟洒しょうしゃな3階建だ。玄関の庇の下で執事と5名の従者、料理長初め4名の料理人、雑用係2名、馬丁と御者が各1名だった。みんな朗らかな笑顔で出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、アナスタシア様」


 家族の一員として出迎えてくれた事が嬉しく、自然と私も笑顔になる。優しそうな人たち……やっていけそうだ。


「帰りました。皆さん、どうぞよろしくお願いね」


 自然と笑みが溢れる。この屋敷の女主人になれる事に誇りと嬉しさが込み上げる。


 玄関の扉をくぐるとその想いは強くなった。本当に立派なお屋敷だ。玄関ホールはドーム型の天井、綺麗なフレスコ画を再現している。神話を題材にしたもので男神と女神が柱の周りで追いかけている。


 天井画とその下のシャンデリアに圧倒されていると執事が声をかけてきた。


「奥さまお初にお目にかかります。当家の執事セバスチャン・パススルーと申します」


 白髪が混ざったセバスチャンは柔らかな物腰で恭しく礼をした。隣にいたニールが補足する。


「彼が我が家の古株でね。いったん部屋に行くかい? それとも食事にするか?」


 すごいな、私の意思を本気で尊重するつもりなんだ。それならまずは自分の部屋を見たい。


「まずはお部屋を拝見したいわ」

「そうだな。私は執務室で治療院から連絡が来ていないか確認するから、セバスチャン、案内を頼めるか」

「かしこまりました」 


 ホールの階段を上がり、ニールは執務室へ向かったようだ。


「アナスタシア様、こちらへどうぞ」


 ホールを東側に行くと一階は応接室を兼ねた広間があった。壁には背の高い本棚が置かれ……本がジャンル関係なくバラバラに入れられている……うわぁ片付けたいな。

 他の調度品はシンプルでもソファーやチェアは有名デザイナーのものだ。20人くらいは寛げそう。シンプルながらも春の花を生けた花瓶も飾られていて本に目をつぶれば華やかだ。


「あちらの扉の奥に食堂がございます。その奥はキッチンと私どもの食堂兼居間、洗濯室がございます」

「なるほど。ところで皆さんは業務外はどちらで過ごしていらっしゃるの?」

「本館の裏、中庭を挟んで別館がございます。私どもの私室はそこに。普段は一階のこちらの部屋に」


 扉を開いたそこは使用人の食堂兼居間だ。シンプルな内装で二十人掛けのテーブルの他にはソファーも用意されていて、珍しいなと思う。使用人を大切にしている事が伺い知れたからだ……だから馬車も使用人用に2台あったのか。


「ニールは皆さんにとって良い雇用主なんですね」


 セバスチャンが顔をほころばせる。


「それはもちろんでございます。きちんと休日も与えて下さいます。何より一人一人を大切にして下さっています」


 やっぱり良い人か……貴族の義務を果たすだけの悪人は<王の目>という近衛兵が摘発し、近年は紳士ばかりという噂だ。でも、ニールはそれ以前に良い人みたいね。


「さぁ、奥様。お部屋にご案内しますのでこちら階段から3階に参りましょう。ちなみに2階は旦那様の執務室、遊戯室、客間がございます」


 マホガニー色の深みある赤色。その木製階段を3階へ上がる。上がって一番手前の部屋の扉をセバスチャンが開いた。


「こちらが奥様のお部屋です。ご婚約が発表されてすぐに旦那様が自らご用意なさったんですよ」


 扉を開けると私は目に飛び込んできた贈り物の数々に驚き、不安が吹っ飛んだ。

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