第11話 もうタイトル思いつかなくなってきた

「なにから教えようかな」


 先生は腕組みをして考え込んだ。


「学校だと体の動かし方を基礎からみっちりやったけど、三か月だもんなあ」

「そういうのはスキルで憶えるんじゃないんですか? あの、格闘術とかって」

「訓練で身に着けられるような知識とか技術は大体訓練で身に着けますよ。一生に手に入るスキルポイントは限られてるからね。それにスキルだと情報が頭に入るだけで、慣熟訓練、体に慣らすのはまた別にやらなきゃいけないから。でもくっきーの場合は時間ないし、スキルで憶えちゃいましょうか。それでいい?」

「もちろんです!」 

「じゃあやっぱり戦いながら教えた方が早いかー」


 先生は立ち上がると伸びをした。そこへちょうど、通路の方から何かが飛んできた。

 鳥だった。多分燕。

 その鳥が先生の頭の上でくるくると回ると、先生は小さな声で、「お」と口にした。


「ちょうどいいみたい」

「なにがですか?」


 先生はニヤリと口角を上げた。


「経験値が向こうからやってきた」


 そう言い終わる前に、どしんどしんと地面を揺らす音が通路の奥から聞こえてきた。


「さあ、くっきー! さっそくだけど初陣だよ!」


 先生がそう言いながら、両腰に三本連ねて吊るしたナイフを一本ずつ手慣れた様子で抜き取るのを、俺は視界の端で捉えていた。ナイフを風車みたいに回しながら取り出すあざやかな手つきに目がいかなかったのは、通路から部屋に入ってきたモンスターに視線が釘づけになっていたからだ。


「くっきー! 私の水色のバッグ、わかる!?」


 そのモンスターは俺がこれまで戦ってきた連中がみんな近所の小型犬と同類だったんじゃないかと思わせる、そんな見た目をしていた。

 デカい猿だった。まず身長だけで二メートルはある。

 

「……くっきー?」


 腰にはなにか動物の皮をはいだものをそのままつけていて、加工なんてしていないから肉も油もこびりついて、鼻が曲がるような腐臭を放っている。体中から生えている毛は水を浴びても針みたいにとんがっていそうな剛毛で、殴ったらきっと俺の拳がぼろぼろになる。

 なにより恐ろしいのは真っ赤に充血して四方八方を見回そうとするあの、


「おーい、九鬼重正さーん?」

「あひゃん!?」


 いつの間にか先生が俺の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫? まだ傷が痛む?」

「あっ、いや、平気です!」


 本音を言えば猿にビビり散らかしている俺が平気なわけなかったけど、そう叫んだ。

 でも先生はそんなのは虚勢だって一発で見抜いたみたいだった。

 緑の澄んだ瞳で俺をじっと見つめて、きれいな銀色の髪を揺らしながら首を傾げたあと、うんと頷いた。


「今回は見学だけでいいや。そこで寝ながらよく見てて」

「えっ? いやいや俺は、ていうか先生うしろ! 猿が!」


 部屋に入ってからも慎重に辺りをうかがっていた猿が、先生が俺のために背を見せた途端、じっとりと湿った目つきになって、ついにこっちへ向かって走り出した。

 

 涎をまき散らし、牙を剥き出しにして駆け寄ってきた猿は、右腕を先生に向けて薙ぎ払った。風圧で塵が弾き飛ばされるような拳に、先生がぺちゃんこになると思った俺は、思わず身を乗り出して叫んだ。


「先生!」


 どん、と重い音がした。

 巨木のような腕を横合いから叩きつけられても、先生は立っている。ナイフを握ったその右手が、銀の刃を猿の右腕に突き立て、威力を完全に殺していた。

 

 猿が悲鳴を上げながら身をよじる前に、先生は猿の右腕に突き立てたナイフを握ったまま、猿の胸元へと走った。

 ばりばりという音が部屋中に轟いて、猿の毛皮が裂け、白い肉が削がれる。

 そうして猿の腕の根元まで一本の直線を刻み込むと、先生はナイフから手を離し、よろめく猿の下顎へ向けて強烈な前足上げを食らわした。先生のハンチング帽が宙に浮き、銀色が辺りに散らばる。

 

 衝撃は顎だけでなく全身を連れて行き、猿の体をふわりと浮かび上がらせた。


 毛むくじゃらの両足が地面に接するまでの間に、先生はホルスターに収まっていたナイフ四本を抜き取り、元から持っていた左手の一本と合わせた五本を、猿の胸元に叩き込んだ。


「こいつで」 


 吹き飛ばされ背中から地面へ倒れ込んだ猿の上に、空中をくるくると回転した先生が足先で何かを蹴りつけながら降り立った。


「おしまい!」


 先生が、いつの間にか抜き取っていた最初のナイフを、今度は猿の心臓めがけて投げ込み、蹴りでダメ押しの一撃を入れたことは、衝突音と猿の胸の光景から推測したことで見えていたわけじゃない。

 心臓をナイフによって破裂させられた猿は、傷跡からどくどくと滴る血だけを残して、動きを止めた。


 あっという間にあんな化け物を倒してしまった先生は、その猿の上でくるりと俺の方に向き直った。


「私は今の動きを十年かけて身に着けた!」


 今になって落ちてきたハンチング帽を伸ばした片手でぱしりと掴み、ぎゅっと頭に被せる。


「でもあなたは、ただの一度の勝利で、きっとこの動きを手に入れられる!」


 自分の身の丈をはるかに超す怪物を足下に組み敷き、飯島先生はそう叫んだ。宝石に見劣りしない澄明な瞳に緑のきらめきを湛えながら、祝福された銀糸を輝かせている。

 俺の心底に響いて、きっと忘れられないと思わせる強さと美しさが、その一瞬にあった。


「私は全力であなたを強くしてみせるって、約束する!」


 そう宣言したあと、突然にへりと笑った先生は、人懐っこい笑顔のまま叫んだ。


「だからがんばって! ついてきてね、くっきー!」  

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