第3話 ケイシキテキな夫婦?

 ケイシキテキって? 相性は98%だってオベロン陛下も仰ったはずよ? きっと何か別の意味だと願いたい。


「えっと、ケイシキテキな夫婦ってつまり、どんな意味でしたっけ?」


 私が知らない流儀がきっと彼の家にあるんだわ。

私はマイペースに都合よく解釈すると、ニールは優美な眉を上げて、スコーンに視線をやった。


「お腹が空いているんだろう? 食べながら聞いてくれたら良い」

「お気遣いありがとう」


 隣でエマが「お嬢さま」とたしなめたが、スコーンを食べないと低血糖で頭が回らない。手で割って、大好きな杏子ジャムを乗せ頬張ると甘さ控えめの甘酸っぱいジャムと豊かな小麦の香りが口いっぱいに広がった。紅茶を一口飲む。深い味わいに思わず続けて二口めを飲みかけた。


「アナスタシア、つまり寝室は別にしたいと思っている」

「ゴホッ、ゴホホッ!」

「大丈夫ですか、奥様っ!」


 そうだ、一口飲んだら皿にカップを戻すのがマナーだった。おば様に散々言われていたのに。気管に入ったらしくまだ咳き込みがとまらない。エマが背中を軽くトントン叩いてくれる。


「エマ。むせたときは背中は叩かず、さすってやった方が良い、そう。そうだ」


 エマは背中をさすりながら、非難するような目を向けた。


「旦那様、アナスタシア様は可愛いのに、なぜひどい事をおっしゃるのです?」


 待って。待ってエマ。そんなセリフ主人に言ったら駄目よ。


「……ゴホッ、エ、エマ。じぶんで、自分で聞くから少し黙っててくれないかな?」


 エマは不満そうにしつつも席から離れ、壁際に控えてくれた。それでも視線をチラチラ投げている。幼い頃から一緒のエマは友達だけどさすがにやりすぎ……気難しい相手なら速攻クビする事もあるのに。 


 おそるおそるニールへ視線を移すと彼はすまなそうに両肩をすくめて見せた。良かった。怒ってないみたい。


「突然言って悪かったよ。大丈夫か?」

「いえ。こちらこそお行儀が悪くてすみません」


 まずは非礼を詫びなくちゃ。喉がカラカラでお茶をごくごく飲む夫人なんていないものね……でもニールは気にする様子がない。


「そんな些細なことは気にせんよ。それにしてもあなたとエマは仲が良いんだね」


 あれ? 話題を変えようとしている? もしかして、隠しておきたいから良い人ぶっているだけとか? スコーンパワーで私の頭の動きも良くなったみたい。やっぱりスコーンは最高だわ。


「エマとはいつも一緒でした。それで寝室を別にしたいと言うのは?」


 確信に迫るとわざとらしく彼は咳払いをした。


「つまり私は産婦人科医で治療院から真夜中に呼び出される事もある。君の安らかな眠りを妨げたくなくてね」


 そっか……産婦人科医っていつお産があるか分からないものね、とエマは納得した顔だ。でも私は納得いかない。それならそうと言えば良い話だもの。


「わかりました。ならば、その……気持ちが乗ったら寝室にお伺いすればよろしいの?」


 ニールが優美な眉を少し上げて、気まずそうにティーカップに視線を落とす。


「そう言う話は……二人きりの時にしないか?」


 あら、意外と恥ずかしがり屋? いたたまれなくなったのか、ニールは素早く紅茶を飲みほし席から立ち上がった。


「隣の部屋で着替えてくるよ。用意できたら呼んでくれ」

「……はい」


 ニールが部屋を出ていくとエマがため息をついた。


「良かったぁ。すご〜く愛されていますね、お嬢……いえ奥様」


 そうかなぁ……何だか後ろめたいことがあるようなそぶりだったような……。


「それとエマは今まで通りお嬢様と呼んでくれてかまわないよ。同い年だし……」

「いえいえ、奥様ですよ。さっきは出過ぎた真似を……すみません。旦那様はあんなに健康そうな大きな身体でございましょ? 恵まれた身体をお持ちなのに貴族の義務を放棄するみたいな発言をされて……つい頭に血が上っちゃいました」


 てへっと頭を叩いて真似るしぐさが可愛い。それにエマは私のために怒ったのだ。農地を離れられない両親に代わり一緒に王都に来て、治療で動けない間、身の周りの世話をエマがしてくれた。

 柔らかな栗毛と頬にそばかすのある愛嬌のある顔。ちょっとドジなフリをしてでも笑いを取り、病床の私を勇気づけてくれていた。


「エマの気持ちは分かるよ。貴族の結婚は後継ぎが大事とお母様やおば様に言われて、かなり勉強したもの」

「ですよねぇ、いっぱい勉強しましたものね」 


 生暖かい目で見ないで欲しい。エマだって一緒に魅力的に見せる方法とか研究していたくせに。だけど形式的と言った後、あからさまに話題を変えようとした素振り……本気で私はナシだと思われてたら研究成果も発揮できない……どうしよう。


 お茶の後で衣装を脱がされ姿見に映る自分を見ていると落ち着かない。胸は一般的な女性より控えめだし、身長はニールより頭二つ分は低い。手足はすらりとしているけれど体格の良い彼からしたら棒切れみたいに感じるかも。


 対して私に深紫のドレスを着せていくエマは、私より背も高いし胸もある。ほどよい肉付きで侍女の質素な制服ですら十分魅力的に見える。フリルの付いたふわりと膨らむドレスを選んだから、細い私の魅力も増せば良いんだけど……エマが急にボン!と背中を叩いた。 


「わっ! ちょっと強く叩きすぎよ、エマ」

「奥さま……背筋を伸ばしなさいませ。マリナ様のセリフではありませんが、笑顔は大事です」


 いつの間にか不安になっていたのだと気づく。そうね、エマもおば様もたまに良い事を言う。

 鏡に向かってにっこり笑顔の練習をする。これだけは起きれ上がれない時もずっと練習してきたからなぁ。様子を見にきたジョンに従って控室を後にした。


 王城の正面玄関に黒い毛並みの馬達がひく馬車が止めてある。黒塗りの馬車は我が家の物に比べても高級だ。やっぱり同じ伯爵家でもお医者様は違うなぁ。従者用に同じ馬車を用意できるんだもの。エマとジョンは後ろに続く馬車に乗るのか……。


「よく似合ってるよ、アナスタシア。こちらへ」


 貴方もよ、とは言いそびれたけれど、グレーのスーツ姿のニールもやっぱり素敵だ。体格が良くてスーツが様になる。段差もさりげなく配慮してくれるしエスコートは完璧だし、いう事なしだ。


 馬車に乗り込み、ニールのななめ向かいに座る。御者が戸を閉めて立ち去るなり、ニールは遠慮がちに口を開いた。 


「控室での話の続きをしてもいいか?」

「ええ、もちろん」


 何か言いたげな表情をしていると薄々気づいていた。彼は声をひそめる。


「貴方とは清い関係でいたいと思っている。つまり夫婦関係は無しだ」


 真面目な表情から本心は読み取れない。さっきまでちょっと浮かれていた自分が呪わしい。


 私は結婚に向けて色々努力してきた。


 歴代相性カップルランキングを新聞でずっと追いかけてきた。ちなみに85%が過去最高記録だ。


 ロマンス小説をエマと読み登場人物になりきって甘い台詞を言い合い、本番に備えた。


 祖父のお見舞いに来ていた少し顔立ちの良い少年と仲が深まらないように気をつけていた。


 全ては家のため「貴族に義務」つまりお世継ぎを産むという勤めを果たすために。


 大好きなスコーンも二日に一個に減らし、半年以上、体型維持のために努力したのに……。


 努力と期待を裏切られた悲しみは怒りにしかならない。


「ニール、つまりわたくしはお飾りの妻としての相性が98%だと仰りたいの?」

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