第12話 井浦 ①

 東京の中心地に突如ダンジョンが出現してから25日と14時間23分経過後、都庁では、モンスターの封じ込めと最上階への突入、二つの作戦が並行して進められていた。

 職員の退避は総員の四割が都庁外に脱出した時点で打ち切られ、以降は部隊が都庁内で職員を発見した際、突入目的よりも人員の保護を優先するべし、という命令は文書としても音声としても公式には発信されなかった。


 都庁へのモンスターの封じ込めを妥協点としてクリアによるダンジョン消滅は諦めるべきだという意見も一部国会議員からは出たが、そうして首都機能が麻痺した場合の経済損失が計上されると、それらは誰にも見向きされなくなった。


 そもそも、本来は国内に発生しただけで激甚災害に認定されるであろう規模のダンジョン化。よりによってそれが首都東京で発生したことで、世界経済が打撃を受けるほどに金融市場は荒れ、国外に拠点を持つ企業は軒並み海外移転を実行しようとし、報道機関は権力者の財産移転を追うことに血眼になった。


 英国の大手ブックメーカーは日本の機能不全についての予想を賭けの対象にしたものの、オッズの著しい偏りによって発表から二時間後には賭けの不成立を表明することを余儀なくされた。


 事態が収束の兆しを見せないまま二週間が経過した辺りで九州地方の複数の県が日本という国家体系からの離脱を一方的に宣言。五日後には北海道もそれに倣う動きを見せ、局地的な内乱が発生した。


 日本にしがみつくことを選択した権力者たちも、国内の混乱を手をこまねいて眺めていたわけではなく、臨時政府を千葉県内に設置し、国内外問わず繋がりのある有力なダンジョン冒険者に募集をかけ、特設部隊と合同で運用することでダンジョン内へのモンスターの封じ込めを一か月近くの間完璧に遂行していた。


 しかしその防衛線も、あと三か月もすれば、物資の不足、引き際を見極めた傭兵たちの戦線離脱により急速に崩壊するという観測が軍事、経済両面のアナリシストから示されていた。


 あくまで予備要員として集められていた学生たちだったが、一部の生徒は既に都庁入り口の防衛に駆り出されている有様だった。



 麒麟児たちの寄せ集めを監視、指導する立場にある井浦誠上長教導官は、新宿内に用意された前線基地の自室で、急遽オーストラリアから帰国した部下である真田ユーリの報告を受けていた。


「オーストラリア政府としては対岸の火事という見方です。すでに難民受け入れ人数の制限について持ち出した辺り、日本の敗北は確定的という考え。戦闘支援をするつもりもないでしょう」

「そうか……」


 井浦が独自のパイプとして各国に散らせていた部下たちからの報告は、どれも日本の孤立無援という状況を物語っている。日本からの軍事支援の要請について好感触を示しているのは、どさくさ紛れの占領という狙いを隠しもしない大国ばかり。


 ビル群のダンジョン化を懸念して特設部隊の設立を進言した過去を持つ井浦だったが、自身の予測よりも悪化する現状に、ため息を堪えられなかった。


 オレンジ色の髪を持つユーリはそんな井浦の様子を横目で眺めながら、井浦の執務机に丸い尻を乗せた。


「学生たち、なかなか粒ぞろいですね」

「見てきたのか」

「だって、いざとなったら率いるのは私でしょう?」


 俺への報告の前に、という嫌みを混ぜた井浦の声にも、ユーリは涼しげな表情を崩さない。


「特にあの絵具を被ったような真っ赤な髪の女の子、あの子、いいですね。でも、スキルのわりにレベルは低かったような」


 細長い人差し指を小さな顎に当て、わざとらしく呟くユーリの視線から、井浦は目を逸らした。


「……彼女は個性を尊重して扱った」

「鬼の井浦教官が? 私が水練でふざけたときは裸でプール清掃をさせるような人だったのに」


 ユーリはくすりと笑う。


「飯島がすっかりトラウマなんですね」


 沈黙を続ける井浦に、そのときだけ強い眼光を向け、ユーリはそっと席を立った。


「伝説は私が塗り替えてあげますよ」


 部屋を出る間際、オレンジの長髪を揺らしながらそう告げると、ユーリは井浦の目が自分を見ていないことをそっと確かめ、静かに唇を噛んだ。

 ユーリは廊下で一人、暗い笑みを浮かべる。


「どんな手を使ってもね……」

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