罪悪感は羞恥と似ている

 逃避行を始めて一週間が過ぎた。秋人はひとりでの生活にも慣れてきた。朝は公園に行って歯を磨く。昼は散策、夜は初日に見つけた橋の下に戻って眠りにつく。

 このサイクルが日常になりつつあったから、秋人は改めてこれからの生活を考えた。この辺りはいろんな所を見て回ったし、そろそろ電車に乗ってまた遠くへ行こうかな、と。そんな考えは泡沫のように消えてしまう。

 秋人は目覚めると違和感を覚えた。テントのファスナーが開いていたからだ。星を見ていたまま眠って閉じ忘れたか? いや、ちゃんと閉じた記憶は残っている。

 冷や汗が流れた。

 周囲を確認する。あまり変化はない。リュックサックの中身を確認する。歯ブラシ、歯磨き粉、栄養補助食品、地図、服、下着……

 財布が無かった。

 小鳥がさえずる。開いたファスナーの隙間から朝日が縫って入ってくる。絶望の朝を迎えた。


 秋人はテントをしまい、あてもなくトボトボと歩く。袋小路に迷い込んだ気分だ。

 このまま火星軍とやらが攻め込んできて僕もろとも地球を滅ぼしてしまえ。ヤケになった秋人はそんなことばかり考えていた。

 腹が鳴った。朝から何も食わずに歩き続けている。このままだと餓死してしまうのではないか。そんな恐怖に駆られる。

 金がない。帰る家は果てしなく遠い。帰ったとしても待つのは苦痛だけ。どうして僕だけがこんな目に合わなければいけないんだ。どうして僕は虐待される。どうして僕は金を盗まれる。

 あー、もう、僕も奪う側の人間になってしまおうか。人はもれなく嫌いだ。人類なんか滅べばいい。誰も僕の味方にならない。僕から何もかもを取り上げていく。それなら僕だってやってやるさ。

 秋人はコンビニに入った。無表情ながらもハイになっていた。一時的に倫理観が欠乏している状態は不思議なもので、周りの目なんて何一つとして気にならない。今なら人だって殺せる気がした。早鐘を打っている心臓も楽しむべきスリルのスパイスだ。

 秋人はまずドリンクコーナーを見て回った。物色するだけで手は出さない。飲み物に関しては公園とかに行けば飲めるしそこまで必要はないだろうという打算的な考えと、これから犯行する場所の下調べのような心持ちでいたからだ。店員はレジで眠そうにあくびをしている。愚かだなと内心バカにした。

 秋人はレジ前を通った後、おにぎりコーナーに足を運んだ。昼を過ぎているからか品目が少なくなっている。塩むすびと鮭おにぎりを手に取った。人には見られないよう体で隠しながら何食わぬ顔で物色を続ける。レジからは影になって見えない駄菓子コーナーに来た。秋人はさも財布を取り出すといった面持ちでリュックを前に背負い直し中へ手を突っ込む。そして、無造作におにぎりを入れた。

 リュックの底にストンと落ちた手応えがして、秋人は嬉しくなった。達成感で満たされた。これならまだ行けそうな気がする。お菓子も盗んでしまおうか。

 高揚しながら手を戻す。さて、次は何を盗もうかな。そう画策していたとき、


「君、何してるの?」


 秋人の肩を誰かが叩いた。飛び跳ねてしまう。心臓が喉から出そうなくらい驚いた。

 見られた?

 ちゃんと人が見ていないことは確認したはず。もしかして怪しまれていたのか?


「え、えと」


 上擦った声しか出ない。

 秋人の肩を叩いたのは二十代くらいで長身の男。服装からして店員ではない。客だ。


「今、おにぎり入れたよね?」


 秋人は過呼吸になりかけていた。それでも、こんなところで旅を終わらせたくないという強い気持ちが体を動かす。

 秋人はリュックサックを男にぶん投げた。男は「うおっ!?」と声を出してたじろぐ。

 走り出した。


「あっ、ちょっとコラ!」


 静止の声を振り払って逃げる。コンビニを出た。道行く人が必死に走る秋人を見て何事だと視線を集める。悔しくて、恥ずかしくて、自分がしようとしていたことを省みて、悪人になろうとしていたことを受け入れられなくて、涙があふれた。それでも足は止めない。秋人は逃げ続ける。


 足が痛くなっても走り続けた。そして、気づけば見渡す限り田園風景の田舎にいた。空も夕に焼けていた。遠くから子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。小学生だろうか。秋人は自分が惨めに思えてきた。泣きそうになる心をぐっと堪える。

 足を止めた。そして、頭がふわりとした。魂が抜けてしまったかのような錯覚に襲われる。足がほつれて地面に倒れた。

 何も考えられない。しんどい、死ぬかもしれない。

 頭を鈍器で殴られているかのような感覚がした。虫の声が気持ち悪いほど反響する。

 やがて秋人は意識を手放した。

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