第六話 深淵の鎮魂歌(その七)

「昨日の『深淵』見た?」

「見た見た、見ないはずないわ。腹立つ何よあのクソ公安。林田だったっけ?キョウコを犯罪者どころか野獣扱いよ。『公衆の安全を保ち担うのが我々の仕事』って舐めた台詞で決めてんじゃないわよ!」

「『ケダモノには裁判は不要』なんて言ってた」

「そう!しかも『撃て』って何よ『撃て』って。血みどろになって這々の体で脱出してきたキョウコに、まるでゴミ掃除するみたいに淡々と命じやがって。テメーには人間の感情ってもんがねぇのか!」

「そこ、五月蠅うるさいっ」

 体育の授業は女子がソフトボールで男子が五〇メートル走だった。グラウンドの端で打順待ちをしている二人の女生徒が、異様なテンションで盛り上がっていた。担当教諭である女教師が声を張り上げている。

「順番待ちの間も相手方の守備や打者の振りなど見ておきなさい。見るだけでも学ぶことは多いわよっ。判った?」

「良美ちゃんこえー」

「最近ご機嫌斜めだよね」

 背の高い少女とふわふわした髪の小柄な少女とが、今度は声を潜めて囁き合った。

「男にでもふられたかな」

「いやそれが聞いた話なんだけれどもさ。凄い逸材のスプリンターを見つけたような気がしたんだけれど、それが誰だったのかどうしても思い出せないって。毎日悶絶しているんだって」

「え、やだ何ソレ怖い。あの歳でアルツハイマー?それとも幻覚か。良美ちゃんソコまで追い詰められていたの?」

「まぁソレは無いと思うけれど。多分何かの思い違いか勘違いなんじゃないかなぁ。ほら良美ちゃんって生真面目だからさぁ」

「真面目も行き過ぎれば病んでしまうという訳ね」

「だから病気とかじゃないと思う。錯覚や記憶違いって誰にでもあるし」

 ふわふわの髪の女生徒がふと、裏門の向こう側に佇む黒髪の女子に気が付いた。この時間に私服だから此処の学校の生徒という訳では無さそうだ。

 あれ、でも何処かで見たような。

「どしたの?」

「あの裏門の向こう側からこちらを見ている子、誰かに似ている気がして」

「そう言われれば何処かで・・・・あっ、ほら、キョウコに似てない?黒髪の具合とかさぁ」

「そうだ、そうだよ。立ち姿の雰囲気というか何というか」

 じっとこちらを見ているが、何となく自分達二人を見つめているような気がした。

 手を振ったら応えてくれるかな。

 ふわふわの髪の女子が手を上げようとした刹那、唐突にぷいと視線を外してその少女は去って行ってしまった。

「行っちゃった」

「歩き方も颯爽としてて格好良かったわね。武道か何かやってる子かな」

 女教師が次は誰かと呼ぶ声がして、背の高い少女は慌てて返事をした。

 ツーアウトのランナー無し。お互い無得点。ならばここは一発自分が当てる所なのかもしれない。

 少女は気を取り直すと、意気揚々とバッターボックスに収まった。


 通りすがりのコンビニで、袋一杯のビールとつまみを買い込んだ。

 明らかに女子高生としか見えない外見に、あからさまな疑惑の眼差しを向ける店員だったが、件の顔写真付きマイナを提示してゴリ押しした。舐めるようにカードを確かめ、お釣りを手渡す最後の最後まで疑わしげな目付きだった。だが気にしない。どうせもう二度と利用しない店だからだ。

「深淵の鎮魂歌」も今日で最終回。赴任地が変わって同級生と話を合わせる必要も無くなったのだが、結局最後まで見続ける羽目に為った。仕方がないじゃないか、途中で見るのを止めたら続きが気になって落ち着かなくなる。仕事に集中出来なくなったら大変だ。

 だからこれは業務を滞りなく遂行させる為にも必要な作業、大切な重要確認案件なのである。疎かにする訳にはいかない。

 オープニングは無かった。画面の端に小さくタイトルが浮かび上がっただけだ。先週の続きのシーンからいきなり始まって緊迫感のある場面が展開してゆく。一本目のビールはあっという間に空になった。

「・・・・・」

 二本目を空ける。

「・・・うっ・・・・あ・・・・」

 三本目を口にしたが飲む暇が無い。

「・・・・・ああ・・・・ああぁ」

 あまりの結末に思わず声が漏れる。

 エンディングまで見終わってスマホを切った。三本目の缶ビールはすっかり温くなっていたが一息で全部喉に流し込んだ。

 終わってしまったという寂寥感と、主人公へのやるせない感情だけが残った。

 予想はしていたがやはり救われない最後であった。家族の仇は取れたものの組織は何も変わらなかった。大きな力へ個人で抗するには限界があるという訳だ。そして禁じられた力を使う者はその報いを受けることになる、その主張はブレないまま最後まで貫かれていた。

「よく練られた脚本だった。監督も良かった。テーマも骨太で演出も見事と言って良い。俳優の力量も相当なものだ。脇を固めるベテランは勿論、実力派の若手を選りすぐったという触れ込みも誇大ではなかった。

 途中、些か盛り過ぎだろうと思う回もあったが、この最終回への布石と思えば納得もいく。控えめに言っても極めて良質なドラマと評して宜しかろう。あるいは傑作と呼んだとしても憚りはあるまい。そうは思わないかねデコピンくん」

 スマホの画面を脇から覗き見していたほぼ真っ黒な白黒ブチ猫であったが、あたしの問いかけに振り返り眉間にシワを寄せて「にい」と不機嫌そうに鳴いただけだった。そのままぷいとその場を離れてぴょんと跳び、何時もの定位置、本棚の上で丸くなった。

「ふふん。素知らぬ体を装ってもバレバレだよ。黒目をまん丸にして瞬きもせず見入ってたクセに。今更クールを気取っても滑稽なだけだね」

 あたしは勝ち誇って「ふははは」と笑い、四本目のプルを引き開けるとそのまま半分までを一息に飲んだ。

 うん、キョウコを執拗に追い続けたベテラン刑事間瀬。彼がラストに苦り切った顔でタバコを吸い、指でもみ消すシーンが格好良かったな。

 刑事としての職務に忠実であると同時に、キョウコに対して必ずしも否定的でない微妙な役回りに共感する視聴者も多かったようだ。

 このドラマを教えてくれたあの二人は今頃どうしているだろうか。ラインで最終回の感想をやり取りしているのだろうか。しているのだろうな。

 かける当ての無いスマホをじっと眺め、そしてそのままテーブルの上に置くと充電器につないだ。

 女子高生の姿をし女子高生の生活を気取り女子高生のように学校に通ってはいるがそれは只の上っ面、ホンモノではない虚構の存在だった。解体業を営むための目眩ましに過ぎない。だから彼女らと膝を交えて生活するなど在り得ないし、そのように見えたとしてもそれは直ぐに崩れて消える砂上の楼閣、泡沫の幻なのだ。

 立ち去ってしまえばもう誰も憶えてはいない。服を着た、ただの影なのである。

 おもむろに座って居た椅子から立ち上がると空になった四本目の缶を鉈に見立て、誰も居ぬ虚空に突き出し台詞を吐いた。

「尽きぬ欲などツライだけ。楽にしてあげるわ」

 タンクトップに下着だけというあられもない姿だが、誰かが見ている訳でもない。今度のヤツにはこの台詞を叩き付けてやろう、そう思った所で我に返った。

 いやいや、そんな台詞準備する必要なんて無いんだよ。

「ちと酔ったかな」

 或いは最終回の余韻で些かハイに為っているのかも知れない。

「あっ」

 気付けばデコピンがコッチをじっと見ていた。それだけなら未だしも首輪のレコーダーが録画状態になっている。パイロットランプが明滅しているのが見えたのだ。

「莫迦っ、よりにもよってこんな場面を撮ってんじゃないっ!」

 掴まえねじ伏せて動画を消去してやろうと狭い部屋の中で追いかけ格闘した。半ばムキになって掴み取ろうとするだが、どうしても掴まえる事が出来なかった。すんでの所までは行くのだが、するするヌルヌルと手の先腕の隙間を擦り抜けて、文字通り尻尾を掴むコトすら叶わない。

「あーもう、止め止め」

 いい加減阿呆らしくなって、ぞんざいに椅子に腰掛けた。腹が立って五本目を一気に干した。折角のほろ酔い加減が台無しである。

 げふ、と一息吐き、そのままベッドに潜り込むのだ。

 変わり映えがしなくって、時折、目の前でぐるぐる回る玩具を眺めているような気分になる。それは円盤の上に乗った派手な色合のブリキ細工で、自分にそっくりな人形が乗っており、同じくブリキで出来た馬と一緒に延々と同じ場所を回り続けているのだ。

「デコピン、灯りを消して」

 本棚の上からネコがスイッチ目がけてダイビングして、部屋は一瞬で真っ暗になった。

 黒い毛むくじゃらが動く気配があったが、すぐにそれも無くなって静かになった。

 いつまで続けられるのかは判らないが永遠と云うことはなかろう。老いることの無いこの身体とて何時の日か必ず朽ちる日が来る。

「彼女」が目覚める時まで、或いはもう此処でいいと諦めるその日まで、終わりの無い輪舞ロンドを踊り続ける。まぁそれも悪くはない。

 メリーゴーランドのJKか。

 片頬だけで笑った。

 呟いたはずの言葉であったがそれは誰の耳にも届くことは無く、そのまま夜の狭間に埋もれて消えていった。

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えげつない夜のために 第六話 深淵の鎮魂歌 九木十郎 @kuki10ro

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