第8話 その、春のデートは……2/3
祥太郎たちは、銀座四丁目交差点から、新橋方面に向かうことにした。
学生マントを翻し、学帽の二本の白線と柏葉章を輝かせる一高生と、金髪碧眼の白人青年が連れ立って歩いているのを見た往来の人々からの視線は多かった。
「銀座はな、
「へえ。分かりやすいな」
祥太郎のうんちくに、サシャは素直に頷いた。
銀座通りは、どの店も通りに面して磨き上げられたショウウィンドウがあり、高そうな靴やら鞄やら洋服やらが、その中で道行く人々に買ってくれと言わんばかりに輝いていた。
ふと、サシャが、あるショウウィンドウの前で足を止めた。
二、三歩行き過ぎた祥太郎が戻ってみると、サシャは、婚礼用のモーニングとウエディングドレスを着たマネキンを見ていた。
「サシャなら、きっと似合うぜ」
「あ……ああ。いいモーニングだな」
「え?」
「え?」
「いや、サシャならモーニングもだけど、ドレスのほうも似合うんじゃないか?」
祥太郎がにやにやしながら言い、サシャは顔を赤くした。
「なっ……僕がドレスなんか、着るわけないだろう!」
「なんだよ、冗談だよ」
「まったく……僕を何だと思ってるんだ……」
「いや……だって、すごく似合ってたじゃないか、あのメイド服だって……」
「……頼むから、あのことはもう忘れてくれ!」
そんな掛け合いをしながらショウウィンドウをひやかしているうちに、二人は新橋辺りまで歩いて来ていた。
祥太郎が口を開いた。
「そろそろ腹減ったな。昼飯にしようぜ。何か食いたいものはあるか?」
「別に、何でも」
「じゃあ、洋食としゃれこもうか」
祥太郎は、銀座八丁目の『資生堂パーラー』にサシャを連れて入った。案内されたテーブルにつき、二人はしばらくメニューを眺めていた。
「サシャ、決まったか?」
「祥太郎は?」
「俺は、だんぜんミートクロケットだよ」
「クロケット? ……ああ、コロッケか」
「そうそう。資生堂のコロッケは最高なんだ。これにチキンライスとコンソメスープがつけば、もう言うことはない」
「じゃ、僕もそれで」
白い制服のボーイに注文をすると、やがて、料理が運ばれてきた。
搾りたての絵の具のように赤く輝くトマトソースに、二つ浮かんだ熱々のコロッケ。
燦然とした黄金色に透き通り、湯気を上げているコンソメスープ。
一高の食堂ではまずお目にかかれないようなご馳走に、祥太郎はもちろん、大使館暮らしで舌の肥えているサシャも、一言も発さずに舌鼓を打った。
食後のバニラアイスクリームが、暖まった身体にはまたたまらず、ひんやりと甘く染み込んでいくようだった。
やがてランチを終えた二人は、資生堂パーラーを出ることにした。ちなみに勘定は、きちんと割り勘して出てきていた。
「ふう、腹一杯だな」
「ああ、美味かった」
その後も祥太郎とサシャは、鳩居堂文具店や刀剣屋などを覗いたりした。
鳩居堂では、ガラスケース内にずらりと並ぶ万年筆を、祥太郎は食い入るように見つめていた。そんな祥太郎の様子を見たサシャが口を開いた。
「万年筆が欲しいのか?」
「いや、もう持ってるんだけど……一高の合格祝いの時に買ってもらったもんだから、だいぶガタが来ちゃって……まあ、まだ使えるからいいんだけどさ」
「ふうん」
「そういえば、サシャの万年筆って、どんなやつなんだ?」
「これだ」
サシャは、胸ポケットから、茶褐色に艶やかに光る万年筆を取り出した。
「綺麗だな」
「ああ。モンブラン社製だ」
「モンブランか」
「知ってるのか?」
「すまん、知らなかった」
少し陽が傾いてきたので、二人は銀座を後にした。
宮城をお濠沿いに時計回りに歩いた二人は、千鳥ヶ淵にやってきた。水面に浮かぶ鴨を見ながら、二人は静かに駄弁り始めた。
「ところでさ、サシャ」
「なんだ?」
「サシャの留学期間って……いつまでなんだ?」
「……僕にも分からない。この様子だと、まだしばらくは続きそうだが……」
「なら良かった。……もしかしたら、一緒に卒業できたりするかもな」
「……そうだな」
祥太郎が歯を見せて笑ったのを見て、サシャも微笑を返していた。
夕方の冷たい風が吹いてきたので、二人はドイツ大使館に戻ることにした。
その帰路で、祥太郎は口を開いた。
「いやあ、今日は楽しかったな。まるでデートだったな!」
サシャが、ぎょっとしたように祥太郎を見て、また慌てて眼を逸らした。
「ふん、デート……か」
「あ……もしかして、嫌だったか?」
「いや……悪くない」
祥太郎とサシャの、一高生最後の春休みは、そうして過ぎていった。
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