第5話 ★私が見たその夢は
寝る前に少しだけシグネット相手に昔話をしたせいだろうか。
意識が夢の世界に溶けていくと昔の記憶が
私が見たその夢は、現時点から約一年前にあたる北イタリアでの一幕だった。
場所はミラノの都心部にある小洒落た感じの
レストランのメニューと格闘している私にアイビスは心底馬鹿にした様子でこう言った。
「え〜、彩羽は知らなかったんだ? ミラノのレストランにドリアは無いんだよ」
その時の相棒の顔はニヤニヤと意地の悪い笑顔だった。
「……その様だね」
「うん。そもそもの話『ドリア』は日本が独自に作った創作料理だから海外にはないし『本場のドリア』なんて物は存在しないんだ」
含みのある言い方。どうせ恥をかくんだ、指摘があるならハッキリ言って欲しい。
「相変わらず回りくどいなぁ、アイビスは何が言いたいの?」
「うん。だからね、彩羽が「ミラノ風ドリア下さい」って
「笑いたければ笑って良いんだよアイビス。むしろ笑って、笑いを必死に噛み殺さないで」
「ははっ、ごめん。給仕係と話が噛み合わなくておろおろしてる彩羽が可愛くてツボにハマってたんだ」
クスクスと朗らかに笑うアイビス。その笑顔だけなら賛美に値するんだけど。
この子の性格を知っていると絶世の美少女も可愛さが半減するというか。
この腹黒女め。また人を玩具にして楽しんでいるな?
「アイビスは相変わらず性格が悪いよね。途中で
「それだと彩羽の勉強にならないだろ? ボクはキミのためなら心を鬼にするよ」
「ふん。アイビスは鬼よりも悪魔の方が似合ってるよ」
「ほうほう、それは小悪魔的な感じかな?」
片眼を閉じてパチリとウインクをキメるアイビス。本当にあざとい女だ。相手が私じゃなかったらこのあざと可愛い仕草にコロッと騙されているだろう。
「……そうだね。美少女の
「なるほど、彩羽はチョロい女なんだね。ボクは彩羽がチョロインで嬉しいよ」
「チョロインって。言い方」
私がチョロいかどうかは置いといて、アイビスは雑談もそこそこに料理が運ばれて来るまでのわずかな時間を利用して仕事の
「うーん、それにしてもヴェネツィアで
まるで食事中にする他愛のない雑談の様な気軽さで口から物騒な単語をつらつらと並べるアイビス。
日本語とはいえ周りに聞かれてないと良いけど。
「捜索範囲をミラノに広げてもう一週間か、流石に国外に逃亡しているんじゃないの? 下手に身を隠すより逃げる方が安全だよね?」
特にアイビスが相手なら、そう言いかけて言葉を飲み込んだ。
口は災いの元、余計なことは喋らない方が良い。特にこの子が相手なら尚更だ。
「んー、彩羽は考えが甘いなぁ。逆だよ、逃げるより隠れる方がよほど安全さ」
「その心は?」
「相手は腐ってもイタリアでは名前が売れている有名な
「……ならプライベート、私的に使えるヘリや船ならどう? それなら見つからないで逃亡できる可能性はかなり上がるよね?」
「それならもう既に場所は抑えたよ」
「……抑えたって、マフィアのプライベート施設を?」
「うん。ヴェネツィアの
「いつの間に……」
「ついでに彩羽がボクに内緒で『カナリア』のコンサートチケットと用途不明なガラスのお土産をヴェネツィアで買った事もボクはちゃんと知っているよ」
「いつの間に!?」
そんな馬鹿なっ、土産はともかくコンサートチケットはバレない様にあれこれと使えるコネクションをフル活用したんだけど!?
「あっ、やっぱりカナリアのコンサートだったんだ? カマかけたつもりだったんだけど見事に引っかかったね?」
「畜生、まだバレてなかったのか!」
しかし、何かしらの
「カレンダーに赤丸つけるとか彩羽は可愛いなぁ。そんなにミラノで開催されるカナリアのコンサートが楽しみだったんだ?」
「なんたる失態……」
OK、話題を戻そう。
「それにしても、こんな開けっ広げに仕事の話をして大丈夫なの? 誰かに盗み聞きされてたら不味いでしょ」
少しばかり周囲への
「なんでかなー。なんで「一緒に行こう」って誘いの一言がないのかなー。どうしてボクに内緒で行こうって発想になるかなー。だから彩羽はダメダメなんだよー」
「…………」
話題が継続していた。
OK、話題を戻そう。もう一度。
「よし、アイビス。今は仕事の話をしようよ」
「んー、このクソ忙しい時にコンサートに行けると本気で思ってたのかなー。彩羽の頭の中はお花畑なんだねー」
「……それにしても料理遅いね、はは……」
ギロリと真紅の瞳が私の目を射抜いた。
「ボクが浮気を許すとでも?」
「ごめんなさいっ!」
ドスの効いた冷淡な声が耳に入り私は秒で謝罪を入れた。
一流の猟犬は放つ殺気も桁違いだ。目のハイライトが完全に消えていた。というか、今浮気って言わなかった?
「やれやれ、あんな歌って踊るだけの女のどこが良いんだか。ボクは甚だ疑問だよ」
「その発言はカナリアのみならず全世界の歌姫を敵に回すからやめてよ。あと私を含む
「彩羽、現実を見ようよ。アイドル相手にお金を貢いでも得られるのは自己満足だけだよ? まさか友達になれるとか思ってるの? それ、普通に気持ち悪いよ?」
「やめて! 哀れみの目で私を見ないで! あとカナリアはアイドルじゃなくて歌姫だから!」
「ボクの目線で見ればどっちも一緒だよ。ほら、キモオタとファンの区別だって、無関心な者から見れば『同じ穴の狢』だろ? それと一緒さ」
「駄目だ……口論で勝てる気がしない」
──それにしても、料理を持って来るのが遅すぎない?
「ねえ、アイビス。一体何を注文したの?」
「何だと思う? 当ててみてよ」
「…………?」
かれこれ三十分以上は待たされている。
「ヒントは店内に人が居ると不味い料理さ」
「人が居ると不味い?」
辺りを見回す。レストランの中に私たち以外の客がいない。入店した時はほぼ満席だったのに。
知らず知らずのうちに人が居なくなっている。
これは一体──。
「はい。時間切れ」
呆れた様子でアイビスは言う「まだまだだね」と。
「彩羽が一人前の猟犬を名乗れるのはいつになるかな?」
「アイビス、これはどういう事?」
「簡単な話だよ。このレストランが『当たり』だったんだ」
「当たり?」
私が視線で説明を求めるとアイビスはそれにつらつらと答える。
「さっき
人身売買と麻薬取引を生業とする『
「……なるほど、食後のデザートは【死を運ぶ凶鳥】の私たちってわけか」
「そういうことさ、最期の晩餐に
「確認するけど、最期の晩餐が私たちの方になるとか無いよね? 私、最期の晩餐は回ってないお寿司か二郎系ラーメンって決めてるんだよね」
「えっ、何? 彩羽はカナリアのコンサート行きたくないの? ここで死ぬの? 馬鹿なの?」
「一言どころか二言は余計だよ!」
そんな軽口を交わしながら私達は『心のスイッチ』を切り替え臨戦態勢に移行する。
私は懐からハンドガンを取り出して
一方でアイビスはヴァイオリンケースの中から鮮やかな装飾が施された
右手には主人の生血を糧にする真紅の毒刃【
それは私設武装組織である【
普段の仕事なら【氷晶の花束】しか使わないはずだけど。
「……二本目も使うの?」
「うん、相手が相手だからね。それに前回は逃げられたから、今回は最初から本気で
「…………」
あの【
「窮屈で鬱陶しいんだよねこれ。
「問題児は信用されてないんでしょ。知らないけどさ」
「彩羽に押し付けられないかなー。この重荷」
「絶対に嫌だよ」
「えー、そんな事言わないでよく見てよ。デザインだけならそこそこカッコいいでしょ?」
そう言ってアイビスは自分の首に着いている黒いチョーカーを私に見せ付けた。そうだね厨二心をくすぐるデザインだね。事情を知ってるから絶対に着けたくないけど。
「……切り札を使うのは良いけど“貧血”にならないでよ。あと、出来れば
「えー、注文が多いのは山猫のいるレストランだけにしてよ」
国籍不明とはいえ宮沢賢治を知っているとは恐れ入る。
流石は一流の猟犬というべきか。
「まぁ、善処はするよ。汚れた服を着るのはボクも嫌だからね」
「そうしてくれると助かるよ。ドレスとか凝った作りの服はクリーニングが大変なんだ。特に血の染みとか冗談抜きで落ちないし」
「大丈夫だよ。いつぞやのカレーうどんに比べれば楽勝だから」
「……まだ根に持ってたんだ」
「彩羽に煽られてムキになったことをボクは
地下室に通じるであろう扉から殺気めいた不穏な
「……確かにカレーの染みは強敵だったよ」
それに比べればマフィアの首領なんてクソ雑魚も同然だ。
「ふむ、どうやら手の震えは止まったみたいだね」
その言葉の意味を
そういう気遣いが出来るなら事前に一言くらい告知して欲しかった。
まったく、腹黒サディストの相棒を持つと嫌なサプライズばかりだ。
「うん。ありがとう相棒。おかげで緊張がほぐれたよ」
「うーん、こっちの意図をちゃんと読みとってお礼を言う彩羽はやっぱり可愛いなぁ。チョロかわだよ本当に」
アイビスは緊張感の欠片もない戯言を言いながらハンドサインで私に指示を出す。
『挨拶代わりに鉛玉をブチ込んでやれ』
二発の発砲音の後に聞こえたのは床に落ちる
「うーぬ、鉛の弾丸も中々に
ガリガリと固い何かを
「ケヒヒッ!
扉から出てきたのは、一言で強烈な印象を他者に与えるほど
「ケヒ。さぁ、
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