破壁の彼方 5/朝食(2)

 久しぶりの料理、以前作ったのはいつだっただろう。

 もう百何十年も自分で料理なんてした記憶がない。

 〈魔世界/デーモニア〉から落ちてきて数年後、アルサスの村では家族のために毎日料理を作っていた。

 毎食美味しいと言いながら勢いよく食べていたヴィートとグスタフお父さんの顔が浮かぶ。


(懐かしいな……)


 村を襲った凄惨な事件。

 ヴィートたちの死により天涯孤独となった私は、調律者ハーモナイザーとしての自分を受け入れた。

 事件の関係者で唯一の生き残り、魔法士アン=クリスティン・ティレスタム。

 彼女に連れられ王都へ着いた私は、彼女の家族と共に暮らしていく事になる。

 それは傷ついた私をゆっくりと回復させてくれ、そんな生活の中で料理を振る舞うのは少なく無かった。

 

 しかし、アンの死を見届けた後、私は調律者ハーモナイザーとして放浪し、その後一度も料理などする機会も無かった。

 そんな私に、日もまだ昇っていない薄暗い中、カタリーナから声がかかった。


「……ねえ、レーネ。ご飯作ろう」

「え゛⁈」


 早朝、起き抜けにオレンジ色の髪の毛をボサボサにした彼女は提案した。

 彼女より数時間ほど早く起きていた私は、突拍子もないカタリーナの言葉に固まる。


「寝むれなくて暇なんでしょ?」

「まあ、そうだけど……」

「なら作りましょうよ」

「だから何で? それに今朝の食事は十条さんが作るって言ってた……」

「うん、でも彼女も倫道君たちとランニングに行ったんでしょ」

「そうだけど…… 起きてた?」

「いや、気配でわかるでしょ」


 なるほどと納得していると彼女は完全に目を覚ましたようで、勢いよく伸びをした。


「昨日、食糧庫など聞いといたから大丈夫よ。さあ、顔を洗って行きましょ」

「えええ、本当に作るの?」

「なに? 嫌なの?」

「嫌じゃないけど……」

「じゃあ積極的に行かないと! 小さい事でも思い出す切っ掛けになるかもよ」

「そうかな……」

「それに…… あの十条って娘、倫道君を特別な目で見てたわ」

「っ⁈ 特別って」

「このままだと倫道君のお世話はみんな彼女がやるかもね」

「…………」

「黙って指を咥えてみてるの?」


 安い挑発だ。私はそんな言葉で動揺したりはしない。

 彼女はいつも通り私を揶揄からかって言っているのは分かっているのだから。

 

「あら? どこへ行くのかしら?」

「顔を洗う……」

「その後は?」

「……十条さんがトレーニングしているなら、準備…… しておこうかな」

「なら、私も手伝うわ」

「……うん ……ありがとう」

「え⁈ なんて?」


 素直にお礼を言ったのに……

 カタリーナは耳に手を当てて、すこぶる楽しそうな笑顔を作る。

 舌まで出して笑いを堪えた意地悪な顔。

 ふふふ、どうしてやろう……


「ちょっ、ちょっと待って。こんな所で魔力を解放しないで! 悪かったから…… 痛い⁈ ちょ、髪の毛を掴まないで〜」


 ちょうどボサボサの髪は掴みやすく、そのまま厨房までカタリーナを引っ張っていった。



 まあ、料理を作るまでに一悶着があったが、今はもうどうでも良い。

 私たちの手作りの朝食を前に、倫道は美味そうに食べ進めている。

 どこかヴィートに似た彼の満足げな表情を目にした私は、内心で安堵と小さな幸せを噛みしめた。

 周りにその気持ちがバレないよう、無表情に皿から口に入れる作業を静かに続けた。


 差し込む朝日に照らされる倫道の顔をぼんやりと眺めながら、私の脳裏には先日の出来事が浮かんだ。

 それは、アルカナ・シャドウズとの激しい戦いの後、私たちがズタボロの状態で報告のため訪れたエヴァン・モリスの洋館での一幕。


    ◇


 朝日は既に昇りきり照りつける太陽の元、洋館の広々とした応接間に私はカタリーナに抱き抱えられながら足を踏み入れた。

 満身創痍、着ている軍服もひどい有様の私たちは逃げ込む様にして倒れ込む。

 しかし、エヴァン・モリスは窓の側で慌てる様子もなく静かに待ち受けていた。

 洋館の内部は落ち着いた空気で満ちており、彼はいたって冷静に動き出す。


「ふむ、まずは傷の手当てをしよう。詳しくはその後だな。デルグレーネのリミッターが外れた件でフォルセティから連絡が入っているが、私の方で対応しておこう」


 私たちの様子を見ても動揺せず冷静に対処する。

 さすが調和の守護者ガーディアンズの領域マネージャーといった所だろうか。

 彼はそう言うと、どこかに電話をかけたが、電話口の内容から誰に電話しているのかが分かった。

 近くに住む医者であり魔法士でもある女医に助けを求めたのだ。


 カタリーナの回復魔法にて、大きな傷などは塞がっていたが、細かい骨折などはさすがの彼女も魔力切れとなり、全ての傷を治し切る事はできなかったからである。


 やがて到着した女医の手当ても終わり、だいぶ回復した時、エヴァンは今回のあらましを尋ねた。

 

「なるほど…… ユナイタス合衆国の魔法特殊部隊ノヴス・オルド・セクロールムが監視対象を拉致しようとしたか…… 他には何か?」

「アルカナ・シャドウズの隊長、ジェイコブ・ストーム。彼は間違いなく魔人だった……」

「ふむ……」


 私たち2人の報告を苦虫を潰した様な顔で聞き入るエヴァン。

 長い足を組んで椅子に座り、サングラスの奥にある瞳を閉じて考える。


「何とも言えん案件だな…… なぜ監視対象が狙われた? なぜユナイタス合衆国のそれも精鋭部隊が派遣された? 理由が全くわからない」

「それは、私たちも全く心当たりがないのよね」

「……うん」


 エヴァンは腕を組むと顔を天井に向けて椅子に後頭部をコンコンと打ち付ける。

 何かが彼の中でも引っ掛かっているのだろう。いつもと違い歯切れも悪い。


「それにタイミング良く現れた大日帝国の兵士2人、こちらも分からない…… 襲撃を事前に知らなければ間に合わないだろう。しかし、それは可能か? 仮にも特殊部隊の作戦だぞ……」

「それは私も気になったから柳田に聞いたの。彼らが上役の家にいた時に知らせが来たって」

「彼らの上役…… 魔道大隊の御堂か?」

「知らないわ。あなたの知り合い?」

「……まあな」


 エヴァンとカタリーナの掛け合いを聞きながら、勝敗を決めた最後の魔法を思い出す。

 神室倫道と自分の魔素が混じり合い、一緒に魔法を練り上げ放った。

 あの感覚、まるで私と同じ…… 私の魔素が吸われ倫道の中に吸収された。

 普通では絶対にあり得ない事象。

 

 以前、私の生まれをフォルセティたちに聞いた話を思い出す。

 私は魔素エネルギーの塊から生まれた特殊な魔物。

 他者を喰らい、その魔素を完全に取り込める。

 通常の魔物も魔素を使い生きているので、他者から魔素を取り込む事はある。

 しかし、それは僅かな量であり、また自分の魔力上限があるため、自分の器以上の魔素を取り込めはしない。

 だが、私は『魔素を完全に』取り込む事が出来るらしい。

 そんな私が魔物を喰らい続けていれば、いずれ世界を飲み込む『ブラックホール?』に似た現象を起こし、世界を終焉に向かわせると言う。

 今は首のチョーカーがリミッター兼魔素供給のフィルターとなり一定量しか吸収していないから問題はないらしいが、これをつける前の私は世界を終わらせる破壊者として『世界の管理者』から討伐対象となっていたのだ。


 そんな特殊な私と同じ様に魔素を吸収した倫道…… 魂が混じり合ったからこその奇跡。

 私の中で、彼はヴィート・リーグの転生した人間であると確信が持てたのであった。


(やっぱり…… 私の感覚は間違ってなかったんだ……)


 300年ずっと待ってた。

 やっと目の前に現れたヴィートの魂に会えた感動と感謝をしていた時、エヴァンが長い沈黙を破った。


「この件は、私の方でも独自に調査をしよう。不可解な点だらけだ。今まで…… こんな事はなかったのだがな」


 彼は苦笑しながら軽いため息を吐くと、私たちに向けて新しい命令を出す。


「これからは更に監視対象へ接近してもらう。軍の上層部へは私の方から手を回そう。彼らの周りには何かある。それに私たちの知らない所で別の調律者ハーモナイザーが動いている可能性も捨てきれない。くれぐれも注意してくれ」


 エヴァンの言葉は硬く、交互に顔を見つめながら命じると、私とカタリーナは顔を見合わせ、軽く頷いた。


    ◇

 

「デルグレーネさん、朝めしすごく美味かったです!」

「――ひぃゃい⁈」

 

 ぼんやりと先日のエヴァンとの会話を思い出していたら、後ろから聞こえた不意の言葉に奇声をあげる。

 思わず口に手を当て、声の主へ振り向くと、そこには少し驚いた顔の倫道がいた。


「すみません。何か……」

「……いえ、何でもない。大丈夫」


 慌てて取り繕うも、苦笑する彼を見て「変なやつ」と思われたらどうしよう。などとテンパっていると彼から思いもかけない言葉を受ける。


「初めて食べた料理でしたが、なんだか懐かしい味と言うか…… お陰で今日も頑張れそうです」

「……そう」


 懐かしい味…… 彼にしてみれば何となくそう思ったのだろう。

 しかし、私にとっては泣きたくなるほどの言葉であった。

 嬉しさを噛み締めてると他の人から次々に声がかかる。


「ご馳走様でした」

「マジ美味かったっす! また作ってください」

「手伝って頂きありがとうございました」


 次々と礼を言われ、彼らはこれからの訓練のため食堂から出ていった。

 その背中を見送りながら(ご馳走様か…… いつぶりだろう……)と、懐かしさが胸の中に込み上げる。

 アルサス村では食事の度に毎度となく、ヴィートとお父さんが言ってくれた言葉。

 こんな事、思い出しもしなかった。


 目の前ではカタリーナが優しげな笑みを湛えている。

 そんな彼女に私も微笑みを返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る