破壁の彼方 7/始動(2)

 遠野郷の山荘にて訓練を始めて3日。

 怒涛の展開に付いて行けていなかった思考もやっと落ち着き、自分達が置かれている環境にも慣れてきた。

 

 この3日間は基礎の訓練と座学を中心としていた。

 特務魔道部隊に関する知識及び決め事ルールの確認、部隊内で使用するハンドサインなどを徹底的に叩き込まれている。

 これにはゲルヴァニア国の2人、カタリーナ・ディクスゴードさんとデルグレーネ・リーグさんも一緒に習っていた。

 講習後、清十郎が柳田副長へ「外部の人間に教えて問題はないのでしょうか?」と聞いたが、彼は至極当然とした顔をする。


「まあ、世界共通の一般的な話だ。それに部隊内にはパターンが十数種類あるからな。今はその一部だけ開示してるに過ぎない。いずれお前らには全てを覚えて貰うから。楽しみにしておけ」


 と涼しい顔をして昼食の席へ座る。

 まだ覚え切れていないサインやルールがあと十数種類もあると聞かされ、軽く絶望感が頭をよぎってしまう。

 俺たちは重い心を引き摺ると、唯一の楽しみである食事さえ暗い気持ちでとっていた。

 そんな空気をいつも破ってくれるのは久重だ。


「この後、やっと魔法の実技講習だな。もう頭を使い過ぎておかしくなりそうだから、思いっきり発散してーぜ! な? 倫道」


 パンを齧りかじながら、深緑色の瞳を輝かせ笑いかけてくる。

 何なら今からでも外に飛び出して行きたそうにしている。まるで散歩前の犬のようだ。

 その姿に破顔すると、冷や水を浴びせるが如く横から冷静な声が突き刺さる。


「堂上、魔法発動こそ頭を使うんだぞ。……ああ、だからお前の魔法には一貫性がないのか」

「なんだと⁈ どう言う意味だ、清十郎!」

「出力が安定しないだろ? 例えば、式神との模擬戦。少ない魔力で済むのに多くの魔力を使ってロスし、そのお陰で本命の相手の時には既にガス欠寸前」

「うぐっ⁈」

「頭を使っていない証拠だ。神室、お前も同じだ」


 俺にまで飛び火してきた。

 思いがけない攻撃に、硬いパサパサッとしたパンが喉に詰まり、慌ててスープで流し込む。

 喉を大きく鳴らし飲み込むと、清十郎へ抗議の視線を向けた。

 しかし、そこには俺の事など見ずに、すました顔で野菜スープを口に運ぶ優等生。少しだけ苛立つ。


「まあまあ…… でも、今日からだね。班分けされての訓練」


 龍士が不穏な空気を察してか、話題を変えたので俺もそれに乗った。


「ああ、どんな訓練になるんだろうな」

「うん、僕たちのところは柳田副長が得意とする魔法と体術を合わせた訓練になると思うけど」

「俺たちのところはディクスゴード…… いや、リーナさんがどんな魔法士かまだ分からないからな。先日の件で実力派知ってはいるが…… 十条はどう思う?」

「えっ⁈ ああ、私? ん〜、正直わからないから、受けてから皆んなに教えてあげる」


 何か心ここに在らず状態だった五十鈴に違和感も覚えるも、その明るい笑顔に霧散する。

 それにしても清十郎は、彼女たちゲルヴァニア人の2人の名前を口にするのが慣れないようだ。

 挨拶の後、カタリーナさんから「私たちの名前は『リーナ』と『レーネ』で呼ぶように!」と厳命されている。

 緊急時など長いと呼びずらいためとの事だが、女性をあだ名で呼ぶのに抵抗があるみたいだ。


 そう、レーネと呼ばれる女性。デルグレーネ・リーグ。

 ここまで2、3回ほどしか会話をしていない。その会話もお礼と自己紹介のみだ。

 そんな彼女と、これから初めて2人で訓練を行う。

 先ほどの五十鈴を『心ここに在らず』などと評したが、実際は俺も同じ状態であった。


 アルカナ・シャドウズの襲撃に割って入ってきた女性。

 俺の得意とする魔法とよく似た魔法を持つ魔法士。

 敵の隊長でもあり恐ろしいほど強かった魔人、ジェイコブ・ストームと戦いそれを退けた。

 俺たちの命の恩人。


 あの日の戦いは今でも鮮明に覚えている。

 黒姫が語りかけてきた気がした、新しい技も会得した。

 自分の中のタガが外れた様な感覚も残っている。

 そして一緒に放った最後の一撃……


 思い出しても現実感はなく、夢の中にいる感覚へ陥る。あまりにも一晩で多くの事が起こり過ぎたのだ。

 そして何より、俺を悩ませていたのが…… 彼女とのキス。

 驚愕の中、懐かしく、悲しく、嬉しい…… 様々な感覚が湧き起こり、自分の中の鍵が外れた音がした。

 結果、自分でも驚くほどの魔力が湧き起こり、それが唇を通して1つに混ざり合った。


(あれは…… 相手を撃退するために必要だったんだよな…… 他の意味なんて無い)


 俺は、彼女が取った行動を自分に納得させるため「ジェイコブを撃退する」ために必要だったと言い聞かせる。

 しかし、それでもなお…… 柔らかな唇の感触が俺の心を締め付けている。


(それに……)


 須賀湾での夜も同時に思い出す。

 カオスナイトメアから窮地を救ってくれた謎の妖魔。

 黒翼をはためかせ、圧倒的な熱量の魔法でカオスナイトメアを塵と化した。


 彼女の後ろ姿とデルグレーネさんの姿が重なって見える。

 人間と妖魔、デルグレーネさんには失礼な話だが俺には2人が被ってしまうのだ。


 先日から続くモヤモヤとした気持ちのまま、とうとう2人っきりでの訓練が始まる。

 俺は気持ちを切り替えるために、熱いお茶を一気に飲み干した。


    ◇

 

 デルグレーネと倫道が訓練する場所は、山荘から降って少し開けた渓谷沿いに位置していた。

 周りには巨大な黒い岩石が配置され、訓練の標的や障害物として使われる。

 よく見ると岩の黒色はすすによる汚れであり、炎が何度も表面を焼いた痕跡であった。

 ここでは火や雷撃魔法の制御と応用が主に使用される場所である。


 空にかかる魔素は紅藍のグラデーションとなり、澄んだ空気が魔法のエネルギーを強く感じさせている。

 デルグレーネは倫道に、魔法のエネルギーと心のエネルギーが調和することの重要性を教えていた。


「……倫道、魔法は感情と深く繋がっている。炎は力強くも繊細。怒りや喜び、悲しみなどの感情を大切に感じながら、魔力を流し込んでみて」

「はっ、はい! 黒姫!」


 倫道は言われたままに感情を込め黒姫を呼び出し、その姿を炎へと変化させる。

 だが、先ほどまでと大きさや出力は変わらない。


(まあ、教え方はアンの受け売りだけど。私にはその感覚が分からなかったから)

 

 歯を食いしばり苦悶の表情で唸る倫道を眺めているデルグレーネは平静を装いつつ不安げに見つめる。


「ううう……」

「……もっと集中して」

「はい……」


 額に汗をかきつつ全魔力を搾り出すが、黒姫は揺らぐだけで答えてはくれなかった。


「やはり上手くいかない…… あの時は出来たのに……」


 先日の戦いの時、倫道は自分の魔力上昇を感じていた。

 あの時の同じ様に魔力を練り上げているにもかかわらず上手く行かない。


「もっと自分の中に集中して。体内にある魔力の流れを感じてみて……」

「やっているんですが……」


 デルグレーネの言葉は詩的で感覚的。

 彼女は倫道の前で手を広げ、指先から繊細な炎を揺らし、それを一気に爆発させ燃え上がらせた。

 基本だと言うのだが、その教え方はあまりに抽象的で、倫道は首をひねった。


(うーん、どういう意味だろう…… 感情をどう魔力に変えるんだ?)


 首を何度も捻り、うんうんと唸りながら魔力の出力を上げようと力を振り絞るが変わらない。

 そんな倫道の困惑を察したデルグレーネは、彼の手を取った。

 その触れ合いは軽く、しかし意識してしまうほどのものだった。

 彼女の指が倫道の手の平を撫で、魔力の流れを感じさせる。


「こう、想像して…… 体の中で魔力が循環しているのを。これを掴んで、感情とリンクさせてみて」


 デルグレーネの言葉と触れ合いに、倫道は何となく理解し始めるが、同時に彼女に対する意識も高まっていく。彼女の手は温かく、その温もりが彼の心を揺さぶった。

 

(柔らかい…… いや⁈ 俺は何を考えているんだ! 集中しなきゃ)


 次第に感情は雑念で満たされ、彼の魔力は空回りを始める。

 ついに限界まで達すると、その場に尻をつく。


「うう…… だめだ……」

 

 肩で息を吐き、悔しそうに目を瞑りながら天を仰いだ。

 

「すいません…… 上手く行かなくて」

「大丈夫…… 最初から上手くはいかない」

「でも、何時間も同じ……」

「この間は出来た。だから切っ掛けさえ覚えれば上手く行く…… と思う」


 デルグレーネは息を切らした倫道の前にしゃがみ込むと彼の顔を覗き込む。

 表情を変えず、抑揚のない声で励まされるのが、倫道には少々こたえていた。


(がっかり…… させちゃってるのかな)


 上手く出来ない自分に苛立ちと不甲斐なさを感じてしまう。

 なぜだか彼女に失望されたくないと心より思うのだ。

 

「もう一度! もう一度やらせてください!」


 決意の色が色濃く映る瞳にデルグレーネの顔が反射する。

 一瞬だけ瞠目した彼女は、柔らかな笑みを讃えると「うん」と一言だけ返す。

 

「ふ〜〜〜〜、よし! やります!」


 大きく息を吐き出した倫道は、勢いよく立ち上がると黒姫を呼び出し炎へと変化させる。

 デルグレーネは、その姿をただ見守っていた。

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