第10話 アリソンの事情

「みなさん。今日はどうもありがとうございました。本当に助かったわ。心ばかりの御礼だけれど、今夜は我が家でご飯を食べて行ってくださいな。さあ召し上がれ」

 

 夕暮れも迫る頃、皆の協力のおかげで邸の夏支度を終えることができた。その御礼にと、サラは手料理を振る舞った。一人で作るのは大変だったため、シッターにも手伝ってもらった。

 

 夜ご飯として準備したのは、ピーマンの肉詰めだ。それにマッシュポテトを添えている。オニオンスープとバゲットもある。

 

「サラは本当に料理が上手になったわね」

 

 アメリーに褒められ、サラは胸がくすぐったくなった。皆を見渡すと「うまい、うまい」と言いながら皿まで飲み込みそうな勢いで、どんどんと頬張っていた。男衆の中で一際目をひくのがジャックだ。

 

(ジャックも食べてくれているわね)

 

 男衆の中で銀髪を揺らすその姿は異質だ。身のこなしから村民とは暮らしの違いが伺える。しかしジャックと男衆は今日ですっかり仲良くなったらしく、笑顔を弾けさせている。

 

(ジャックがあんな風に笑うのを初めて見たわ。身分を振りかざすところを見たこともないし……。きっととても良い人なのよね)

 

 とくんと音を鳴らす心臓に、サラは目を逸らさなかった。最近ではジャックといつまでも一緒に居られたらいいのにと思う瞬間ばかりだ。ジャックへの熱い視線をゆっくりと終わらせ、ふとアリソンへと視線をやると、ドミニクにスープを飲ませているところだった。

 

「アリソンとドミニクは、今夜は泊まるところはあるのかしら」

 

 夜ご飯を食べ終える頃には、もう日が暮れてしまうだろう。そんな時間に隣の領地まで帰ることはできない。

 

「えっと……」

 

 返事を窮するアリソンにサラはやっぱりと思った。

 

(きっとアリソンは家に帰る気がないのね)

 

 初めに抱いた違和感を繋ぎ合わせて、サラは答えを出していた。アリソンは野菜売りのはずなのに、今日はその荷物がなかった。ということは、野菜を売りにこちらへとやってきたわけではないのである。

 

 野菜を売りもしないのにただ御礼を言うためだけに、こちらへとやってきたとは考えづらい。

 

(十中八九、大切なドミニクだけ抱えて家出をしてきたのね)

 

「行く当てがないのなら、しばらく我が家に居てもらえないかしら。女の一人暮らしは飽きて来たところなの。今夜は話し相手になってくれないかしら」

 

 それに聞き耳を立てていたのはジャックである。

 

(サラは気づいたようだな)

 

 満足気に口端をあげたことには誰も気が付かない。ジャックはまたサラへの好感を持った。

 

 夜ご飯の片づけまで済ませると、皆が帰りの支度を始めた。サラは一人一人に「どうもありがとう」と言いながら、見送りをした。最後に残ったのはアメリーとジャックである。

 

「アメリー。今日は本当にどうもありがとう」

 

 両腕を広げると、アメリーがその中に入って来てくれた。しっかりと抱きしめ合うとゆっくりとお互いを見つめ合う。

 

「どういたしまして」

「これ、レモンパイ。アメリーに渡しておくわねってバリスと約束したの。持って帰ってちょうだい」

「まあ。ありがとう。レモンパイは大好きなの。嬉しいわ」

 

 サラが渡したバスケットをアメリーは喜んで受け取った。パイの甘い香りとレモンの爽やかな香りがふわりと立ちのぼる。アメリーは「良い香り」と喜んだ。

 

「それはそうと、アリソンを住まわせるのならドミニクの世話が大変でしょう。公爵様にシッターをお願いしておきましょうか」

 

 アリソンはドミニクを寝かしつけるのに奥へと行っていた。

 

「まあ。公爵様にご迷惑はかけられないわ。母親のアリソンが居るのだから大丈夫でしょう」

「でも正式に使用人として雇うのでしょう」

 

(サラがアリソンとドミニクをそのままここから帰すようには思えないわ。きっとアリソンは婚家でなにかあって出てきているのでしょうから)

 

 アメリーもアリソンの様子に思うところがあった。

 

「事情を聞かないとまだ分からないけれど。アリソンは働き者だから、もし彼女さえ良ければうちで働いてもらえたら嬉しいわ」

「そうでしょう。それじゃあ公爵様にシッターをお願いしておくわ」

「でも、いいのかしら」

「いいに決まっているわ。ここは公爵様の持ち物なのだし」

 

 サラはその言葉ではっとした。

 

「そうよ。勝手にアリソンを雇う気でいたけれど、公爵様の御許しをもらわなくて大丈夫かしら」

「そこはジャックに口添えをしてもらいましょう。いいわよね、ジャック」

「ああ。私が進言をしておこう」

「アメリーもジャックもありがとう」

「いいのよ。ねえジャック」

「ああ」

 

 二人を見送ると、サラはアリソンの居る部屋へと向かった。二階の客間を使っていいと言ったのだがアリソンが固辞したので、一階の使用人部屋を明け渡した。

 

「ドミニクは寝たかしら?」

 

 そっと扉を開けると、部屋の中は真っ暗だった。ドミニクが寝付くように灯りを消していた。寝台の方へと目を向けると、その傍らに人影がある。サラの声掛けに、その人影が扉の方へと動いてきた。

 

「たった今寝たところです」

「そう。よかったわ。少しお茶でもどうかしら」

「……はい。ありがとうございます」

 

 二人で炊事場へと行くと、そこでお茶をすることにした。アリソンがお茶を淹れると言ったが「いいから座っていて」と椅子に座らせた。アリソンは少し居心地を悪そうにするが、それに気を止めることなくサラは湯を沸かした。

 

「眠れなくなったらいけないからカモミールティーにするわね」

「ありがとうございます」

 

 湯が沸くとポットに乾燥させたカモミールと熱い湯を入れた。たちまちにハーブの香りが炊事場に立ち込める。「うん。いい香りね」とサラは満足気だ。

 

「はい。どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 テーブルに二つのカップを準備して、そこにカモミールティーを注いだ。湯気が立ち上る。二人はそれを口に含んだ。

 

「うん。美味しいわね。お口に合うかしら」

「はい。とても美味しいです」

 

(さて。どう話を切り出そうかしら)

 

 逡巡していると、アリソンの方から「あの……」と口火を切った。

 

「今日もこんなによくしていただいてありがとうございます」

「そんなことないわ。夏支度を手伝ってくれたのはアリソンの方でしょう。こちらこそどうもありがとう」

「滅相もございません。久しぶりに使用人のように働くことができてとても楽しかったです」

「アリソンは使用人として働いていたのよね。結婚をして農婦を?」

 

 その質問にアリソンの表情は曇った。しかし意を決したように唇にぐっと力をこめると「実は」と語り始めた。

 

「縁あって農夫の夫と結婚することができました。畑仕事は嫌ではありません。義理の父も母も働き者だと喜んでくれていました。でも……」

「でも?」

 

 アリソンは睫毛を伏せると、右手で自身の腹をそっと撫でた。

 

「ドミニクを妊娠してから変わりました。悪阻で動けない日もなぜ働かないのかと折檻されました」

「妊婦を折檻!?」

 

 声をあげるサラにアリソンはゆっくりと頷きました。

 

「なんとかドミニクを守り抜いて出産してからも、出産した次の日から働くよう命じられました。私が働かないからと食べ物も少ししか与えてもらえず、洋服もぼろぼろになっていきました」

「それであのぼろぼろの靴だったのね」

 

 ぽろりと大粒の雫が零れ落ちた。

 

「あの日、帰ってからも折檻を受けて……。こんなことならお前なんかと結婚するんじゃなかったとまで言われて。いつもならそれも我慢できたのですが、あの日はお二人と出会ってしまいました。ドミニクを助けていただきました。それでもう、こんな家に居たらいけないと思って。どうにかドミニクと一緒に家を出る機会をうかがって、今日ようやく出て来たのです」

「そうだったの……」

 

 サラの目を気にすることなく、アリソンはありったけの涙を流した。そこにそっと白い指を伸ばす。零れ落ちるそれをサラは優しく拭った。

 

「もう大丈夫よ。隣の領地まで来たのなら、貴女とドミニクのことを一介の農夫が探すなんてしないわ。よく自由を勝ち取ったわね」

 

 言葉を発することのできないアリソンは、鼻をすすりながら何度も頭を縦に振った。そんなアリソンの肩をさすりふわりと抱きしめる。

 

(子供を守ろうと家を出てきたアリソンはとても強い女性ね。尊敬に値するわ)

 

「帰る場所も働く場所もないでしょう。今日からここで働いたらいいわ」

 

 思ってもみなかった提案に、アリソンはぎょっとした。

 

「そんな……!そこまでサラ様に甘えるわけにはいきません!」

「そんなこと言ったって、ドミニクを抱えたままどこに雇ってもらうっていうの?どうせ私は一人暮らしなの。貴女たち二人を受け入れることなんてわけないわ」

「でも、わたくしのことをもう少し調査された方が良いのでは……。紹介状さえ持っておりませんのに」

 

 貴族の家で使用人として働き始める場合、紹介状が必要となる。過去に領主の家で働いていたときは紹介状を書いてもらうことができたのだろう。

 

「あら。アリソンの人柄は、今日手伝ってもらっただけでよく分かったわ。それにドミニクもとても可愛いもの。紹介状なんて必要ないわ。これからここで私のことを助けてくれるかしら」

「サラ様……」

 

 アリソンは嬉しくて言葉にならなかった。

 

(サラ様には頭が上がらないわ。この御恩はずっときっと一生をかけて返していきます)

 

 こうして、アリソンとドミニクはサラの邸で働きながら暮らすことが決まった。

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