第4話 ★美少女の手料理が不味いわけない

 ──冷静に考えたら美少女が作るとか人生で初めての経験なのでは?


「いただきまーす」

「はいどうぞ、召し上がれ」


 なんだかんだで腹ペコな私は皿の上でツヤツヤと光沢を放つ小洒落た感じのパスタをフォークで一口分ほど巻き取り、それをヒョイと口に放り込む。


「……見事に秒で食べたわね。警戒心はどーしたの?」


 私の食べる様子を半目でジトーっと見詰めるシグネット。

 警戒心と言われても。


「んー? 美少女の手料理を無闇に警戒するのは失礼だと思って」

「それで万が一にも毒が入ってたらどーすんの。いや、入れないけどさ」

「シグネットは本当に優しいね。安心して前の相棒に『毒味役』をやらされたせいで毒物と薬類にはそれなりの耐性があるんだ」

「安心できる要素が何一つないんだけど……」


 毒味役なら任せて、と喉元まで出かかった言葉を引っ込める。

 その言い方だとあらぬ誤解を招くだろうし。


「それにしてもシグネットは料理が上手いね。私が作る物とは比べ物にならないよ」


 いつの日だったかに北イタリアで食べたボロネーゼとかいうミートソースっぽいやつも美味かったけど、このトマトと魚介類シーフードを使ったパスタもそれと引けを取らないくらい美味しい。


「それはどーも」

「これなら毎日でも食べたいくらいだよ。シグネットと結婚した人は幸せだろうね」

「…………っ」


 プルプルと肩を震わせ何かに堪える素振りを見せるシグネット。


「どうかしたの?」

「何でもない。どーせ無自覚だろうし」

「…………?」


 私は何か気に障る様なことを言ってしまったのだろうか。褒めたつもりだったんだけど。


「ふん。本当に美味しいと思うならもう少し気持ちが顔に出ても良いんじゃないの? あんたのその顔、作った表情にしか見えないんだけど?」

「……作り笑いの自覚はあるよ」

「自覚があるなら少しは……いや、“猟犬”にそれはナンセンスな要求だったわね。今のは忘れて」


 そう言ってシグネットはフォークを手に取り黙々とパスタを口に運ぶ。


 カチャカチャ、と食器フォークの動く音が鮮明に聞こえるほど静かな食事が数分続いたあたりでシグネットがポツリと一言。


「いや、御通夜じゃないんだから何か喋ってよ。静か過ぎて気不味いんだけど」


 と、不満をあらわにした。

 お通夜って。せめて熟年夫婦くらいにはしてほしいかな。


「リクエストがあれば応えるよ」

「リクエストって、そういう話題選びは自分で考えなさいよ……」


 シグネットはふぅ、と短い溜息を吐く。


「野暮なことくけどさ、あの子との生活もこんな感じだったの?」


 野暮なこと。それは何に対して言っているのだろうか。

 まぁ、一応は質問に答えるけど。


「会話は基本的に向こうの方から振ってくるから私から自発的に喋る事はあまり無かったかな。当然仕事以外の時は会話のない時間も多かったし」

「ふーん……って、何その熟年夫婦みたいな寂しい関係。あんた一応は相棒だったんでしょ?」

「相棒というより召使いか下僕、ないし弾除けの方が収まりの良い表現かもしれないかなー」

「アンタ、良くもそんな扱いで相棒と仕事続けられたわね……」


 その辺りに関しては自分でも驚いている。


 二年以上に及ぶアイビスとの共同生活にどこか居心地の良さを覚えていのは、きっと私があの子に何かしらの魅力を感じていたからなのだろう。


「……ねえ、彩羽ってもしかしてマゾなの?」

「少なくともサディストではないよ?」

「いやそれどっちよ? Mなの? Sなの?」

「ふむ、服のサイズはだいたいMだよ。あっ、受け攻めとカプの話ならケースバイケースで臨機応変に対応できるよ?」

「ここぞとばかりにベタなボケをぶっ込んできた!」


 中々にどうして。

 新しい相棒もノリの良い性格らしい。


「ん? ねえ、あんた今顔作らないで笑った?」


 興味津々といった様子で私の顔を覗き込むシグネット。まるで新しい玩具を与えられた子猫の様だ。


「……それはシグネットの勘違いだよ」

「えー、今絶対に素の顔で笑ったし。笑えるなら素直に笑いなさいよね。彩羽みたいな根暗陰キャはクール気取ってもキモいだけだから」

「言葉のナイフが痛すぎる!」


 どうやら彼女はお喋りが好きな性格の様だ。

 端的に言ってこういう明るい性格は『裏の仕事』に向いていない。もちろん良い意味で。


 個人的にシグネットみたいな『良い子』がどういう経緯で裏社会の住人になったのか気になるところだけど……あまり他人の過去を深掘りすると痛い腹の探り合いになりかねないので、私はここらで楽しい雑談を切り上げる事にした。


「ふむ、会話というなら仕事の話があるよね? そろそろ『本題』に入っても良い頃合いじゃないの?」

「ん? あー、そういえばさ」


 私から視線をらしてシグネットは部屋のドアに目をやる。まるで、その話題から逃げているかの様に。


「お風呂の順番と洗濯物の当番ってどんな風にやってたの?」

「…………」


 なに? そのどうでもいい質問。

 そっちの好きにして。

 そうは思ったけど規則ルールを曖昧にすると後々で面倒なことになりかねないので決め事はしっかりとここで確認した方が良さそうだ。


「前の相棒は仕事以外はだらしのない女だったからねー。炊事洗濯は私がやっていたから要望リクエストが有ればなんでも言ってよ」

「……えっ? 嘘でしょ? あの子って自分のした……衣類を他人に洗わせてたの?」


 驚愕の事実に目を丸くするシグネット。その気持ちは私にも理解できる。


「うん。私生活に関しては色々と無頓着だったよ。これは勝手な憶測だけど私を『母親代わり』にしてたんだと思う」

「あ、あー……なるほどね。二人ってそういう関係だったんだ。ふーん」


 シグネットはうんうんとうなずいて何かに納得した様子だった。

 今の会話で一体何が分かったのだろうか。はなはだ疑問だ。


「分かった。自分の洗濯物は自分でやるから掃除と食事だけは当番制の日替わりローテでいい?」

「私に異論はないけど。貴女は良いの?」

「良いって何が?」

「私と一緒に住むこと自体だよ。シグネットに不満は無いの?」

「それは……まぁまぁあるけど。これも任務だから“仕方なく”我慢してあげる」


 おそらくこの同居はハンドラーマグノリアからの指示なんだろう。私を監視するなら距離は近い方が何かと都合が良いだろうし。


「……そう、シグネットも中々に苦労人だね。こんな新婚生活みたいな真似事は年頃の女子には精神的に辛いよね」

「新婚……」

「どうしたの?」

「なんでもない。わざとだったらブッ殺すけどね……」

「…………?」


 もにょもにょと何か小言を呟きながらフォークでパスタを巻くシグネット。フォークの回転が速過ぎるのかパスタが皿の上でバラバラに散らばっていた。


「勘違いしないで欲しいんだけど。あたしがここに住むのはあくまでも仕事であり任務のためなんだからね? そこんとこ間違えないでよ?」

「うん。バッチリ分かってるよ」


 パスタを食べながらシグネットがつらつらと話した内容は私と同居する経緯だった。あ、そこはちゃんと話すんだね。


 やはりというか、同居の目的は私の『監視』にあるらしい。


「監視が目的とはいえ、何もここまでする必要があるとは思えないけどね。そもそもクソ雑魚の私ごときを監視する理由が分からないなぁ」

「…………」


 シグネットは溜息を一つ吐いた。その顔はどこか憂いを感じている様だった。


「……そうよね。今後のためにもそこら辺は曖昧にしないでハッキリと言っておかないと駄目、だよね」


 シグネットは意を決した眼差しで私の目をしっかりと見据えた。


「ぶっちゃけた話、アンタには敵対組織の密偵スパイ容疑がかかっているの。それはあの子、【真紅の翼アイビス】も同様よ。組織の上層部はあんた達を疑ってる」


 私がかつて所属していた私設武装組織、女神の天秤アストライアと敵対する勢力は大小問わず名前を挙げればキリがないほど存在している。


 裏社会を牛耳るかの悪名高い『三大勢力』もしかり。正義をかかげる秘密結社は裏社会の組織から毛虫の如く嫌われている。


 数ある敵対勢力の中でも特筆するべき危険因子は──


「半年前に起こった【世界樹の遺恨ユグドラシル・マター】との抗争はあたしも内部資料で確認したわ」


 世界樹の遺恨ユグドラシル・マター


 半年振りに聞く嫌な名前だ。


「……あの作戦の記録が残ってるの?」

「ええ、組織のデータベースに報告書が何件かあってね。目を通した率直な感想を言うと『酷い内容』だった。作戦で共闘したアメリカ海軍の原子力空母が轟沈。敵組織の拠点に突入した猟犬ハウンド三十名が行方不明の五人を除いてもろとも殉職リタイアしてるとか、こんな報告書は冗談でも笑えないわ」

「…………」

 

 その内容を聞くと嫌なことを思い出す。


『彩羽。キミだけは生きて──』


 その言葉が脳裏をよぎると『あの時』の光景がフラッシュバックする。


 暗雲を切り裂く光の柱。

 紅蓮の炎が燃え盛る海上プラントの戦場。

 猟犬ハウンドの死体で作られた墓標の数々。

 圧倒的な物量で迫り来る自律兵器オートマトンの影。

 満身創痍まんしんそういで敵と対峙する少女の背中。

 氷塊に包まれ闇より黒い海に投げ出される自分の身体。


 無力な自分。二度と思い出したくない光景。

 あの状況下であの子が──アイビスが生き残る確率は限りなくゼロに等しい。


 だけど──


「行方不明者リストの中で生存が確認されている組織アストライアの猟犬は、現時点ではアンタと《真紅の翼》の二人だけ。上層部にはと思われているみたいね」


 それはつまりアイビスがまだどこかで生きている。

 可能性というわずかな希望が残っている。

 あの子にもう一度会える。

 甘い罠にもう一度手を伸ばす。

 そのためなら、私はもう一度組織に戻る事も、権力者の飼い犬になる事だっていとわない。


「ま、密偵スパイじゃなければ組織に戻らずに消息を断つわけないんだけど? ぶっちゃけた話、そこんとこどーなの?」


 まるで女子同士の会話ガールズトークで恋バナでもしている感じの訊き方だった。


 是非を問うならあの作戦に『裏切り者』は確かに存在した。でなければここまでの被害にはならなかっただろう。


「……違うと言ったらシグネットは信じるの?」

「んー、ケースバイケースかな? 個人的に彩羽は無実シロだと思うけどね」

「何を根拠にそうだと?」

「や、こんな間抜けが敵組織の密偵なら仕事が楽で助かるわーって思ったんだけど。ほら、あたしって苦労人の体質みたいだし? 前途多難になりそうだなーって思っただけ」


 半目でニヤニヤと戯けた様子を見せるシグネット。

 その様子と今の会話の裏を読むと、私の思考は必然的にその見解にたどり着く。


「……そう。シグネットの考えは分かったよ」

「えっ? 本当に分かってる?」

「うん。有罪クロんだよね?」

「…………っ」


 キュッと口を閉口して視線をテーブルに落とすシグネット。


 どうやら、私は彼女に気を遣われていたらしい。

 言い淀んで中々『本題』に入らなかったのは私に対する配慮だったみたい。

 やはりシグネットは存外に優しいね。


「……一つだけ確認させて。アイビスは──今も生きているんだよね?」

「……ええ、十中八九でね。二週間ほど前に音楽団ブレーメンから《真紅の翼》の目撃情報が入ったの。しかも高い報酬金ギャランティの請求付きでね」

「……情報元ソースが秘匿情報の売買を生業なりわいにしている『尻尾の無い音楽団ブレーメン』からとなると、その情報は信憑性が高いね」


 情報元が他でも無いあの組織なら悪い意味でもそれは信用できる。

 これでアイビスの生存はほぼ確定した。

 その情報が分かると無意識のうちに自分の全身が小刻みに震えていた。

 その震えは果たして歓喜か恐怖か。こればかりは自分でもよく分からない。


「ねえ、彩羽。一つ、あたしからも確認……ううん、最終確認させて」


 そんな断りを入れてシグネットは私に今更な確認を取る。


「売り文句でああは言ったけど……本気であの子に、アイビスに会いたい?」

「うん」

「本当に?」

「もちろんだよ」

「もしも、もしもよ? 仮にその先に辛い事が待っていたとしても?」

「その時は覚悟を決めるよ」


 自分でも驚くくらいすんなりと言葉が出た。

 言って『その事』に気付く。

 ああ、そうか。

 私はそこまであの子のことを想っていたのか。

 言葉に出してようやく確信が持てた。


「……分かった。これ以上の問答はそれこそ野暮なことね」


 一息つき両手を上げ天井に向かって「ん〜」と大きく伸びるシグネットはどこか日向ぼっこを楽しむ猫の様に見えた。


「そうと決まればぜんは急げね。明日からはめちゃくちゃ忙しくなるから今夜はうーんと英気を養わないとね」


 そう言ってシグネットは皿の上に盛ってあるパスタを巻き取りピタリと静止する。


「むう……このペスカトーレ、ちょっとスープが多かったか。時間が経ってパスタがふにゃふにゃになってる」


 時間が経ってふやけてしまったパスタをすすりながら私はふと思う。


 このパスタ、ペスカトーレって言うんだ。私もなんだかんだで女子力が低いからこういうお洒落な料理は勉強になるなぁ。昔の相棒には私の料理は『男飯』って言われてたし。


「まるで今の彩羽みたいね。あむっ」


 ふむ、その一言は余計だよ。

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