第六話 深淵の鎮魂歌(その六)

 ゆさゆさと揺り起こされて、目を開いてみれば見覚えのある顔が覗き込んでいた。

「飯山さん、大丈夫?」

「あ、あれ、邑﨑さん。なんでこんな所に」

「それはあたしの台詞。こんな所で寝ていたら風邪引くわよ」

 身体を起こし慌てて周囲を見回してみれば、学校のすぐ近くにある公園のベンチに寝転がっていた。

「あ、あり?わたし中村くんに誘われて学校に、あれぇ?」

「コンビニに行こうと公園を通り抜けていたら、あなたが寝転がっているんだもの。驚いたわ」

「中村くんは何処」

「誰?」

「ほら、隣のクラスでちょびっとイケメンで何処か飄々としている男子よ」

「そんな子、うちの学校には居ないわ」

「え、いや、そんなハズは」

「居ないわ」

「そ、そう、だったっけ?でも、彼に珍しいモノが有るって言われて、誘われて夜の学校に入って、南棟の使われていない教室の前で首がぽんと取れて、血みたいな液体がぴゅーって噴き出して、それで」

「飯山さん何を言っているの。あなたは一人だったわ。大方夜空見上げている内に、うたた寝して夢でも見たんじゃないの。幾ら星空が綺麗だからってちょっと不用心だわ」

「え、夢?なの、かなぁ」

「そうよ『深淵の鎮魂歌』じゃあるまいし。そうそうスプラッタな場面があたしたちの周りで起きるはず無いじゃない。昨晩はアクション回だったものね。根詰めて見ちゃって混乱してるのではなくて」

「た、確かにアレは凄いって思って見てたけれど。でも、あれぇ?」

「家まで送るわ。またうたた寝されても困るし」

「あ、いやいや大丈夫だよ、そこまでしてくれなくても」

 そう言って立ち上がろうとするのだが足に力が入らなくて、再びぺたんとベンチに腰を落とす羽目になった。

「まだ寝ぼけてるみたいね」

「ああ、ごめん」

 手を貸してもらって立ち上がると、今度はキチンと立つことが出来た。

「今晩は何事も無かったのよ、何も無かった。ちょっと気が向いて外に出て、たまたま公園でうとうとしてクラスメイトに起こされただけ。それだけのコトよ」

 子供に言って含み聞かせるような彼女の物言いだったが、それは思いの他にわたしの耳の奥に染みていった。そして、そのまま成る程そうなのだと思うようになった。中村なんて名前の男の子は居なかった。昨晩の『深淵』を根詰めて見ていたせいでちょっと思い違いしてしまっただけなのだ。

 そうだ、そうに違いないのだ。

 そしてわたしは今ひとつはっきりしない足取りのまま、自分の家に帰った。


 ほっと吐息を着いた。

 危うかった。あと一歩遅れていたら首が飛んでいたのは彼女の方だったろう。念の為にデコピンが今校内を再度巡回しているが、多分アレ一匹のはずだ。複数分の臭いは今までも無かったし、確認が済めばそれでケリが着く。

「取り敢えず一段落ですね」

 飯山さんを見送ったところで後ろから声を掛けられた。振り返って見なくても判る。あの美術教師だ。

「あたしは後片付けを済ませたら、そのまま次の赴任地に向う。辻褄合わせはヨロシク」

「了解です。まぁそれはそれとして、事後観察は宜しいので?規定では一週間だったでしょう」

「あなたが居るのにあたしが必要?監査官なのでしょう、給料分働きなさい」

「やれやれ人使いが荒い。でもまぁ仕方が無いですね。監査官とは名ばかりで所詮わたしたちは見張り役の小間使いですから。仰せのままに従いましょう」

「よく言うわ覗き見野郎。先日、ベンチで傍らに居たのもあたしに某か暗示を仕込もうとしてたからでしょう。あの後デコピンが教えてくれたわ」

「最初は彼に協力してもらっていたのですけれどもね。機嫌を損ねてしまったらしく、今はもう完全に避けられています。ですので仕方なくあなたに直接お聞きしようかと思いまして。

 ですが流石に脳ブロック堅いですね。全部弾かれてしまいました。あなたが素直に全てを報告して下さったらこんな手間暇は要らなかったのですが」

「誰があんな下らない設問に答えるか」

 それは業務内容に関する調査書とか銘打たれていた。

 だが内容は朝起きてまず何をしたのかから始まり、風呂トイレ食事の時間とその内容。仕事の状態を羅列し時系列順に列記せよ。口ずさんだ台詞や友人との会話。罵詈雑言も漏らさす子細に記録せよ。レコーダーカメラ等は常に電源を入れたままにしておくこと。そして全ての記録の提出だ。

 阿呆かと思った。何処の三流芸能レポーターの雑務かと吠え、ファイル丸ごとゴミ箱に放り込んだ所までは憶えている。

「それも仕事の内ですよ。他の使い手の方々も同じ種類のものを手渡されているのですし」

昨今流行はやりのあのドラマにあたしの一部始終を盛り込んだのはあなたね」

「上からの指示です。フィクションでも、少しずつアレに関して流布してゆこうというのがこれからの流れのようです」

「胸くそ悪い」

「お察ししますよ」

「やかましい」

「でも少し気を付けた方が宜しいですね。あなたは欲望だの喜怒哀楽だの本能に根ざした感情を臭いで嗅ぎ分けるコトに長け、そしてすこぶる敏感だ。眠っているときですらそれは変わらない、大した物です。

 ですが平穏な悪意には些か無防備ではありませんか。まぁ、あなたにだけ限った話ではありませんが」

「屋上で見かけたあの男の子が甥だとか言ってたけれど、でまかせだったのね暗示使い。或いは彼や彼女にも刷り込んで、アレの餌にでもしようとしてたのかしら。確かにその方が見つける確率は高くなるわよね」

「まさか、ソコまで外道じゃありませんよ。それに二人は嘘偽りなくわたしの甥であり姪です。ですから、今回の事は本当に感謝しているのですよ。あのままだったら本当に二人仲良く餌になるところだったのですから」

「そう。でも何故端から監査官だと言わなかったの。うちの上司はズボラだからね、こちらが言わなきゃ何も教えてくれない。聞き出すのは苦労したのよ」

「お互い面割れしていない方が色々と都合が良いではないですか。あなたの上司の方も同じ事を考えていらっしゃったのでしょう」

「プロフィールも読んだわ。十四年前にあなたの姉がアレに襲われたそうね。何処でどうやったのか知らないけれど死霊の書の存在を知って手を出そうとし、そして失敗した。その挙げ句、紆余曲折して今のあなたが居る。

 姉を復活させようとしたのね。

 あたしに何か言いたいことが有るのではなくて?」

「いえ何も」

「嫉妬かしら、それとも憎しみ?屍がヒトのふりして歩き回るのが我慢ならないのでしょう」

「まさか。遠い過去の話ですよ、もう気持ちの整理は着いています。死んだ人間は生き返りはしない、それは自然の摂理です。ええ弁えていますとも子供ではないのですから」

 肩越しに振り返ると温和で生真面目な表情の男が立っていた。口元は少し微笑んでいたが目元はまるで笑って居なかった。

「・・・・そういう事にしておくわ」

 彼の瞳の奥に微かにちらつくのは憤りと蔑み、そして嫌悪の感情だった。

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