破壁の彼方 8/始動(3)

「うぉおおおおお〜〜〜〜〜〜〜」


 顕現させた黒姫を炎に変化させ、勢いよく燃焼させる。

 集中して魔法を繰り出す倫道の横顔をデルグレーネは黙って眺めていた。


 訓練を始める前、2人はあまりにもぎこちなかった。

 初めての2人きり。空気は微妙に張り詰めていた。

 アルカナ・シャドウズとの戦いでの一瞬のキスが、2人の間に静かな波紋を投げていたからだ。

 しかし、彼女は恥ずかしさや心情を抑えて、平静を装い教え続けた。

 次第に2人の距離は微妙に縮まり、彼女の授業が進むにつれて、その空気は少しずつ変化していった。

 

「それじゃあ、もう一度、感情と魔力の流れを意識して……」

「はい!」


 時が過ぎ、茜色の太陽が山肌を照らし出した時、倫道の顔には大粒の汗が滝の様に流れていた。

 いや、顔だけではなく戦闘服も汗でびちゃびちゃである。

 顔色も青白く変化している。魔力切れの証拠だ。


「今日の訓練はここまでにしましょう」

「いや…… まだ出来ます」

「だめ。これ以上無理したら明日に支障が出る。貴方の魔力はもう限界。無理するなとは言えないけど…… 訓練は毎日行うから意味がある。魔力は日頃の積み重ねで大きくなるから」

「……分かりました」


 彼の瞳は疲れがみえてたが、同時に何かを求める光を発している。

 一瞬だけ双眸を瞑り深く息を吐き出すと、元気よく向き直り腰を深く折った。


「本日はありがとうございます! 明日もよろしくお願いします!」


 フラつきながら倫道が頭を下げると、デルグレーネも軽く頭を下げる。


「よく…… がんばったね」


 彼女の声は柔らかく、そしてどこか遠慮がちだった。

 それを受けて、倫道はしばらく黙って彼女を見つめた後、口を開いた。

 

「レーネさん。一つお聞きしても良いでしょうか?」


 今までとは違う熱い視線に思わず息を呑む。


「……なに?」


 デルグレーネは平静を装い、軽く笑った。しかし、彼女の心臓は不規則に動悸を打っている。


「あの日、アルカナ・シャドウズとの戦いの時です。敵の魔人、ジェイコブに俺が背中を抉られた後…… えっと、その……」


 倫道の顔が真っ赤になる。決して夕陽に染まってではない。

 耳まで真っ赤にした倫道が、「え〜」とか「う〜」とか言いながら口ごもる。やがて意を決した面持ちでデルグレーネへ尋ねた。


「あの時、その、キッ、キ、キスをしたのは…… なぜでしょうか?」


 やはり…… いや、当然の疑問。

 彼にしてみれば初対面の女にいきなりキスされたのだ。当たり前の質問だろう。

 デルグレーネにしてみても予想された質問だったので、カタリーナと共に言い訳は考えていた。

 しかし、彼の質問はあまりにも直接的であり、彼女を少し驚かせ、また羞恥心を呼び起こさせた。

 彼女の瞳が一瞬大きくなり、次の瞬間、そっと目を閉じた。

 恥ずかしさで動揺した心を鎮めるために。


「それは……」


 彼女の言葉は消え入りそうに小さく、風に乗って渓谷を跨いでいった。

 倫道はじっと彼女の返事を待ち、デルグレーネは深く息を吸い込んでから、ゆっくりと答える準備を整えた。


「あの時、私の魔力も尽きかけていた…… 起死回生、逆転の一撃を放たなければ私たちは彼に殺されていた。そこで、貴方の魔力と同調させ渾身の一撃を放ったの。あれはその為だけの行為。他に他意はない」


 準備していた回答を動揺を隠しながら平然と答える。

 倫道は少し訝しげな表情になったが、すぐに笑顔となり軽く息を吐いた。


「やっぱりそうでしたか! 納得です。 ……まあ、自分には分かりませんが、あの時の最善手だったのですね」


 うんうんと頷く倫道を見て、少しだけ心が痛んだ。

 思わず本音が漏れ出した。


「私とのキス…… 嫌だった?」


 金色の瞳を潤ませて伏し目がちに倫道を覗き込む。

 彼は慌てて胸の前で手を大きく振った。


「とっ、とんでもない⁈ 嫌だなんて⁈ それは全くなくて―― それより嬉しいというか…… あっ、いや何を言っているんだ⁈」


 慌てる倫道に思わず声を出して笑う。


「ぷっ⁈ あはははは」

「あ、いや、あの…… すみません」


 頭を掻きながら恥ずかしそうに謝る倫道、さらに可笑しさが込み上げた。


「ふふふ…… 冗談。さ、宿舎へ戻りましょう。用具の片付けはお願い」


 彼女は踵を返すと足速に倫道の前から遠ざかる。

 悟られないよう、嗚咽を我慢して頬に光る雫を肩口で拭い去りながら。


    ◇


 風呂、夕食と済ませてデルグレーネは部屋で1人、夜空に薄く輝く月を見上げていた。

 この宿舎に泊まっているのは彼女を含めて9名。

 部屋には数多く空きがあるので、デルグレーネやカタリーナ、沢渡たちは1人一部屋を充てがわれている。

 五十鈴は女性なので1人部屋だが、倫道たち4人は同部屋に押し込まれていた。


「リーネ、今日はどうだった?」


 静かに夜を過ごしたかった彼女の元へカタリーナがワインとグラスを2つ持って現れた。

 もちろん、問答無用に部屋に入ってくる。


「さっきのミーティングの時に訓練内容と状況は話したでしょ。それ以上はない……」


 窓の床板に座るデルグレーネ、その前には小さな丸いテーブルと椅子がある。

 カタリーナは椅子に座ると、グラスをワインで満たす。

 無理やりデルグレーネの手にグラスをねじ込み、笑いながら「カンパーイ」とガラスの甲高い音を響かせた。


「別に訓練の内容を知りたいわけじゃないわよ」


 意地の悪い笑顔を見せるカタリーナ。

 そんな彼女を一瞥すると肩を落としてため息をつく。観念してもうひとつの椅子に腰掛けた。


「だから、何もなかったって」

「え〜、何もないって事はないでしょ?」


 ニヤニヤと笑う同僚の笑顔に頭痛を覚える。


「どうしたのこれ?」

「もちろん、荷物に入れて持ってきたのよ」

「…………」

 

 手の中に波打つワインを掲げてデルグレーネは尋ねるが、当たり前といった顔でカタリーナはグラスを傾ける。

 用意がいいというか何というか……

 そんな彼女からグラスへ視線を移し、ルビー色の液体を一口飲んで、「美味しくない……」と舌を出す。


「実際、彼と初めてまともに話したけど、訓練で手一杯。雑談なんかできなかった」


 ふんふんと頷くカタリーナは先を続ける様に促す。


「私自身、人間に魔法の使い方を教えるなんて初めてだったし。彼も私の説明が分からないって感じだった」

「ふ〜ん」


 自分から聞いておいて退屈そうな顔のカタリーナ。彼女はすでに2杯目のグラスを空けていた。

 

「じゃあ、キスの件は?」


 彼女が一番聞きたかっただろう話の核心を突いてきた。

 想像の範疇はんちゅうだ。なので冷静に返す。


「別に。前に話した通り、敵を撃退するために止むを得なかったと話したら納得したよ」

「あら? 随分と余裕じゃない。あの後は『どうしよう〜』なんて泣き言いってたのに」

「泣き言なんていってない! ただ、思った以上に近づきすぎたと反省しただけ」

「そうだったかな〜」

「そうだった!」


 不毛な言い争いにドッと疲れが出てデルグレーネは背もたれに体重を預ける。


「ただね…… 今日、彼を間近で見て思ったんだ」


 ワイングラスを片手に琥珀色の液体を回しながらじっと見つめている。

 カタリーナも彼女の雰囲気が変わったのを察してただ黙っていた。


「彼、神室倫道…… やっぱり彼はヴィートの生まれ変わりだって確信した」


 ワインを一口含むと、コクンと喉を鳴らす。

 湿らせた口はさらに言葉を紡いでいく。


「実際、彼のちょっとした表情。笑ったり、困ったりした時、ヴィートの表情と被るの。何度も私の心臓を打った。ううん。表情だけじゃない。話し方や態度もそう」


 薄いピンク色の唇の恥が持ち上がると優しい笑顔を作る。

 しかし、その瞳はどこか寂しそうであった。


「でもね、やっぱりヴィートじゃないの…… 彼の声、彼の言葉、彼の想い…… 彼は『神室倫道』であって『ヴィート・リーグ』ではない」


 グラスをテーブルに置くと強めの音が鳴った。

 沈黙が部屋全体を重くする。

 窓の外では秋の夜を謳歌おうかする虫たちの合奏が始まっていた。


「分かってた事でしょ?」


 カタリーナの優しい声と温もりがデルグレーネを包む。

 小さく震える少女を胸の中に抱きしめ背中を摩る。


「分かっていた…… 分かっていたよ。でも、ヴィートと違うところを見つけると胸が苦しくなる。こんなに辛いなんて思わなかった」

「そうだね……」

「でもね、もっと悲しいのが彼とヴィートの姿が被ったとき。ヴィートがいない事を痛烈に感じてしまうの……」

「そう……」


 カタリーナは黙ってデルグレーネの金色に輝く髪を優しく撫でる。

 嗚咽する子供を落ち着かせる様に、ただ黙って撫で続けた。

 やがて落ち着きを取り戻したデルグレーネが鼻を啜りながら顔を上げる。


「ありがとう。落ち着いた」

「そう? 明日からもやっていける?」

「大丈夫。彼を、倫道の力を引き出せるために頑張る」

「そう。頑張んなさい。私も疲れたわ。もう寝ましょ」


 彼女がデルグレーネの部屋に来た本当の理由を理解して、目一杯の笑顔で返す。

 カタリーナは慈愛に満ちた笑みでもう一度ぎゅっと抱きしめると、おでこにキスをして部屋を後にした。

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