第9話 夏支度

 道すがら、サラは夏支度を手伝ってほしいことを女に伝えた。そして女と赤ん坊の名前を聞いた。女はアリソンと名乗り、赤ん坊はドミニクだと教えてもらった。サラの邸へと到着すると、すでに公爵邸の使用人が顔を出していた。そこにはアメリーも居る。

 

(いつの間に公爵様へのお願いをしたのかしら?)

 

 驚いてジャックを見つめると、彼はどこ吹く風だ。

 

「アメリーも来てくれたのね!」

「女手も必要でしょう。邸の周りの夏支度は男衆に任せるとしても、中はそういうわけにはいかないでしょう?」

「悪いわね。ありがとう。恩に着るわ」

「いいのよ。貴女は娘みたいなものよ」

「そんな風に言ってもらえて嬉しいわ」

「それで、そちらは?」

 

 サラの後ろで気まずそうに立っているアリソンにアメリーは視線を移した。

 

「アリソンっていうの。少し前に出会って、手伝ってもらうことにしたのよ」

「そう。私はアメリー。よろしくね」

 

 アリソンははっとして「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。

 

「でも赤ん坊を抱えての作業は大変ね。そうだわ。私の知り合いのシッターさんを呼びましょう。その方が安心でしょう。サラ、そうしていいかしら?」

 

 アメリーの提案に、反対する理由はない。シッターを呼んだ方が、作業も捗るとサラも思ったのだ。

 

「ええ。そうしましょう。アリソンもそれでいいかしら?」

「ご恩返しのためにお手伝い伺いましたのに……。なんだか申し訳ないです」

「いいのよ。ドミニクだってその方がきっといいわ。それに手伝ってもらうのは私の方なのだから、そんなに肩を縮こまらせないで」

 

 サラがアリソンの両肩をぽんぽんと軽く叩くと、アリソンの力がふっと抜けた。アメリーの呼んだシッターはすぐにやってきた。アリソンの背中からドミニクを下ろしてシッターへと預ける。

 

「それじゃあお手伝い、よろしくお願いします」

 

 サラの邸の夏支度が始まった。男衆は邸周りの日除けの設置を、サラたちは冬用の寝具や装飾類を夏用に取り換えることにした。絨毯やカーテンも厚手のものから薄手のものへと取り換える。邸の中にある冬用の布類を片っ端から外に出して行った。

 

「一人暮らしとはいえ、こんなにあるのね」

「そりゃあサラが不便なく暮らすのはこれくらい必要でしょう」

「準備をしてくださった公爵様に感謝だわ」

 

 古い小さな邸へサラが移り住むにあたって、その準備をしてくれたのは公爵だった。

 

「サラ。日除けの設置は終わったぞ。次は何を?」

 

 冬用の布類を全部庭に出し切ったところで、ジャックがやってきた。

 

「えっ。もう終わったの?」

「助っ人の手際がよかった。連れてきてくれたアメリーに感謝する」

「いいえ。それじゃあ、布類のお洗濯を頼んだらどう?こんなにたくさんのお洗濯ものがあったら力仕事だし」

 

 サラはアメリーの提案を受け入れ、男衆に洗濯を頼んだ。大きな布を洗わなければならないとあって、庭には頑丈な紐が張り巡らされた。そこに洗い上がったものを干す算段らしい。

 

「ね。洗濯も男衆に頼んだ方が効率的でしょう」

「さすがアメリーね」

 

 感心しながら邸の中へと入ると、先ほどまでとは打って変わって涼し気な印象となっていた。壁紙も張り替えたわけではないのに、通り抜ける風の色が違う気がする。

 

(こんな早業、一体誰が……!?)

 

 そう思っても心当たりは一人しかいない。

 

「アリソン!アリソン、どこ?」

 

 サラが呼ぶと「ここに居ますー!」と二階から聞こえてきた。アメリーと一緒に二階への階段を駆け上ると、そこには二階の廊下のカーテンを取り付けているアリソンがいた。

 

「アリソン。もう一階のカーテンは終わったの?」

「ええ。そんなにたくさんではなかったので、終わらせてしまいました。いけませんでしたか?」

 

 踏み台に乗ったアリソンが慌てて降りてこようとしたので、サラは掌を出してそれを制止した。

 

「いいえ。こんなに早く終わるなんて、とても助かるわ。どうもありがとう。アリソンはこういうのが得意なのね」

「実は結婚する前は、隣の領地の領主様の邸で使用人をしておりました。ですので、邸の仕事は昔取った杵柄です」

 

 アリソンは両肩を上げてふふっと笑った。

 

「笑った……」

「え?」

「アリソン、貴女ようやく笑ってくれたわね」

 

 サラが満面の笑みでそう言うと、アリソンの頬はたちまちに赤色に染まった。

 

「笑っている方がずっといいわ」

 

(出たわ、サラの人たらし。こんなに人当たりの良いお嬢さんなのに、どうして隣国の御方はサラのことを手離したりしたのかしら)

 

 アメリーにはそれが不思議でならなかった。

 

(そのおかげで、サラがシルク王国に来てくれたのだから。反対に感謝しなくちゃいけないわね)

 

「それじゃあカーテンはアリソンに任せて、私とアメリーは夏用の寝具類を出しましょう」

「ええ。そうね」

 

 皆がせっせと作業を進めた。手の空いた男衆は邸の中の衣替えも手伝った。お昼ご飯はアメリーの呼んだシッターが準備をしていた。「いつの間に!?」とサラは琥珀色の瞳を輝かせて感動した。シッターの用意してくれたパンとスープは、庭で和気あいあいと皆と一緒にいただいた。

 

 サラは嬉しかった。こんなにもたくさんの人が邸に集ったのは、シルク王国にやってきてから初めてのことだったからだ。

 

(お母様が生きていた頃は、使用人たちとこうした時間を過ごしていたわね)

 

 サラは実家を少し懐かしく思った。エドモンは厳格であったが、家にはろくに帰ってこなかった。出世に対する野心が強く、よく王城で寝泊まりをしていたのだ。家長の居ない家では、母グレースが女主人として邸を切り盛りしていた。グレースは優しくいつも朗らかであったので、使用人たちとも仲良く暮らしていたのだ。

 

 しかしグレースは身体が弱く、サラが15歳の時に天国へと旅立ってしまった。その後はなんとか邸を明るく盛り立てようと振る舞ったものの、悲しみの影を落としたオデール家に以前のような光が戻ることはなかった。

 

 追い打ちをかけるように起きた婚約破棄とサラの国外追放である。エドモンの落胆は推し量ることもできないものだっただろう。サラもそんな父の思いをよく分かっているからこそ、この国外追放という処分を受け止めた。

 

(私は自由になれてラッキーだけれど、国に残ったお父様はきっと大変な思いをしてらっしゃるだろうから)

 

「どうした?」

 

 サラのことをよく見ているのはジャックだ。

 

「いいえ。ちょっとお母様のことを思い出して、ね」

「ああ……。亡くなられているのだったな」

「なんでも知っているのね」

「ここに来る前にサラの生い立ちから聞かされたからな」

「そうなの?」

「ああ」

 

(わざわざ私の様子を見てくるだけで、そんなにも情報を収集するなんて。シルク王国って抜かりがないのね)

 

「まだレオン殿下からの手紙は来ているか?」

「そうね。返事は出していないのに二週間に一回はくるわ」

「そうなのか」

 

 レオンからの再婚約を要求する手紙が、あれから何度も届いていた。その度にサラは返事をせずに燃やしているのだが、二週間も経てばまたやってくる。

 

「きっと、エミリア嬢の王妃教育が上手くいっていないのよ」

 

 サラは首を横に振って大きな溜め息をついた。


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