最終話 小動物たちからの祝福

 温かい春の風が吹き抜ける。黄色やピンク、水色といった色彩豊かな花たちが嬉しそうに笑っている。青々と生い茂った木々も、気持ちよさそうに揺れている。その間をリスや小鳥たちが踊るように抜けていた。

 

「サラ様。今日は晴天になってよかったですね」

 

 傍付きのアリソンが窓を開けながら目を細めた。サラの居室に緩やかな風が入ってくる。頬を撫でるそれにサラはつい浮足立ってしまった。

 

「本当に。でも雨も好きだわ。雨上がりの空はすっきりするから」

 

 サラは雨上がりのあの日のことを思い出していた。雨上がりを思い浮かべると、反射的にこの国の者となった日のことを思い出すのだ。

 

「そうですね。どんなお天気でも、皆がサラ様を祝福することでしょう」

 

 小鳥たちの声が聞こえる。窓辺に寄ってきているのだ。

 

「かわいいわね。少し遊んでもいいかしら」

「残念ながらお時間がございません。この後すぐに大聖堂へと参りませんと」

「そうなのね。残念だわ。こんな日だからこそ歌いたいのに」

 

 そんな話をしていると居室の扉が叩かれた。

 

「どうぞ」

「失礼いたします。王太子殿下がお越しです」

「もういらしたのね。お入りになってと伝えて」

「かしこまりました」

 

 召使いが恭しく頭を下げて出て行くと、すぐに急ぎ足の音が聞こえた。サラはそれにくすりと笑みを漏らす。愛しいあの人が近づいてきていることに、にやけてしまって仕方がないのだ。

 

「サラ!」

 

 ばーんと扉を開いたのは、やはりジャックであった。

 

「ジャック。ごきげんよう」

 

 サラの姿を見るなり、ジャックは動きを止めてしまった。呼吸をすることさえ忘れそうだった。なぜならそこには、純白のドレスに身を包みベールを纏った天使がそこに居たからだ。太陽も味方につけているのか、彼女だけがきらりと光っている。

 

「ジャック。どうしたの?大丈夫?」

「はっ。サラがあまりにも美しいから見とれていた」

 

 我を忘れていたジャックは、サラの呼びかけで正気を取り戻した。

 

「やめてよ。今日は失敗できないのだからしっかりね」

「もちろんだ」

「ジャックも素敵だわ。……見惚れちゃう」

「私だけ見ていればいいさ」

 

 ジャックも正装をしていた。真っ白な軍服に王家の紋章の入ったリボンを肩から下げていた。腰には王太子しか持つことを許されないつるぎを帯刀している。

 

「ああ。少し緊張するわ」

「大丈夫さ。皆が喜んでいる」

 

 椅子に腰かけているサラにジャックが手を差し伸べる。それに手を重ねるとジャックの隣に並んだ。姿見に二人が写る。そこには端正な顔つきの青年と凛とした淑女が立っていた。それはまるで絵画のようだ。

 

「覚悟はいいか?愛する奥様」

「もちろんよ、愛する旦那様」

 

 その光景をアリソンが目を細めて見守っていた。その目尻にはきらりと光るものがある。

 

(尊敬するお二人の出発の日に立ち会えて、私は幸せ者だわ)

 

 微笑み合いながら居室を出る。絨毯を踏みしめながら大聖堂へと移動していると、渡り廊下で小鳥たちがサラの頭上を舞った。それはまるで二人の結婚を祝福しているかのようだった。

 

(ありがとう。私、頑張るわね)

 

 心の中で小鳥たちに御礼を言ったところで、大聖堂の扉が開かれた。ステンドグラスの煌びやかな光が差し込むそこは、清新な空気が流れている。張り詰めているとも違う。自然と背筋が伸びる厳かな空気だ。

 

 背筋を伸ばした二人は、ゆっくりと歩を進める。中央には国王陛下が鎮座している。シルク王国での王太子の成婚は決して豪華絢爛ではない。粛々とその使命を授けられるものだ。それゆえこの婚儀に出席しているのは、国王陛下夫妻とシルク王国の重鎮のみである。その中にオダン公爵夫妻の姿もあった。

 

 国王陛下の面前へと到着すると、にんまりと笑顔が降り注がれた。

 

「此度の婚姻、国王の名のもとに祝福する。ジャックは王太子として、サラは王太子妃として、民のために心を尽くし、民のためにその身を尽くすことを託す」

「ありがたきお言葉、身に余る光栄です」

 

 こうべを垂れるジャックに合わせてサラも淑女の礼をする。

 

「それでは二人の誓いを」

 

 国王陛下に促され、サラとジャックは向き合う。そして両手を握り合い、見つめ合った。

 

「いかなる時も民に祝福される愛をそなたに捧げると誓う」

「どんな時も王太子殿下を支え民に喜ばれる愛を捧げると誓います」

 

 琥珀色の瞳と翡翠色の瞳が近づく。サラの長い睫毛が伏せると、ジャックは手を離し、ヴェールをティアラがずれないようにそっとたくし上げる。もう一度手を握り合うと、そっと口づけを落した。たった数秒のことであったが、それは誰もが胸の焦がれるような二人の姿だった。オダン公爵夫妻が涙を零して喜んだことは、のちに何度も語られることとなる。

 

 誓いの儀式を終えた後、ジャックとサラは城のバルコニーへと姿を現した。王太子の婚儀とあり、王城の民の広場には多くの者らが集っていた。ファンファーレが鳴り響き、民らの歓声があがる。色とりどりのペーパーシャワーや花びらが舞っていた。

 

(なんという素晴らしい光景でしょう)

 

 サラは胸を震わせていた。隣には愛する人がおり、その人との結婚を喜んでくれる者がいる。一年前の婚約破棄の瞬間には考えられないことだった。夢見たラブロマンスがそこにあり、誰からも祝福される愛を心に持つことができたのだ。

 

「どうしたんだ、奥様」

 

 ジャックのしなやかな指がサラの頬に伸びる。どうしたのだろうとジャックを見つめていると「くくっ」と笑われた。

 

「涙が出ているぞ。そんなに嬉しいか?」

「えっ」

 

 驚いたサラは自分の頬を撫でると確かに濡れていた。

 

「嫌だわ、もう」

 

 慌ててハンカチーフを取り出して涙を拭う。

 

「大丈夫だ。民は気づいていない」

「あまりにも胸がいっぱいになる光景で感動したの」

「そうだな。私でさえ胸がいっぱいだ」

 

 二人がほほ笑み合う姿に、民らはさらに歓声をあげる。

 

「それじゃあ歓びの音を奏でるか」

 

 ジャックが懐からオカリナを取り出した。

 

「まあ。いつの間に」

「サラと出会ってからいつでも忍ばせている」

「まあ」

 

 ジャックがオカリナを奏で始めると、どこからか小鳥たちが集まってきた。バルコニーの手すりにはリスやうさぎがやってきた。大きな歓声をあげていた民らは何が起こるのかと静まる。

 

 オカリナの音色を心地よく感じた頃合いで、サラが歌声を響かせる。瞬く間に民の広場中がその歌声に釘付けとなる。ある者は呼吸を忘れ、ある者は胸の鼓動が止まらなかった。

 

 サラは頭に小鳥を乗せ、腕を広げてそこにリスを乗せる。足元にはうさぎがおり、共にくるくると舞いながら歓びの歌を届けた。ジャックはオカリナを響かせながら、愛しいその人を見つめる。

 

 慈愛に満ち溢れた空気が広がった。その光景に民らはいつまでも、この瞬間が守られますようにと願ってやまなかった。


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婚約破棄で国外追放!再婚約要求が届きましたが知りません 茂由 茂子 @1222shigeko

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