第13話 はじまりの続き
一限の音楽が終わった。
朝、それも月曜日の朝から歌を歌わされるのは、正直意味が分からない。
一人の生徒として思うのは、どうせなら水曜日や木曜日辺りの三限とかにして欲しかった。それなら、数学や国語と言った普通の座学系授業の間で良いリフレッシュになる。
ぞろぞろと音楽室の少し分厚い扉。
他教科の、副教科である技術家庭や保健体育の教科書と比べて圧倒的に薄っぺらい音楽の教科書と筆箱だけ持った同級の生徒たちがガヤガヤと話しながら出ていく。
コの字型の校舎。下の線の左端三階から、縦線の二階真ん中にあるホームルーム教室まで。
左手に並ぶ窓ガラスから見える、少し小さめな校庭。一人で人工芝の青さを見ながら、ふと思った。
次の授業は化学だ。先週の授業の最後の方を思い出す。
そう言えば、その日配られたプリントを今日も使う、とか言ってたな。
プリント管理は苦手だ。テキトーにファイルにぶち込む癖がある。
そのせいで、誤って捨て《ロスト》はしないが必要な時に出てくるかは分からないと言うことになるわけだ。
そう言った場合、家に帰るなりして落ちついて探すと大体はそのファイルにきっちり一つのシワもなく入っているのだから面倒なものである。
廊下を歩き、階段を降り、少し歩くと教室前に着く。
教室の外は、廊下に沿うように設置されているロッカーをウチのクラスの連中が一斉に使っているせいで混んでいる。人が苦手な俺は、あの中に入ることは難しい。
それにしても、少し待てば良いのに。そこまでして音楽の教室をしまいたいのだろうか。あんな薄い教科書くらい、机の中にしばらく入れておけば良れておけばいいい。
位置的に近かった前の扉から教室に入り、一番右の列。その前から二番目。
そこが出席番号二番、蒼井櫂の座席だ。
中三が始まってから一ヶ月ほど。
クラスの雰囲気も固まってきたようで、男子も女子も仲良しグループを作ってワイワイやっている。
だが人を覚えるのが苦手な俺にとっては相変わらず居心地の良くない空間である。
もっとも、教室が一瞬でも居心地が良いと感じたことなんて、生まれてからあったことがない。
人の名前や顔を覚える、と言ったことが難しい俺が、高度で複雑なホモ=サピエンス社会の縮図たる教室に、居心地の良さを求めること自体、間違っているのだろう。
入り混じる人の声に紛れて、どこからか鳩だかの鳴き声が微かに聞こえる。
あぁ。いっそのこと、鳥にでも生まれたらどんなに楽だっただろうか。周りがお喋りしながら移動教室から帰る中、一人で黙々と歩く。どうして人間に生まれたのだろう。
今朝感じた”何かが始まりそうな予感”は一限後の休み時間にして早々に打ち砕かれていた。
そう言えば、と隣の机を見やる。俺の隣の席、草野。
彼女の机には音楽の教科書が置かれている。
しまっていない。そうか、彼女も俺と同じような捻くれた系の奴なのか。それとも、ただ単に急ぎの用事があって、それで置いて行っただけか。
いや、そんなことはどうでも良かった。
俺は机の中からファイルを取り出す。
何の柄の入っていない、
役所や病院と言ったお堅い系の施設で使っていそう、というかおそらく実際に使われているほどに無機質で愛想の欠片もないファイルには、紙がぎっしり入っている。
まぁ、たぶん役所や病院でこういう雑な使い方はしないだろう。
それでも、誤って捨てたりはせず、皺もかろうじてだがつかない。合理的とは言わないにしてもどこに整理したかも忘れるほどの頭の俺にとっては、中々良いプリント系の保存方法であると思う。
ファイルをめくり、プリントを探す。
数学、道徳、学年通信、図書室通信。
色々なものが入っている。
年始に撮影して配られた、担任と学年主任も入ったクラスの集合写真や、いつか使ってそのまま入れられたままの白い封筒も出てくる。
それにしても、化学の探しているプリントが出てこない。
内容は確か化学式……だったか、いや、モル計算……だったか?
まぁ、見ればわかるだろう。
とりあえず探さねば。俺は紙をめくって、めくって、めくった。
そうして探し続けて、いくらか経った。
ふと時計を見れば、そろそろ授業が始まる時間。
これはさすがにまずい。
とりあえず、時間ギリギリまで探せるように、教科書を取ろう。
そう考え、廊下のロッカーの前に行く。番号を手早く整え、開く。
先週だかに整理したばかりで、俺にしては中々のレベルで整頓されているロッカーから化学のノート、教科書、便覧を急いで取り出し、教室に入る。
「なんだか慌ててますね、蒼井さん」
眼鏡、黒髪ロング。
先ほどまで机の上に置きっぱなしになっていた音楽の教科書に代わり、机にはきっちりとプリント、ノート、教科書そして便覧が筆箱の下に置かれている。
開いている文庫本から目を離し、こちらの顔を見た後に苔色ファイルと音楽の教科書が置かれた俺の机を穏やかに見た姿はまさしく委員長系――
自席に戻ると、隣にはいつのまにか草野が座っていた。
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