第8話 その、春のデートは……3/3
大使館に帰ったサシャを、佐川執事が部屋で迎えた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。デートはいかがでしたかな?」
サシャは、デートという単語に、ぴくりと身体を震わせた。
「デートじゃない。まったく、どいつもこいつも」
「まあ、似たようなものではありませんか」
「……任務だ」
「でも、楽しかったのでしょう?」
「…………」
「あまり、任務任務と言って、ご自分を絞め付け過ぎないようにしたほうがよろしいのでは?」
「……僕がここにいるのは、独日防共協定のためだ」
サシャはベッドにうつ伏せに倒れ込み、枕に顔をうずめた。
「では、協定が締結されれば、もう何も思い残すことなくドイツに帰ることができる、ということですな?」
「…………」
「おや、何か思うところでもありそうですな?」
「……別に、何もない」
「本当に?」
「何もないと言っているだろう」
「そうは見えませんが?」
佐川がそこまで言ったとき、サシャが声を荒げた。
「どの道、無理な話なんだよ!」
「無理、とは?」
「それは…………」
「何がどの道無理なのですか?」
「……大声を出して悪かった」
「悪かったとおっしゃるなら、何が無理なのかを教えて頂きたいですな」
「僕をいじめるなよ」
「いじめてなどおりません。吐き出しておかないと、後で取り返しがつかなくなるということもあります」
サシャは、枕にうずめていた顔を、少しだけ上げて言った。
「……アーリア人は、アーリア人としか結ばれない。そう言うことだ」
「それはまた……予想以上に思い詰めていらっしゃいますな」
「……勘違いするな。僕はただ、ナチスの一般原則を述べただけだ」
サシャがいいわけのように言ったが、佐川は取り合わなかった。
「対等な友達……というだけでは、収まらなくなってしまったのですね? ナチスの枷というのは、誠に罪なものですな」
それを聞いたサシャが、憤りの色を浮かべて佐川を見た。
「お前は……自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
「私めが忠誠を誓っているのはフランベルグ家です。ナチス第三帝国ではありません」
「同義だと思ってほしいものだな」
「たとえ両者の利害が不一致に陥った場合は、私は迷いなくフランベルグ家と一蓮托生となる道を選びます。いち執事として」
「……そうなることは万が一にもあり得ない」
「人生、何が起こるかは分かりませんよ」
「人生……か」
「ええ」
サシャはしばらく黙っていたが、やがて大きく息をついて、吹っ切ったように話し始めた。
「僕の人生は……恵まれすぎていたのかもしれない。捨て子の境遇が、今や親衛隊将校だ。見える世界が、大きく変わりすぎたんだ……。だからこそ……やはり僕は、我がままには生きられない」
「お嬢様……」
「義父と親衛隊からの期待こそ、僕を僕たらしめている」
「だから申し上げているのです。取り返しがつかないことになるかもしれない、と」
「どうしてだ。何が言いたいんだ?」
「……いずれ、分かるでしょう」
思わせぶりに言った佐川が、言葉を続ける。
「ときに……新年度から当大使館に来られるという方についてですが……」
「新しいスタッフのことか。もう来ているのか?」
「まだこの館の受け入れ準備が終わっていないのでホテル住まいをされていますが、今日、挨拶に来られていましたよ。お嬢様がデートなさっている間に」
「何だと? どんなやつなんだ?」
「武官付の見習いのような方だそうですが、お嬢様と同年代の好青年でしたよ」
「武官付……だと?」
「お嬢様に……いえ、サシャ・フランベルグ親衛隊少尉にお会いできないのを、残念そうにしておられました」
「ふん……残念そうに……か」
「…………まあ、またそのうちお顔を合わせることになるでしょう」
「だろうな」
サシャは、興味もなさそうに言った。
佐川は嘆息した。強がっていても、サシャはやはりお嬢様だ……と。
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