戦渦の夜
「――ぃ」
「――おい!」
「――君! 大丈夫か!?」
目を開ける。
ぼやける目を擦りながら声の主を探す。すぐに見つかった。スーツを着こなしている男が秋人の体を揺すりながら見下ろしている。
「起きたか!? 救急車呼んだほうがいいか?」
「いえ、大丈夫です……」
辺りは暗くなっていて月も見える。秋人は寝ぼけながら上体を起こした。視線を巡らせる。そして自身が道のど真ん中で寝ていたことに気づいた。辺りが田畑しかないとはいえ、流石にこれはまずいのではないか。ここで眠ることになってしまった経緯を思い出す。
記憶を探っていると、自身が犯した罪が蘇り苦しくなった。あれから気絶してしまったみたいだ。一日飲まず食わずで走り続けていたから気絶するのも無理はない。
それにしてもあのときの自分はどうかしていた。自己嫌悪に苛まれる。頭を抱えた。
「なあ、君どうしたんだ?」
そんな秋人を心配気に男は見守る。秋人は泣きそうになるのを必死に堪えた。涙の代わりに懺悔があふれていく。
「……僕はただ、地獄みたいな日常から逃げ出してここに来ただけなんです。それでも救いはなかった。――救われたかった。ただそれだけなんです。それなのにどうして、どうして僕はあんなことを……僕は最低だ」
言い終えて、後悔した。こんなことを言ったってこの人に迷惑がかかるだけだろう。
そして、腹が鳴った。恥ずかしくて死にたくなった。いよいよ涙が出そうになる。秋人は顔を見られたくなくてうつむいた。
「あー、まあ、なんだ。飯でも食うか?」
秋人はその申し出を拒否することができなかった。
車で二十分走った。その間に多少の会話をした。男は
集合住宅にある二階建ての一軒家に来た。塚本が降りる。秋人も降りた。
「ここが俺の家だ。今は妻と娘がひとりいる。一応連絡してあるから気にせず入ってくれ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
塚本の後ろを歩いて家の中に入った。両手でドアを閉じる。
家に入るという行為が久しぶりで新鮮味があった。
廊下を通ってリビングに来た。四人用の机に食事が用意されている。肉に野菜、味噌汁と米といった栄養バランスがしっかりとした献立だ。
四つある椅子の一つに制服姿の女が座っていた。塚本の娘だろう。秋人は塚本が若く見えたからてっきり小学生の娘だと思っていた。背丈や顔立ちからしておそらく年上だ。秋人はそんな女と目が合った。反応に困ってしまう。
「どうも」
女が言った。
「えと、こんばんは……」
秋人は目を逸らしながら応えた。女の冷めた視線が自分のことを非難しているように感じて居心地が悪い。
塚本の奥さんがキッチンからたくさんの手羽先を乗せた大皿を持ってきながら秋人を迎え入れる。
「話は聞いてるよ。この子は
「
「いえいえー。気にしないで」
沙苗は朗らかな笑みを浮かべた。
四人で夕食を取った。塚本にはもうひとり息子がいるらしい。航空自衛隊に所属していると言った。彼は今、ここから三キロほど離れたアメリカ軍基地にいる。どうやら明日、そこから火星軍への攻撃をする作戦が始まるみたいだ。
塚本は誇らしげに話していた。
温かいご飯はとても美味しかった。泣きそうになる心を誤魔化すように、一気に平らげた。
「美味しかったです。ご馳走様でした」
「ありがとう。おかわりもしていいんだよ」
「いえ、大丈夫です」
そこまでがめつくはなれない。けれど、もしかしたら断るほうが逆に失礼だったかもしれない。秋人は悶々とした。
全員が食べ終わった。塚本の娘である佳奈は二階へ上がった。おそらく自分の部屋に戻ったのだろう。塚本夫妻は椅子に座ったまま。秋人もそうしている。沈黙が流れた。
秋人はこの時間を覚悟を決めることに使った。これからされる話は予想がついている。
塚本が重々しく口を開く。
「明日、一緒に警察へ行こう。そうして家に帰ろう」
「……嫌です」
「……そうか」
重い空気がのしかかる。沙苗は明るい声を出した。
「ほら、秋人くんのご両親も心配してるはずよ? 安心させてあげないと」
「心配なんかしませんよ。あの人たちは……」
「そんなことないよ。子供がいなくなって心配しない親なんかいないって」
「僕の親はあなたたちじゃないんです。一緒にしないでください」
沙苗は口をきつく結ぶ。塚本は瞑目して、やがて口を開いた。
「このままだと俺たちが誘拐犯になってしまうんだよ」
「それなら今からでもここを去ります」
「君をひとりにできるわけがないだろう? 反抗期なのはわかるけどもう少し周りや自分を大切にしなよ」
その言葉が秋人の逆鱗に触れた。
「僕は反抗期なんかじゃない!」
喉が裂けるくらいの大声を出した。秋人はすぐに後悔する。
「あ……ごめんなさい。急に叫んでしまって」
「――いや、俺もすまなかった」
気まずい時間が流れる。申し訳なさと自己嫌悪でここから消えたくなった。
「最初に聞くべきだったな。君はどうして家出をしたんだ?」
言葉に詰まった。恥ずかしいやら情けないやら憐れまれるのが嫌やらで人に話したくない。人に弱さを見せるのは秋人にとって耐え難い苦痛だった。でも言わないと誰だって秋人の境遇を知ることはできないし救うこともできない。秋人は冷静になってそのことに気づいた。
涙が頬を伝ってズボンに落ちた。
「僕は、虐待されてるんです……だから、もうあの家には帰りたくない……」
ふたりは息を呑んだ。
「そうだったのか――」
塚本が言ったその刹那のことだった。
空気が爆ぜたかのように、外から馬鹿でかいサイレン音が鳴り響いた。秋人はビクッと肩を跳ねる。間を置くことなく塚本の物であろうスマホが同様にサイレン音を奏でる。
「なんだ、急に……」
塚本はスマホを見た。サイレン音の正体がわかった。
「空襲警報……」
その呟きと同時に地面が揺れた。そして、
ドガアァァン――!
大気を揺るがすほどの爆発音が轟いた。
火星軍による攻撃が始まった。
階段からドタバタと足音が近づく。
佳奈はサイレン音が鳴り響くスマホを手に持ったまま、混乱した表情でリビングに来た。
「ねえ、なにこれ!?」
次いで、二度目の爆発音。今度は建物が破壊される音も聞こえた。
秋人はパニックに陥った。もともと泣き顔だったのが、涙と鼻水と恐怖で歪み、到底人には見せられないような顔になっている。
「もう、なんなんだよぉ……」
秋人の呻きを聞きながら塚本はカーテンを開けた。少し離れた先に炎が上がっている。窓を開けた。熱波が四人を襲う。
「くっ……」
サイレン音が鳴り響く中、町内スピーカーで避難勧告がされた。
「戦場に逃げ場なんてねえよ……」
塚本が呟く。
「まさか、明日の作戦に気づいたのか?」
直後、爆発音とは別に、空気を切り裂く音が轟いた。秋人は涙を強引に拭って外を見る。三機の戦闘機が一瞬にして通り抜けた。少しして機関銃を放つ音が聞こえる。
「
塚本夫妻は体を寄せ合いながら見守る。
三機の戦闘機に青白い光線が放たれた。一機が撃墜され住宅街に火花を散らす。敵は一機だけのようだ。そいつは徐々に住宅街から離れていく二機の戦闘機を追って夜空を飛ぶ。楕円形の飛行物体は白い光を放っていた。まるでUFOみたいだ。
光は遠ざかり、やがて姿が見えなくなって、戦いの音も届かなくなっていた。
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