不具合への容赦ない言動

 発売した製品に不具合があれば、当然問題が起こる。なにしろ、製品の具合がよくないのだ。不具合をそのままにはできないし、お客さまから寄せられるお問い合わせへの対応、場合によって返金や製品を回収することだってある。製品が十分にその役目を果たせないのであれば、どの問題も避けてはとおれない。未知の不具合が見つかれば、品質管理がまっさきに受け持つ問題は原因究明のための調査だ。だが、調査に専念できるかといわれればそうもいかない。生じる問題は他にもある。

 開発者の中には、『なぜ不具合を見落としたのだ』と品質管理を責めてくる人が少なからずいる。不具合を生み出したことへの自責は済ませたあとだ。それでもやりきれない感情は残る。正しくないと思っていても、矛先をどこかに向けなければおさまりがつかないのだろう。

 お客さまも黙ってはいない。相当に腹が立ったのか、製品とは無関係の悪口の限りを尽くす人もいる。人の道を踏みはずしかねない勢いだ。お客さまとて人である。けっして神などではない。

 そういった人々と正面から向き合うとき、防衛反応が出るのはしかたがない。心を健やかに保つための、ごく当たり前の行動だ。ここで肝心なのは、反応の中身である。

『不具合を生み出したのは誰なのか?』『どういった環境で育ったら、そんな物言いができるのか?』どちらも他責に寄った考えかたである。間違っても、このような感情を持ち出さないほうがいい。

 問題が起こったとき、責任の所在を明らかにするのは重要だ。責任の所在を明らかにするとき、自責、もしくは他責が責任の10割を占めることはありえない。未来に起こりうる問題を起こさないために、これからも一緒に歩んでいく全員で、今できる最善を尽くすのがあるべき姿である。犯人を見つけ出し、問題の原因として排除するためではない。

 自分に非を見いだすのは、善良なすばらしい行動である。だが、自分にだけ非があると思い込んでしまえば、心が押しつぶされてしまう。引き受けなくてもいい問題まで背負い込む必要などないのだ。自責でも他責でもなく、『自分も含めて、この製品にかかわった者すべてに責任がある』とするのが、もっとも健全な思考である。よろこびだけでなく、苦しみもみんなで分かち合おう。

 残念だが、それでも問題は起こる。容赦ない言動にさらされるだろう。だからこそ、最高のチーム、最高の製品にするために、思いやりと助け合いの精神が必要になる。その精神を行動で示す最初のひとりに、あなたがなるのだ。

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