第2話 思ってもみなかった言葉


「アナスタシア、手を。行きましょう」


 ニール・クラウド・ファンディング伯爵は右手を恭しく差し出した。左手を彼の手のひらに置くと手袋越しに優しく握られ紳士だと思った。それに思いがけない相性度を陛下から告げられた嬉しさで、自然と笑顔になっちゃう。


「はい! ニール様」


 元気の良い言葉に彼は少し驚いた表情をしてからほおをゆるめた。


「さま、は使わなくて構いません。ニールと呼んでください」


 柔らかなほほ笑みに素の優しさを感じる。大きな背丈でも威圧感は無く、やわらかな表情で私の緊張も溶けていく。壊れものをあつかうようにそっと握られた指先が熱く、緊張とは別の意味で心臓がドクドクと音を立て始めた。


 きっと見惚みとれすぎて、誓いのキスをされたのが分からなかったんだ。前向きに考えることにして、ニールにエスコートされて歩く。


 祝福の歓声と拍手、そして音楽隊の祝いの楽曲。歩みを進めるたびに自動人形オートマタが振りまく白い花びらがとっても綺麗で夢見ごこちのまま広間から出た。重厚な扉が背後で閉じてもニールは私の手を離さないから、ますます私の胸は高鳴った。


「控え室に行きましょうか」

「はい」


 侍従じじゅう自動人形オートマタに付き従い、私達は長い廊下を移動した。廊下の柱には王家の紋章、白い花弁のクリサンセマムの花が刻まれている。

 この後、控え室で休憩後、着替えて彼の邸宅ていたくへ向かう段取りだ。諸々の手続きや荷物の引っ越しは侍女じじょのエマが式の前に済ませているが、互いの顔合わせはこの式が初めてだ。


 私の場合、通常行う披露宴ひろうえんはしないことになっている。お父様もお母様も農地のトラブルで故郷の辺境地から出てこられない。披露宴後に行く事が多い新婚旅行が無くなるのは残念だけど、宴の席でマリナおば様が彼に質問攻めするのが目に見えている。

 身内の行いで印象を悪くしたくない。だから披露宴が無いと聞いてホッとしていた。


 控え室にはティーセットと菓子が用意されていた。壁ぎわで従者じゅうしゃと談笑する侍女エマが私に気づく。目を丸くしているのは彼が美男子だからかな? エマはあわてて視線を前に戻すと会釈えしゃくした。

 それにしても! スコーンがあるじゃない! きっとエマが昼食抜きの私を気遣い、準備したんだわ。紅茶だけでなく好物も添えてくれて嬉しい。

 式典の順番待ちで喉はカラカラ、ずっと我慢していたのだ。従者が椅子を引き、ポットの紅茶を注ごうと手をのばすと、ニールは優雅に制して自ら紅茶のポットを持ち上げ……って待って!


「わ、わたくしが致します」

「長いこと待たれて疲れただろう? 座っていればいい。私がれる」


 そう言われたら引くしかない。


「はい」


 素直に席に座り直す。本当は私が淹れて差し上げるべきなのに、尽くす妻を演じるようおば様に散々言われたのだ。ニールは気にする様子はない。ティーカップに慣れた手つきで紅茶を注ぐ姿すら、絵画みたい。一つ一つの動作は優雅かつ上品。さらに洗練されているので見ていて飽きない。


「どうぞ」


 紅茶が注がれたカップが私の前に置かれた。


「ありがとうございます。あの、ニール様の分はわたくしが」


 彼はポットを持ったまま口元をゆるませた。


「ニールだよ。さま、はいらないと。あと敬語も使わなくて構わない。その方が気安いだろ?」

「でも、わたくしより年上でいらっしゃいますし」

「家族になるなら関係ないさ。あなたは確か成人してまもない18歳だね。私より4つ年下か……」


 なら彼は22歳なんだ。落ち着いた振る舞いはもっと大人に感じさせるけど、思っていたより歳が近くて安心する。


「お医者様はご立派な職能ですのに、敬語を使わずともよろしいのですか?」

「あなたの家庭医は敬うことを強要したのか?」

「そうではない……けど、まだ慣れ、れません」


 言葉をんでしまい、顔が熱くなる。ニールは目を細めて笑った。大人の余裕を感じるが、決して馬鹿にしている訳ではなく和ませる笑顔に人の良さを感じてホッとする。さすが産婦人科医だわ。


「まぁ、じきに慣れるよ。さぁ紅茶を頂こう」

「ああ、わたくしが淹れようと思って……いたのに」


 会話の合間に紅茶を淹れ終えた彼の手際の良さを恨めしく思いつつ、宙に浮いた手の置き所が見つからなくて、菓子のスコーンに手を伸ばす。


「夕食を早めに用意させようか?」

「いえ、けしてお腹が空いているわけでは……」


「はい、緊張で食べられませんでした」と言えたら可愛いのかもしれないが、朝食を結構食べてしまい、ドレスが苦しくお昼は抜いた。その事実を思い出すとお腹が盛大な音を奏でた。恥ずかしすぎてスコーンを握ってしまう。


空腹期収縮おなかのおとは消化管が正常に働いている証拠だ。恥ずかしがる必要はない。ジョンこちらへ」


 エマの隣にいた男性は彼の従者か……ウェーブがかった黒髪に褐色の肌、凛々りりしい青年ね。


「アナスタシア様、お初にお目にかかります。ニール様の従者でジョン・ヘッジファンドと申します」

「よろしくね、ジョン」

「ジョン、夕食を少し早めるよう屋敷にいるセバスチャンに連絡してくれ」

「承知しました。では奥様、失礼致します」


 目礼に応えた後、思わず目をパチパチさせてしまった。奥さま奥さま奥さま……すんごい響き。結婚したんだなぁ……感慨かんがい深い。思わず片手でほおを押さえ噛み締めていると紅茶を優雅に飲むニールが指摘した。


「アナスタシア。スコーンが落ちそうだよ」


 握り直す事ができなかったスコーンはエマが素早く両手でキャッチしてくれた。


「あ、ありがとうエマ」

「いいえ、お嬢……いえ失礼しました。奥様、こちらへ置かせて頂きますね」


 エマはさりげなくウィンクして、スコーンを取り皿の上に置いてくれる。


「あ、紹介が遅れました。ニール、彼女はエマ・キャッシング。幼い頃から一緒にいる侍女なの」

旦那様だんなさまよろしくお願いいたします」

「引き続き妻の元で働いてくれて頼もしいよ、エマ。屋敷の事は……すでにジョンに詳しく聞いたかな?」


 私を待つ間にジョンとお喋りしていた様子だったもんなぁ。エマが肩をすくめて深く頭を下げた。


「すみません、旦那様」

「いいや、使用人たちが仲を深めるのは良いことだと思う。だが女性の侍女は君が初めてだ。料理人として雇っている女性はいるが男の方が多くてね。手がまわならなければ執事と相談して欲しい。新しい侍女を雇う事も考える」

「お気遣い痛み入ります」

「エマ、良かったわね。ありがとう、ニール」


 紳士的な対応に思わず私がほほ笑むと、ニールは気まずそうに視線をそらせた。


「いや、このくらいあたりまえだ。たとえ形式的な夫婦であっても礼儀は尽くしたいと考えている」


 ケイシキテキな夫婦?


 思ってもみなかった言葉に私はエマと顔を見あわせた。

 

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