あるいは腐りゆく秋刀魚

金沢出流

あるいは腐りゆく秋刀魚

 秋刀魚は嫌いだ。でもかつては好きだった。


 幼少期、父を除いた家族三人でよく、スーパーマッケットへ買い物にでかけた。実母、実兄、そして末っ子であるちいさなボクの三人である。


 二つ上の実兄は魚が好きだった。特に秋刀魚をよく好み、スーパーマーケットに赴けば必ずと言っていいほど実母に秋刀魚を強請った。刀を連想させるその姿に魅入られていたのか、あるいは味そのモノが好みだったのか、その理由は未だ判然とせず、大人になって実兄と言葉交わす機会のほとんどない今のボクにとっては知る由もないがなんにせよ、理由の如何なく、当時の兄が秋刀魚を好んでいたのは間違いのないことだ。


 実兄の要望に満足した実母は喜んで秋刀魚を食卓へと頻繁に並べた。

 生意気で実母にとっての食育思想にそぐわないボクの後述するような希望より、実母の理想に沿った実兄の要望を優先するのは実母にとっては当然のことで、実母はそのことを差別的な扱いとすら思っていなかったようにおもう。


 当時、小学二年生であったちいさなボクは年相応にお菓子を強請った。しかし、実母はボクの望むようなお菓子を買ってくれたことは一度もなかった、これはなんというのだろうか、2010年頃に流行ったロハスをさらに先駆けたなんらかの思想にハマっていたのか、あるいは病気がちで虚弱であった当時のボクを想ったがゆえにボクの望むようなグミや、チョコレートや、キャンディなどのお菓子を買い与えるのは健康を害すとでも考えていたのだろう。

 そのような家庭環境であった当時、得られる甘味といえば多種多様な果物くらいのモノであった。今のボクからしたら贅沢なモノだ。大人になったボクには果物は値が高く、頻繁に買えるモノではなくなっていた。とはいえさして好んで食すモノでもなかったのだが。

 とはいえ一部の、フランス原産で主に日本の新潟県において栽培されている洋梨、ル・レクチエのような、甘美な薫りを持つ果物は例外に好んで食す。中にも毎年、ル・レクチエの南関東での流通が始まる十一月が近づくにつれ、大人のボクはそわそわとし出す。これは大人となったボクの特権だ。


 グミや、チョコレートの代わりに差し出されるお菓子はアーモンドフィッシュや、チーズおかき、南部せんべいなどといった、映えない、地味でかつちいさなボクの好みでないお菓子を購入されてしまう。

 しかし、現代の若者の間ではこのようなお菓子をSNS上に露出させているのをよく見かけるようになったのは皮肉に感じる。老いたモノだ。

 また、実母に対して夏場などにアイスクリームを強請っても、ボクのたべたくてしようのないハーゲンダッツなんてもってのほかで、明治エッセルスーパーカップさえ買ってはもらえなかった。実母にとってのボクに与えるアイスの選択肢はあずきバーだけなのであった。


 ちいさなボクの望むようなお菓子を存分に与えてくれる存在は、木全くんという無二の友人の母や、近所の実母方の祖母の家に下宿していた従兄弟だけであった。


 友人の家で振る舞われるボク好みのお菓子を食べ散らかすボクを、友人の母はどのような想いでみていたのだろう。木全くんの家で食す、明治やブルボンのお菓子などは実母から与えられるお菓子と比べたら、もう、ボクのお菓子の好みの後戻りなどできようはずがなかった。


 友人の母の瞳にはいつだってボクに対しての慈愛が満ちていたように思える。テーブルの上にあらかじめ備えられたお菓子がなくなると、甲斐甲斐しく、新しい別のボク好みのお菓子を出してくれていた。どうにも妙に気の利く妙齢の美しい女性であった。


 時をすこし遡る。さらにちいさなボクはどこへいっても女の子であると勘違いを引き起こした。男児であると判明してからもまた半分女の子のように扱われた。保育園当時に戦隊モノのヒーローごっこをすれば半自動的にピンク役に選出されていたし、ただひとり男児として女の子の輪に混じってセーラームーンごっこをすれば、なんだかよくわからないネコの役を押し付けられた。


 時を戻そう。

 小学生二年生になったちいさなボクの身丈は同年代に比べてかなり低身長であって、小学校の全校集会で前習えをしたことがなかったほどだ。

 前に習うニンゲンの存在しないというのは、ちいさなボクに孤独感を感じさせていた。

 もちろん孤独なんていう言葉も知らない頃のことなのだから、言葉にできないもやもやをいつも抱えて生きていた。

 ちいさなボクのヘアスタイルは女の子然と長く伸びていた。それは実母が美容師でもあるのにも関わらず、ボクの髪の手入れに無関心であったが故にそうなっていたのだろうか?今になってもよくわからない、ちいさなボクは美容院を複数経営する叔父のところで散髪をしていた。

 叔父はキミには長髪が似合うね、といつも言っていたが、ちいさなボクにはよくわからなかった。


 先の友人の母からも、初めて遭遇した当初は女の子だと勘違いされた。そのことが妙に優しく接してくれる理由の一つだったのだろうか。結局、彼女の優しさがなにからくるものか真相は今も判らず仕舞いだ。


 祖母の家は今は亡い。

 かつて日吉の綱島街道沿いに家屋兼、縫製職房兼、コインランドリーを併設した三階建の祖母の家は日吉駅から隣町、元住吉方向へ向かったところに存したが、2000年代後半にあった日吉駅周辺の綱島街道の拡張工事に伴って、自治体に退去を迫られ、消えてしまった。ちいさなボクのタカラモノだったのに。

 今思えば日吉の地下鉄建設のためにその土地が必要だったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。この一件はいまも、誰を恨めばいいのかもわからない不条理としてボクの無意識に刻まれているようにおもう。

 二階の開かずの扉を開けたら、いきなり外だったりする家だ。床も壁もなく、ベランダでももちろんなく、そのまま二階から地面まで叩きつけられるところだった。

 わけのわからないおもしろい家だ。ちいさなボクの気にいるのには時間はかからなかった。どのような目的のためにあのような家の構造をしていたのか、もう知りようのないことだが、増築前提の設計の家だ。たぶん。そうでなきゃあの扉はおかしい。


 そんな祖母の家に下宿し、法政大学の理系学部に通う従兄弟からもよく、ボク好みのお菓子を差し出された。

 よく考えてみればボク好みというより、ふつうのこどもにとって好みで当たり前であるお菓子であるのだが、ボクはその常識すらも知らなかったのでよろこんで食した。

 祖母の家を尋ねるのはたのしいことだった。祖母が愛飲しているリポビタンDを際限なく差し出されることを特に好ましく思っていた。


 とある日のスーパーマーケットからの帰り道、いつものように実母と実兄とともに帰路についていた、先をゆく実母と実兄に後ろからとくとくとヒヨコのようについていき、横断歩道のない車道を横断した瞬間、ボクの意識はそこで途絶えた。

 意識を取り戻した時には視線の先に大型のバイクが転がる様が見え、次に激しい痛みに襲われ、ちいさなボクは悶絶した。霞んだ視界に映るは黒いバイク、今思えばあれはカワサキ?あるいはヤマハのバイクだろうか、損傷はなさそうだ、バイクの主の姿はなかったようにおもう。

 痛みに耐えながらかろうじて周囲を見渡すも、実母の姿も実兄の姿もみえなかった。


 のちに聞いた話によると実兄はボクをおいて、秋刀魚が腐るからと、事故に遭遇したボクを置いて、自宅への帰路に走ったらしい。実母は周囲を見渡して、倒れるボクと、そこに既に存在しなくなっていた実兄とを天秤にかけ、実兄の後を追ったのだ。

 のちに知ったことだがボクを轢いたバイクの主はミスタードーナツというドーナツ店で働く、慶應義塾大学の学生であった。

 後日、菓子折りを持って我が家に訪れた彼から提示される慰謝料の受け取りを母は辞退し、それにどうも拘っていた。


 ちいさなボクの左顔面はアスファルトに強く擦り付けられズタズタになった。顔の半分をおおきなガーゼで覆い隠され、顎はすこし右に曲がった。慰謝料の提示を突っぱねて穏便に済まそうとする実母を見るボクの表情は、この世の誰も観測することはなかった。


 その後、回復したボクが学校に復学してからしばらくして気付いたことだが、ボクは九九の計算ができなくなっていた。

 九九を覚えるあの歌を覚えなくたって即座に答えを即答できていたのに、なぜか復学後のボクは九九の問題に答えることに悪戦苦闘するようになってしまった。


 これはエゴであるが、読者諸賢にひとつの問いを投げかけたい。


「母はボクを愛しているのだろうか?」とちいさなボクはスーパーマーケットからの帰り道、ボクが轢かれたあの横断歩道のない車道で、だれにも聞こえない叫びをあげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あるいは腐りゆく秋刀魚 金沢出流 @KANZAWA-izuru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ