第32話
敗戦から四日後。
「
炎天下の土曜日、俺は着ぐるみの中にいた。目の前では、初老に入っている眼鏡をかけたおじさん――
「いや、着ぐるみに着こなすもなにもないと思いますけど」
「いやいや。
そんな話をしている間にも悪ガキが、俺の――気象庁のマスコットキャラクターである『はれるん』の足を蹴り飛ばした。
「痛っ!」
「あはははは」と高笑いを残して悪ガキは逃げていく。なんてガキだ。
「なんか、懐かしいっすね」ひとの不幸をどこか嬉しそうに見る石本さん。「やっぱりあれっすね。自分のしたことは自分にかえってくるとですね」
「いや、まあ確かに因果応報と言われれば受け入れるしかないんですけどね……」
石本さんと俺の出会いは十年前までさかのぼる。小学一年生の頃、自由研究のため親に連れられ、気象台が開催する『お天気フェア』というイベントを訪れた俺は、『はれるん』に扮した石本さんを蹴り飛ばして、親に叱られて石本さんに謝罪したことがある。以来『お天気フェア』に参加しては、毎回のように『はれるん』に扮している石本さんと話すようになり、いつの間にか親しくなった。
写真撮影に応じたり、会場案内をしたりとそれなりにせわしく働いていると、すぐに十三時になった。昼休憩に入る。
着ぐるみを脱ぎ一息ついて冷静になると、俺はいまなにをしているんだろうという考えにとらわれる。考えたら負けだということはわかっているのだが、今日は高校野球福岡県予選の決勝戦が行われる日なのだ。決勝カードは
「お疲れ様ー。これ、
「ありがとう」
受け取って、俺はブースの裏で弁当を広げる。食べ始める前に、スマホを確認する。と、ちょうどチャットアプリの通知が来た。
野球部一年のグループ。
『試合開始』『春日白水先発
今日練習は休みで、河野は北九州に観戦に行っている。俺が「試合中継を頼む」と言ったのを受けて、律儀に実行してくれているらしい。さてどう結果が転ぶかな、と思いながら画面を暗くして、弁当を食べる前におしぼりで手を拭く。すると新たに、通知が来た。
『
続いてほとんど間を置くことなく柚樹からもう一件。
『これ、どういう顔?』
なんだ?
すぐにアプリを開いて写真を見てみる。すると、昨日の練習中の写真が共有されていた。ノックを受ける稜人の姿が映っている。顔に注目してみると、なるほど、なぜかはわからないが口が半開きでとてもひょうきんな顔をしている。
『あ、昨日あたしが撮っちゃったやつだ』と清水さん。
そういえば、中学生向けの学校紹介のために使うとかで、広報用の写真を昨日撮っていたな。
『真面目にやれ、
河野からの反応に対し、『やってるよ!』と反論する
俺も発言する。『まじかっけー』
『殺す』
物騒だな。俺にだけ遠慮がない。
しかし……。
やはり、小南からだけは反応がない。
ここ最近、ずっとだ。こうしてチャットアプリ上でも、直接顔を合わせての会話上でも話を振ってみるが、小南からの反応は鈍い。
「おお、こんなとこおったですか。お疲れ様です、大森さん」
「あ、どうも。石本さん」
「なんかですね。大森さんの知り合いの子が来とるですよ」
「知り合い?」
「はい」
かわいい子っすね、と石本さんは余計な一言を小声で告げてから、「あ、大森さん、おったですよー」と呼びかける。
足音が近づいてくる。顔を見せると、少し照れ臭そうに彼女は言った。
「あ、こんにちは」
吉田さんだ。
微笑む吉田さんの顔に、一瞬見惚れてしまう。裾のところで広がっている紺色のデニムに、ゆるっとした白のTシャツという出で立ち。なんとなくお淑やかなイメージがあったけれど、こういうカジュアルな服装も良く似合っている。
くすっと吉田さんが笑う。
なんだろう、と思ったけれど、すぐに気づく。頭から下はまだ、俺の格好は着ぐるみのままだ。俺が自分の体を見下ろすと、吉田さんは慌てたように言った。
「あ、ごめんなさい。大森くんがかわいい格好してたから、つい笑っちゃって」
「や、それは別にいいけど……。なんでここに?」
「ええと、本当は学校で話したかったんです。だけど、夏休みだしなかなか機会がなくって。それで、
そう言ってにっこりと笑う吉田さん。
俺に話? その内容も気になるところだけど。
「ふうん、でも、それならちょうどよかった。そういえば俺も、吉田さんに言っとかなきゃならないことがあったから」
「え、私に、ですか? えっと、なんですか?」
「いや、吉田さんからでいいけど……」
「いえ! 大森くんからお願いします」
やや食い気味で言われた。よほど話しにくい内容なのだろうか。それなら。
「じゃあ、わかった」
「はい」とまじまじと俺の顔を見てくる吉田さん。これはこれで切り出しづらくなるな。
俺が口を開こうとすると、「寿々春くーん。私も休憩もらったー。一緒にお昼食べよ」と香澄ちゃんがブースの裏側にやってきた。
「あれ?」と当然ながら彼女は吉田さんに気づく。「えーと」吉田さんと俺を交互に見比べながら言う。「寿々春くんのかの……じゃなくて知り合い?」
気まずくなりそうな発言をするところだったが、ぎりぎりで踏みとどまったな、香澄ちゃん。このあたりは父親と違う。「違う」というか、「もともと受け継いではいるけれど、父親を反面教師に矯正した」が正しいのだろう。
俺はうなずく。「うん。吉田楓さん。中学と、それから高校も一緒」
「へえ。そうなの。私、石本香澄です。よろしくね、楓ちゃん」
「は、はい。よろしくお願いします。香澄さん」と吉田さんは頭を下げる。
「にしても、よく考えたら寿々春くんの友達に会うのって初めてだね」
「それはお互い様。俺だって香澄ちゃんの友達なんかひとりも知らない」
「まあ、そうなんだけどさ」
香澄ちゃんと俺の会話に吉田さんが口をはさむ。
「あの、二人はどういう関係なんですか?」
香澄ちゃんと俺は顔を見合わせる。
「そう言われると、なんなんだろうな。知り合い、っていうのじゃちょっと遠い気がするし」と俺。
「うーん。いちばん近いのは、いとこかな」
「あー、なるほど」
言い得て妙だ。
「近いってことは、本当のいとこではないんですよね?」
「もちろん」
「じゃあ、えっと……その」
言いにくそうにする吉田さん。
「友達以上、みたいな?」
吉田さんのその言葉を受けて、香澄ちゃんが吹き出した。
「あははっ。違う違う」
俺が補足説明に回る。
「いとこみたいっていうのは、年に一、二回しか会わないからってだけだよ。でも、それだからって、十年来の馴染みが『ただの知り合い』になるのも、どこか薄情だろ?」
「あっ。……そういうことですか」
どこか恥じ入るように吉田さんんは顔をうつむける。
「それで、なんで楓ちゃんは、こんな子どもの自由研究にしか役に立たないようなとこに?」
父親の仕事を散々だな。俺がいなかったら、いまごろこの着ぐるみは父親が着てたんだぞ? ちなみに十年前、『はれるん』に扮した石本さんに、「お父さん、口から顔見えてる。気持ち悪い」と言ってのけ、実父の心を折ったのがこの香澄ちゃんだ。
「えーとですね……」と言い淀む吉田さん。
俺は言った。
「学校で話しにくいことがあったから、俺が呼んだんだ。本当はお天気フェアが終わってからのはずだったんだけど、悪い、俺が時間をちゃんと伝えてなかったせいだな」
「ふうん」香澄ちゃんはにやっとして、「寿々春くんも隅に置けないじゃん」とからかおうとしてくる。
しかしそれを、「いえ!」と吉田さんが強い語気で制止した。
「本当は、私が押し掛けたんです。どうしても、大森くんに伝えておきたいことがあったので」
きょとんとして香澄ちゃんは吉田さんを見ると、「ふうん、そっか」とつぶやいた。そして、優し気な表情を見せる。
「やっぱり、私、外すね。さすがにこの場にいられるほどの度胸ないし」
「いいひとですね」
「見た目によらないよな」
「見た目もいい子ですよ」
ちょっと笑ってしまう。
俺のほうが香澄ちゃんとの付き合いは長いんだけどな。
また二人きりになってそんな会話を交わす。まあ、まだ俺の首から下は着ぐるみなのだが。
「失礼ですけど、意外と大森くんって女の子の友達が多いんですね。柊とか、
「ほんとに失礼だな。……でもどうだろ、あと思いつくのは清水さんくらいだし、そうでもないんじゃないか? 実際、学校の女子生徒の九割九分は、俺がこの世にいることも知らないはずだぞ」
うーん。女子ではそれ以外に思いつかない。同級生だった当時ならまだしも、同窓生の中でいまだにふつうに話せるのは柊くらいだろうし……高校で新たに知り合ったのはそれこそ松橋さんと吉田さん、清水さんくらいだ。強いて言えば
「それにしても、その」
「ん?」
吉田さんは少し顔色をうかがうようなそぶりを見せて言った。
「ちょっと安心しました。思ったより元気そうで」
「ああ」俺のせいで試合に負けたことを言っているのだろう。「凹んでないわけじゃないけどな。でもまあほら、凹んで見せて、俺が被害者面するのも違うと思うし」
そう言うと、吉田さんは意を決したように言った。
「やっぱり、さっきの話、私からしてもいいですか?」
さっきの話? ……ああ、さっきの話ね。
「わかった」
俺としてはどちらでも構わない。
あの、と吉田さんは真剣なまなざしを向けてくる。
「ありがとうございます。私の身勝手なお願いを聞いてくれて」
――あと一度、お願いします。
ああ。
なんだ、たったそれだけのために――その言葉を言うためだけに、わざわざこんなところにまで来たのか。
「そしてごめんなさい。辛い思いをさせてしまって」
いや、と俺は苦笑する。それを言わせたくなかったから、頑張れたんだけどな。
「俺が吉田さんに言っておきたかったことと同じだ」
「えっ?」
俺は彼女に笑いかけて、そして。
「俺のほうが、ありがとう」
心から言った。
吉田さんは目を見開く。それから心なしか顔を赤らめて、視線をそらす。
「え、えと、なんで大森くんが……」
「俺、本当はもう、試合中にあきらめる寸前だったんだ」
いや、寸前というか、もうあきらめていた。
「でも、スタンドの吉田さんが見えたとき、このまま途中で放り投げたら、たぶん吉田さんは自分のせいだと思うんだろうな、って思った」
「それは……そう思いますよ。当たり前です。実際に私のせいですし」
彼女はなおも視線をそらしたままだ。気持ちはわかる。面と向かって礼を言われるのは照れ臭いものだ。
「だから、それはいやだな、って思った。じゃあどうしようってなったときに、吉田さんに『楽しそうにしていてほしい』って言われたのを思い出したら、吹っ切れた」
いまとなっては、どうしてあれほど恥をさらしたり心中で馬鹿にされたりすることを怖がっていたのかわからない。本当に馬鹿馬鹿しい。
「あのときは、厳しく当たってゴメン」
応援してくれるだれかがいるのは、当たり前じゃない。
なにかに打ちのめされたとき、声をかけてくれるだれかがいたことを、当たり前だと思っちゃいけない。
「でもいまは、感謝してる。
だから、あのとき声をかけてくれて――」
本当のありがとうは、ありがとうじゃ足りない(『BUMP OF CHICKEN: supernova』より引用)。でも、言わなければ伝わらない。一ミリも伝わらないよりは、一ミリでも伝えたほうがいい。
「――俺のほうが、ありがとう」
吉田さんは耳まで真っ赤にしながら、恥ずかしそうにしていたけれど、それでも、「――はい」と微笑んでうなずいてくれた。
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