お客さまに恥をかかせない

 学校教育や読書、ネットワーク上にあるあまたの情報からでなく、手に取った製品から知識を得る場面がある。難解な言葉や表現、イディオム、外国語など、開発者が製品にそれらを組み込む。お客さまは、手に取った製品をとおしてそれらをはじめて目にする。

 もしもである。もしも、製品から得た知識に誤りがあったとしたらどうだろう。恥をかいた、と憤っても、製品は正答を返してはくれない。開発者によってアップデートされるまで、誤った情報はそのままなのである。

 品質管理の仕事に慣れてきたころ、わたしは「正常な製品動作が最優先。表示される言葉の用法に少しくらい誤りがあったとしても、製品を使ううえで支障はない」と、言葉の不具合を見過ごそうとしたことがある。それは誤用しやすい言葉で、人によっては何が誤りであるのかに気づかないものだった。気づかれない誤用は、製品を扱う人にとってなんの問題もない。しかし、同僚スタッフにこう言われてハッとした。『この製品で言葉を覚える人がいたら、かわいそうだ』と。

 納期によっては、動作に大きな不具合がなければ、その他のことは修正されない場合がある。ディレクターがDirecter (正しくはDirector) とされていようが、助詞を間違えてことわざがまったく別の文意になっていようが、製品の動作には影響しない。だが、たったひとりでも、わたしたちが世に送り出した製品で知識を得るお客さまがいたとしたら? それが誤りだと知らず、誰かに知識を披露したら? 確かに「かわいそう」である。「申し訳ない」ともいえるだろう。

 モノづくりの現場では、こういった誤りが後を絶たない。開発者も品質管理をする者も、自分の持つ知識が一定水準にあると思い込んだら、そこにある不具合に気がつかなくなる。ときには、インターネット検索でヒットした「数」を根拠に正誤を判断する者まであらわれる。『誰かが正しいと言っていたよ』『どこかで見かけた気がする』『そういうことらしいよ』の意見を正とするのだ。うろおぼえのまま製品に組み込まれ、誤りを誤りと正しく認識していない検査を通過して、製品がお店に並ぶ。プロフェッショナルの仕事とはほど遠い。

 製品の品質を高めるために、あらゆる知識を持てというのではない。1パーセントでも自分の理解に不安があるのなら、必ず正誤を調べ、明らかにするのだ。もしくは、開発者の知識をまず疑ってかかるのでもいい。正しい調べかたを知るのも重要だ。疑い、調べ、正用にたどり着くのは、お客さまを思っての行動にほかならない。

 仕事でかく恥は、お客さまに知られはしない。かいた恥のぶんだけあなたは知識と経験を得る。そして製品の品質は高まるだろう。プライドが邪魔をしそうなとき、どうか思い出してほしい。けっして、お客さまに恥をかかせてはならない、と。

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