第7話 その、雪の叛乱は……(後)2/3






 しばらくしたのち、ドイツ大使館。


 先日のように、サシャやノルベルト、その他大使館スタッフが玄関ホールに集まっている前で、祥太郎は、山崎から聞いた話をしていた。


「……つまり、この大使館周辺も、危険だということです」

「じゃあ、僕らはどうすればいいんだ?」


 親衛隊の制服姿のサシャが、祥太郎に問うた。サシャには珍しく、その声に不安そうな揺れが感じられた。


「急いでここから避難してくれ」


 ノルベルトは呑み込みが早かった。


「分かった。木下君、ありがとう。実は、他の政府関係者からも、避難の要請は出ていたんだが……包囲軍と直に話してきたという君の言葉の説得力には脱帽するよ。佐川、市内のホテルをあたってくれ。とれる部屋はすべてとるんだ」

「はい!」

「私は、大使と武官に、このことを報告してくる」


 そう言って、ノルベルトは佐川とともに玄関ホールの階段を上がっていき、他の大使館スタッフたちも慌てて散っていった。


 サシャと祥太郎が、冷え冷えとしたホールに取り残された。サシャが、口を開いた。


「……一高は、変わりないか?」

「ああ、何しろ全寮制だからな。こんなときでもいつも通りさ」

「何よりだ」

「皆、サシャのことを心配してるぞ。田原も鴨井も仁川も……」


 それを聞いたサシャは、照れ隠しのように、制帽の庇を目深に下ろした。

 そんなサシャに、祥太郎が感心したように言った。


「……サシャは、スタイルが良いんだな」


 サシャが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「いきなりなんだ、祥太郎……」

「良く似合ってるよ、その制服。まるでオーダーメイドしたみたいだな」

「…………たまたまだ。父のお下がりさ」

「……その鉤十字だけは、なんとなく慣れないんだけどさ」


 しばらくすると、佐川を従えたノルベルトが階段を降りて来て、サシャを呼んだ。


「サシャ、ちょっとこちらへ来い」

「は、はい……?」


 ホールの端で、ノルベルトはサシャに耳打ちするように話しだした。


「サシャ、済まん。大使館員のホテルはおおかた抑えられたが、お前の部屋まで確保する余裕がなかった」

「えっ……」

「だからお前は、事件がおさまるまでは、一高の寮を借りるんだ」

「え……寮に寝泊まり……ですか?」

「嫌なのか?」

「い、嫌と言うわけではありませんが……」

「心配することはないだろう。お前なら寝込みを襲われても対処できるはずだ」

「それはそうですが……」

「私だって、いい歳をした娘と同じ部屋で夜を明かすというのも気が引ける」

「ぼ、僕は構いませんが……」

「バカ者、私が困るのだ。さあ、急いで泊まりの準備をしろ。佐川に車を用意させるから、木下君と一緒に一高へ行ってこい」





 *





 いつものシャツにネクタイ姿の制服に着替えたサシャは、佐川の運転するベンツで、祥太郎と共に一高にたどり着いた。


「いやあ、何だかわくわくするな! サシャがうちの寮に泊まるなんてさ!」


 旅行気分のようにはしゃいでいる祥太郎に、サシャはぼそりと言った。


「……世話になる」


 祥太郎はサシャを連れて、寮総代の三年生がいる部屋に行った。


「……ということで、しばらく、サシャの寮泊の許可をお願いします。先生方には、すでに電話で了承を頂いています」


 寮総代はうなずいた。


「事情は分かった。個室が一つ空いているので、そこを使え」

「ありがとうございます」


 寮総代は、サシャの顔をまじまじと見つめて言った。


「……一つ確認しておきたい。サシャ・フランベルグは、男ということで間違いないんだな?」


 サシャが、むっとしたような様子で、口調も硬く答えた。


「……間違いありませんが、それが何か?」

「い、いや……」


 サシャの威圧感に、たじたじになってしまった三年総代に頭を下げた祥太郎は、サシャを引っ張って部屋へ急いだのだった。そこは、六畳の畳に文机というシンプルな座敷の部屋だった。


「ここだ。ここを使ってくれ」

「……分かった」


 サシャはブーツを脱いで座敷に上がり、机の上にボストンバッグを置いて、中身を出し始めた。


 着替えやタオルなどが出されたあとに、ごとん、と重々しい音がした。机の上に、中身の入った拳銃吊りホルスターが置かれた音だった。


 祥太郎が、思わず覗き込むようにしてサシャに聞いた。


「それ……本物の銃か?」

「ああ……すまない。びっくりさせてしまったな」

「いったい、それは……」

「護身用だ。僕だって、これでも一応、ドイツの要人だ」

「そっか。そうだよな……じゃあ、困ったことがあったら、いつでも俺たちの部屋に来てくれ。また、夕飯の時間に来るからな」

「ああ」


 祥太郎は、自分の部屋に戻った。すると、寝っ転がって駄弁っていた仁川と鴨井が、意外だとばかりの顔を上げた。


 仁川が口を開いた。


「なんだ木下、戻ってきたのか?」

「え?」

「え、じゃないだろう。サシャを一人にするのか?」

「え……でも……サシャ自身は、決起軍に狙われているわけでもないんだぞ?」


 銃だって持ってるんだぞ、という言葉を、祥太郎は飲み込んだ。


「かもしれないけど、なんだかんだ言っても、慣れないところでサシャも不安だろうから、一緒にいてやれよ」

「だったら、俺より田原とかのほうが心強いだろう?」

「田原は……その……なんだ、いかつすぎるだろ?」


 鴨井も、仁川に同調した。


「男同士なんだし、そもそもご学友なんだし、一緒の部屋で過ごしても問題ないんじゃないか? いい機会だし」


 そこまで言われると、ご学友としては、サシャの慣れない寮生活の一晩に、責任を感じないでもなかった。


 祥太郎は、サシャのいる部屋へ再び顔を出した。サシャは、正月に祥太郎の家でしていたように、座布団にあぐらをかきながら、ルガーP8の銃身を布で磨いていた。


「どうしたんだ? 祥太郎……」

「いや……仁川たちがさ、サシャも慣れないだろうから、俺も同じ部屋に泊まったほうがいいんじゃないかって言ってさ。でも、拳銃もあるんだったら、さすがにその必要はないよな……?」


 サシャはしばらく祥太郎の顔を見つめていたが、やがて目を伏せるようにして言った。


「……好きにしろ」

「分かった。布団持ってくる!」





 *





 サシャと祥太郎は、食堂での夕食を終えた。


 部屋に戻った二人。サシャは、ネクタイだけ外して、そのまま布団に入り込んだ。


「風呂には行かないのか? 大浴場があるぞ」

「……いい。一日二日入らなくても、死にやしない」

「そっか」


 祥太郎も、寝間着のどてらに着替えて、自分の布団に潜り込んだ。


「寝るにはまだ早いだろう? ちょっと駄弁ろうぜ」

「……何を話すんだ?」

「いろいろ、聞きたいことがあってさ」

「ふん。何だ?」

「一高には慣れたか?」

「慣れた」

「皆のこと、どう思う?」

「……悪い奴らじゃない」

「俺のことは?」

「……祥太郎もだ」

「そりゃ嬉しいな」


 祥太郎が微笑むのを、サシャはぼんやりと見ていた。

 そんなサシャに、祥太郎は、日頃の疑問をぶつけようと思った。


「それはそうと……サシャは、酒、好きなんだな?」

「……別に、好きというわけじゃない」

「酔った時のこと、覚えてるか?」

「別に……覚えてない」


 素っ気なく答えたサシャに、祥太郎はめげずに言葉を続ける。


「……じゃあ、逆は?」

「逆?」

「酔っているときに、酔っていないときのことは覚えてるんだろ?」

「どうしてそうだと?」

「たとえば、正月に遊びに来たとき、お屠蘇が回った状態で、『留学してきたばかりのころは心細かった』とか、他にも学校での様子をいろいろと語ってたじゃないか」


 サシャは寝ころんだまま天井を見て黙っていたが、しばらくたって言った。


「……その通りだ。覚えてる」

「なんだ、じゃあ、酔ったときのことも覚えてるってことじゃないか?」

「はあ?」

 

 サシャが、眉をひそめて、祥太郎のほうに眼を向けた。


「酔ったときに、酔ってないときの記憶があるとはっきり言えるってことは、それはすなわち酔ったときそのものの記憶があるってこと……じゃないか?」

「…………」

「もしかして、サシャは……」

「何だ?」

「酔っていないときに中々出せない自分を、酔っているときに解放させているような……そんな気がするんだ」

「もうやめてくれ。不愉快だ」

「……」


 サシャがいらついたような声を上げたので、祥太郎は何も言えなくなってしまった。

 

 しかし、その沈黙を、サシャの方が破った。


「……一つ聞きたい。酒を飲んだときの僕は、いつもと違う感じなのか?」

「そうだな、何というか……女の子っぽくなってるぞ」


 サシャは、しばらく口を半開きにしていたが、やがて口をぱくぱくさせて、いきなり頭まで掛布団を被ってしまった。


「今後は、酒は控えることにする」

「そ、そんなこと言うなよ……」

「もう寝るぞ。明かりを消してくれ」


 祥太郎は仕方なく、布団から立ち上がり、電灯のスイッチをひねった。





 

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